◇目次
・撃墜説について (後半)
・墜落後について (後半)
・TRONというOSにまつわる話について (後半)
・圧力隔壁説について (後半)
・おわりに (後半)
1985年8月12日に起きた日航123便墜落事故に関して、自衛隊の標的機が衝突したとする主張があるが、日航123便が墜落したその日は、静岡県沖合で護衛艦「まつゆき」のミサイル訓練等が実施されていたのではないかという真偽不明の情報が本やネット上に出ており、もしこれが事実なのだとしたら、疑いが掛けられた最も大きい要因になる。
「まつゆき」はその翌日の8月13日に相模湾で海上公試中だったらしく、その時に日航123便の尾翼の一部を発見し、回収している。
事故当日の8月12日にもその海上にいたようだが、たまたま居合わせたというだけで疑いを掛けられてしまったらしい。
そもそも「まつゆき」には標的機が搭載されておらず、自衛隊の標的機が衝突したとする説(オレンジエア説)は完全に誤りになる。
当時、標的機が搭載されていたのは訓練支援艦「あづま」だけであり、それは事故現場付近の海域にはいなかった。
https://note.com/militarynote/n/nb911ac9a3c2b
つまり、標的機というのは訓練支援艦に搭載されているものであり、護衛艦がそれを飛ばすということはないらしい。
まつゆき (護衛艦) - Wikipedia
この問題は被害者感情を煽るような情報が多いために、自衛隊が誤解される形で矛先を向けられているような気がする。
自衛隊の関与について、誰から聞いた話なのかやどういう資料を入手したのかといった裏取りが歪められているケースがどうやらあるらしい。
誰が最初に自衛隊が標的機を事故現場付近で飛ばしていたという噂を流したのかが重要だが、それすら分からない。
自衛隊の標的機が衝突したと主張するのは悪意ある何者かによる策動か、当事者による責任逃れか、単なる金儲けに利用しているだけなのか、そのいずれかなのだろう。
ガセネタを掴まされて自衛隊に対して激昂している人達も多くいるようだが、もし37年近くもそのようないわれのないことで無辜の存在を責め続けてきたのであれば、後で間違ってましたでは済まされない。
・自衛隊がなぜ戦闘機を発進させたのか
航空自衛隊はなぜか戦闘機であるF-4EJファントム2機を発進させているが、民間航空機の事故現場に戦闘機を向かわせるのは確かに素人には不自然に思える。
日航123便の機長は衝撃音を聞いた直後に緊急救難信号「スコーク7700」(ハイジャック以外の全ての緊急事態)を発信しているが、まず18時28分頃に「峯岡山レーダーサイト」でそれを受信している。
「18時56分に123便が峯岡山レーダーサイトから消えたため当直司令は墜落したと判断。中部航空方面隊司令部に、123便の緊急事態を受信してスクランブル待機中のF4EJファントムの発進を提案。19時01分、提案を了承した基地司令の指示で、茨城県東茨城郡小川町(現小美玉市)にある百里基地よりF-4戦闘機2機が発進した。」wikipediaより
とあり、日航123便が墜落してレーダーから消えたことで自衛隊は戦闘機を発進させている。
百里基地から墜落地点までのおおよその直線距離は約160kmあるため、ヘリやプロペラ機ではなく戦闘機を発進させることで、なるべく早く状況と墜落地点の把握をしようと思ったのかもしれない。
しかし、事故機が墜落する直前の出来事について上野村立小学校の児童が校長の指示で作文を残していて、墜落の15分前ぐらいの時点で戦闘機2機が日航123便を追っていたか、あるいは先導していたような目撃情報がある。
1. 「飛行機が追いかけっこをしていた。」
2. 「ニュース速報が流れた時、既に家の近くで飛行機が3機飛んでいた。」
3. 「18時45分頃、南の空からジェット機2機ともう1機大きい飛行機が飛んできた。(その後)ジェット機2機は、埼玉県の方へ行ってしまいました。」
https://fm-toshidensetsu.com/jal123/#JAL123-4
これらの目撃情報は日航123便と戦闘機との位置関係が不明瞭になっている。
1. 各飛行機との距離がかなり開いているのであれば 「追いかけっこをしていた」 とは言わないだろう。戦闘機2機がそのように見えたのか、それとも日航123便の前か後ろに戦闘機がいたということなのか、どちらなのかは分からない。
2. 「既に家の近くで飛行機が3機飛んでいた」 に関してはほぼ同時に3機が飛んでいたのか、それとも日航123便が通過後にしばらくしてから戦闘機2機が通過したのかよく分からない。いずれにしても目撃者がニュース速報を見る前の時点で3機が通過していることになるが、ニュース速報を見た時刻が分からない。
3. 「18時45分頃、南の空からジェット機2機ともう1機大きい飛行機が飛んできた」 と書かれてあるが、戦闘機が日航123便の前を飛んでいたのか、その逆なのかよくわからない。その時刻に3機を同時に見たのかどうかはっきりしない。
また、非番の自衛隊員K氏 (吾妻郡○村出身) の話として、次のような目撃情報がある。(「本」の著者と関わりのある人物のHPより)
「午後6時40分頃、突如として、実家の上空を航空自衛隊のファントム2機が低空飛行していった。その飛行が通常とは違う感じがした。『何か事故でもあっただろうか』と兄と話をした。」
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2015/0810.html
この人物が実在するのかどうかは不明だが、事実なのだとしたら公式発表の戦闘機が発進した時刻に誤りがあることになる。
嘘なのだとしたら、証言の捏造をしていることになる。(「本」の著者と関係者にはそれが多い印象がある)
3.の「18時45分頃」と、非番の自衛隊員K氏の「午後6時40分頃」については目撃した時刻が明確に記されているため、「撃墜説について」で詳細を後述する。
日航123便を追う何かを見たといった目撃情報や、航空機関士がオレンジエアと発言したといった主張もあることから、よく噂に挙がるように海上自衛隊の標的機ファイアビー(オレンジ色)か、小型のチャカ2(オレンジ色)が日航123便に衝突してしまったという憶測が流れている。
あるいは陸上自衛隊の誘導ミサイルSSM-1(88式地対艦誘導弾)か海上自衛隊のGMLS-3シースパロー短SAMが誤って日航123便に命中したという主張も本やネット上に出ている。
http://ugyotaku.web.fc2.com/JAL123Sinsou/JAL123Sinsou.htm#S5
標的機の実際の運用は、ファイアビーが標的になるのではなく、ファイアビーが曳航標的機(トービー)を引っ張っていて、それが標的になる。
https://sacpon118.blog.fc2.com/blog-entry-3748.html
SSM-1は地対艦ミサイルであり対空用ではないのだから、ファイアービーやチャカ2のような飛んでいる標的機を狙って発射するようなものではない。
シースパローも、やはり事故当時に日航123便が飛行した海域に標的機が飛んでいたという話は完全なデマなのだから、ミサイル訓練のために標的機を狙って発射したが日航123便に誤って命中したというのもあり得ない。
http://ugyotaku.web.fc2.com/JAL123Sinsou/JAL123Sinsou.htm#S3
上記サイトには機体に異常が発生する6分前に 「危ない!衝突する!」 と操縦クルーが言ったようなことが書かれてあるが、流出したボイスレコーダーにはそのような会話は記録されていない。
降下を始めてから 「山にぶつかるぞ」 という発言ならしている。
そのサイトにはSSM-1が日航123便を約6分間も追いかけまわしていたと主張しているが、B747SR-100のような大型機が6分間もミサイルから逃げ続けるというのは考えづらい。
そもそも、ミサイル訓練というのは標的がなければできないことなのだから、上記サイトにあるように、標的機を使わずに対艦ミサイルであるSSM-1の誘導実験を24,000フィート(7200メートル)で行っていたとするのは無理がある。
しかし、ファイアビー(BQM-34A Firebee)とチャカ2(MQM-74C Chukar II)は地上から発射することが可能であり、もし事故当時に地上からそれを発射していたのであればミサイル訓練中の事故だった可能性もあるが、民間機が頻繁に通る場所、時間帯でミサイル訓練などを許可するバカがいるとは思えない。
https://www.mod.go.jp/j/approach/chouwa/firing/
ミサイル訓練等を行う場合は事前に関係当局の許可と告示が必要であり、自衛隊が勝手に訓練でミサイルを発射していいということはない。
これは陸上自衛隊が当時、標的機を保有していて、事故現場付近でそのような演習等を行っていたのかどうかを確認すればすぐに分かる。
(自分は確認していないから知らないが、)もしやっていたのであれば、その計画を立てて許可を出した人物がそこで何かが起きることを期待していたのではないかと言われても仕方ないだろう。(あり得ない話だが)
Northrop BQM-74 Chukar - Wikipedia
航空自衛隊の基地司令官から元戦友に 「えらいことをした。標的機を民間機に当ててしまった。いま百里基地から偵察機2機に追尾させているところだ」 という電話を掛けたとされる噂があるが、なぜそのような切迫した状況で友人に最高機密級の情報を吐露するのかという疑問がある。
戦闘機が発進したことは事実だが、少なくとも海上自衛隊が標的機を飛ばしていたということはない。
陸上自衛隊も標的機を飛ばしていなかったのであれば、訓練中の事故というのはあり得ない。
「ミサイルに撃ち落とされたんだ! 」 と口走った日航役員もいるらしいが、単なる責任逃れかもしれない。
自殺したとされる航空自衛隊員が友人に託したとされるやや不鮮明な写真があるが、もしこれが本物だとしたら決定的証拠になり得る。
この写真にはまさにJALの機体の垂直尾翼にSSM-1またはトービーかチャカ2のような物体が突き刺さっているのが分かるが、これによって垂直尾翼の約7割を失ったことで大きい穴が開き、その穴から空気が一気に漏れ出たことにより油圧制御装置や補助エンジン(APU)も一緒に吹き飛んだ可能性が考えられる。(個人的にはこの写真はガセネタではないかと思っている)
https://www.youtube.com/watch?v=ceY_C8rHn-I
「尾翼の残骸付近の赤い物体は、主翼の一部であることが確認されており、機体残骸に火薬や爆発物等の残留物は検出されず、垂直尾翼の破壊が内部から外部に向かっていること、油圧作動油が垂直尾翼から噴き出している現象を説明できないのではないか、としている」 という反論があるが、これは「自殺した航空自衛隊員が友人に託した写真」に写っている尾翼のことを言っているのではなく、墜落現場に落ちていた別の残骸のことを言っているらしい。
日本航空123便墜落事故 - Wikipedia
また、「日航機にはオレンジ色の塗装物はない」とよく言われているが、実際にはフライトレコーダー・ボイスレコーダーや機体の一部にオレンジ色の塗料が使われているため、その点に関しては間違っている。
https://www.jiji.com/jc/v4?id=osutakayama20160112&p=jal033_l
https://www.christiantoday.co.jp/articles/24259/20170812/jal123.htm
本当に圧力隔壁が破損したことによって垂直尾翼が吹き飛んだのであれば、垂直尾翼に主翼の一部が突き刺さるということもあり得ないため、「自殺した航空自衛隊員が友人に託した写真」はフェイクか、あるいは圧力隔壁説が嘘なのか、どちらかになる。
垂直尾翼損壊図を見ると、垂直尾翼の残骸は3割程度は回収済み。
「自殺した航空自衛隊員が友人に託した写真」には日航の鶴マークがほぼ全て写っているが、回収された残骸を見ると、鶴マークの一部は回収されているため、その写真に写っている垂直尾翼は、やはりフェイクなのだろう。
62-2-JA8119-05.pdf (mlit.go.jp)
62-2-JA8119-06.pdf (mlit.go.jp)
この写真には首吊り自殺をしていると思われる者が2名写っているが、首吊り自殺にしては妙に高い位置から吊るされており、踏み台も見当たらないため、自殺したとは考えにくい。
自殺に見せかけた殺人だとしたら、かなり下手ではある。やはりこの写真はガセネタなのだろう。
http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-1095.html
https://www.youtube.com/watch?v=ceY_C8rHn-I
いずれにしても喪失した垂直尾翼の約7割は墜落現場に落ちていたのではなく、それよりも早い段階でどこかに落ちていたことは間違いない。
なぜなら、まだ飛行中の日航123便の写真があるが、それは既に垂直尾翼がある程度失われた状態で写っていることが確認できるため。
(「まつゆき」が13日の時点で一部回収済み)
Japan Airlines 123 16 Part of vertical fin recovered from sea - 日本航空123便墜落事故 - Wikipedia
さらに、乗客が撮影した「謎の黒い物体」が写った写真があるが、この写真を撮ってから日航123便で衝撃音が発生するまで約6分30秒もあるため、ミサイルなどが追いかけてきたという可能性は低い。
「本」の著者はこの黒い物体をパソコン上で拡大していったらオレンジ色に変色していったと主張し、「本」の著者から依頼され、画像処理の専門家にこの写真の検証をしてもらった人物によると、
「円錐もしくは円筒のようなものを正面右斜めから見たようなイメージで、この物体はオレンジ帯の方向から飛行機の進行方向に向かっているように見えます」 「『物体』の後方にかすかに陽炎が確認できることも」
というコメントを得たという。
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2010/0809.html
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2015/0810.html
しかし、自分でこの写真をパソコン上でいくら拡大してもただの黒い点にしかみえず、なぜ拡大していくとオレンジ色に変色していったと主張しているのかと疑問に思った。
写真の右下にはオレンジ色の日付が出ているのだから、自分がネット上から入手したこの写真の場合は暖色系の色が出ないという言い訳もできないはず。
https://youtu.be/dwPgZAgyU2Q?t=511
123便から撮った10枚の写真 静かに訴える再発防止:朝日新聞デジタル (asahi.com)
「上野村小学校、中学校の文集が語る二百三十五名の目撃証言」というものがあるが、まさに墜落しそうな飛行機を至近距離で見ているのだから、それに関しては一見、信憑性があるように思えるが、その中に次のようなものがある。
「午後7時少し前、ぼくの家の人は、真っ赤な飛行機を見たと言いました。・・・」
また、当時、藤枝市内の会社に勤務していた人物の目撃情報に次のようなものがある。(この人物は「本」の著者にわざわざ直接会いに来て語ったとのこと)
「貨物室のドアがある様な場所、そこが真っ赤に抜けたように見えたんです。」
https://blog.goo.ne.jp/dora0077/e/f08984a4d143e030514b5dd16550e67b
「真っ赤な飛行機」についてはよく分からないが、 「貨物室のドアがある様な場所、そこが真っ赤に抜けたように見えた」 という話は、いかにも真っ赤な何かが機体腹部に突き刺さったかのような印象を与えるが、実際に真っ赤な何かが突き刺さっていたのであれば 「真っ赤に抜けたように見えた」 とも言わないように思える。
機体腹部を貫通して空いた穴の周りに赤い塗料が付いたというイメージもできるが、やはりそれも 「真っ赤に抜けたように見えた」 とは言わないような気がする。
(素人の完全な憶測だが、もしかしたら貨物室のドアではなく、プレッシャー・リリーフ・ドアのことを言っているのかもしれない。
もしそうだとしたら、圧力隔壁の修理の際にプレッシャー・リリーフ・ドアの取付工事もやっていて、その取り付け時にドアの内側に赤い壁か何かが付いていたが、それを取り除くのを忘れたのかもしれない。医者が手術で体内にガーゼなどを置き忘れることもあるらしい。)
機体下部には赤く点滅するライト(下方衝突防止灯)があるが、その赤く点滅するライトが「機体腹部付近の赤い物体」であると誤認した可能性もある。
「あの山、片瀬山って山なんだけど、あの上あたりから音がしたんですよ。『ドッカーン』と。」
「花火かなと思ったんですよ」
という目撃情報もあるが、このドッカーンという音はその人の言葉の表現であって爆発音だったのかどうかまでは分からない。
https://www.youtube.com/watch?v=DdaMXdJZj0w&t
墜落直前に「大きな爆音をたてながら飛んできた」という目撃情報もあるため、動画にあるように、一回だけ爆発音が鳴り響いたというわけではない可能性もあるが、恐らくドッカーンという音は日航123便の垂直尾翼と機体尾部が吹き飛んだ時の音なのだろう。
62-2-JA8119-01.pdf (mlit.go.jp)
※個人的には証言と目撃情報は区別するべきだと思う。
それなりの立場の人や実名で責任を持って発言するのと、誰かがただ何かを見たと主張することは全く別のはず。
通行人K 「私は殺人事件の現場付近の路上で22時30分頃にこの人を見ました」 というだけなら誰でもどうとでも言えてしまうのだから、少なくともそれを証拠のように扱うのは強引な気がする。
日航123便は問題発生後も何とか羽田空港まで引き返すために正しい進路を保ち、その途中にある横田基地の方向へ向かっていたようだが、なぜか横田基地の手前で群馬県の山岳地帯の方角へと針路を変え、そのまま不時着することも不可能としか思えない場所をしばらく飛行後に墜落している。
https://www.youtube.com/watch?v=OCvYlOnnmeo
それについては自分で調べた限りでは5つの可能性が考えられる。
https://youtu.be/OCvYlOnnmeo?t=2545
フジテレビの番組にあるように「秩父測候所地上気象観測日原簿」の内容や気象衛星の画像から、当時は雨が降っていて風もあったことが分かる。
横田基地の手前で急な針路変更があった直前に一度、小さく回るように機体は急旋回していて、この急旋回も運悪く横田基地の手前で積乱雲の発生により風に流されたことで機体を立て直した可能性も考えられる。
乗客が残した遺書の中にも 「今六時半だ。飛行機はまわりながら、急速に降下中だ。」 というものがあり、確かにこの事故機は回りながら急降下していっているらしい。(厳密に言えば、18時40分頃から急旋回しながら急降下している)
日航123便であるB747SR-100という機体は大型機であるため、ウインドシアの影響を受けやすい。
「大型機の事故はウインドシアによるものがもっとも多く、マイクロバーストはその一つである。」
乱気流とは - コトバンク (kotobank.jp)
「『風向や風速の急変(ウィンドシアー)』は航空機の運航に大きな影響を与えます。 特に、離着陸時の航空機にとっては重大な事故にも繋がりかねない危険な現象です。 ウィンドシアーは様々な原因によって発生し、航空機の離着陸に大きな影響を及ぼします。」
気象庁 | 航空気象 (jma.go.jp)
マイクロバースト
「雷雲(積乱雲)に伴って吹き出す強い下降気流。1975年6月24日、雷雨をついて着陸しようとして100人を超す死者を出した、アメリカのジョン・エフ・ケネディ国際空港での航空機事故では、それまで知られていた積乱雲よりも規模は小さかったが、下降気流の吹き出しdowndraft outburstは非常に強かった。そこで、このことばを縮めてダウンバーストdownburstとよび、下降気流が水平に広がったときの直径の大きさが4キロメートル以下のものをマイクロバースト、これより大きいものをマクロバーストmacroburstとよんだ。」
マイクロバーストとは - コトバンク (kotobank.jp)
油圧制御を失った状態では操縦桿をいくら動かしても何も連動させることはできず、左右のエンジン出力差によっていくらかの制御が出来ていたに過ぎないという指摘がある。
この場合、日航123便はエルロンやエレベーターが機能しておらず、操縦桿を握っていた副操縦士は全く無意味なことを必死にやっていたということらしい。
自分では操縦していると思っていたが実際にはエンジン出力調整によるいくらかの高度制御と風に流されていただけだということになっている。
機長は副操縦士を絶望させたくなくて、操縦不能であることを知っていながら励ましていただけなのかもしれない。
【可能性その2】 横田基地への緊急着陸ができなかった
この横田基地の手前で急な右旋回をしているのは横田基地へ緊急着陸するために高度を下げているためだとする考察を見た。
http://ugyotaku.web.fc2.com/JAL123Sinsou/JAL123Sinsou.htm#squawk77
位置関係を見ても横田基地への緊急着陸のために高度を下げていたと考える方が一見すると自然に思える。
この時、高度は22,000フィート(6,700 m)から6,000フィート(1,800 m) まで下がっている。 wikipediaより
実際、その時(18時40分)にランディングギアを降ろしている。
そして、横田基地の手前で左旋回し始めるのと同時に機体が急上昇している。
62-2-JA8119-05.pdf (mlit.go.jp)
横田基地の滑走路は南北方向(縦向き)に位置しており、ここに着陸する場合は北か南から滑走路に侵入する必要がある。
そこで横田基地の手前で左に旋回し、滑走路の北から侵入を試みたが失敗して群馬方面にそのまま向かってしまったという可能性も考えられる。
この事故機は羽田に引き返すつもりで右旋回のルートで東京に向かっていたが、途中で横田基地があるため、そこに着陸できるならそうした方がよかった。
そして横田基地への着陸許可が下りたことでまず小さく回るように急旋回しながら高度を下げて横田基地へ向かっていたが、機体の現在の向きと滑走路の向きが合わないことに直前まで気付かなかった。
滑走路の向きが分かっていたのであれば、横田基地との距離が狭まる前に急いで急降下する必要はなく、富士山を通過した辺りから北か南に旋回して徐々に高度を下げていけばそれでよかった。
実際は急な右旋回をしながら降下し始めた18時40分30秒より前の時点で横田基地への着陸許可が得られていなければこの仮説は成立しないが、事故調査報告書のボイスレコーダーを読む限りではそのようなやり取りは書かれていない。18時36分にジャパンエア(日本航空=JAL)からの 「羽田にもどってこられますか」 という問いに対して 「いまエマージェンシーディセントしてますので」 と航空機関士が応えており、確かに横田基地に接近しながら緊急着陸を試みているが、それが横田基地への着陸だったのか、羽田への着陸だったのかは不明。
横田基地が日航123便に対して初めて交信したのは18時45分37秒であり、この直後に 「ジャパンエア123アンコトローラブル」 と応えているが、それがどこに対して言っているのかは自分が読んだ限りではよく分からない。
62-2-JA8119-11.pdf (mlit.go.jp)
機長が 「これはだめかもわからんね」 と言っているのは高度4100mで横田基地に接近している時であり、その1分後に高度3000mまで降下させ、さらにその1分後には2040mまで降下している。
「これはだめかもわからんね」という発言の意味は、もしかしたら横田基地の滑走路に南から侵入しようとしたが無理であるように思えたため、北から侵入しようと思ってのことなのかもしれない。
その後、何とか北から横田基地へ着陸できるようにと、左旋回したが操縦が思うようにいかず、群馬方面に行ってしまったのかもしれない。
(あるいは、着陸態勢に入っている状態の時に運悪く北東の風が強く吹いたことで操縦不能に陥ったのかもしれない。)
http://hanemone.blogspot.com/2018/08/12333.html
https://blog.goo.ne.jp/jfk1122zzzya/e/5e270c80d1e464e50f2eab9f6ce4f668
もしそうなのだとしたら、この事故機は横田基地への緊急着陸を試みずに予定通り羽田に戻ればよかったのかもしれない。
しかし、この機体の状態で東京市街地上空を通過することは危険性があるのだろうから、どの道、横田基地に着陸するしかなかったように思える。
旅客機が米軍基地に着陸することなど通常であればやらないことなのだから、垂直尾翼、油圧制御装置、APUが破壊されて操縦が困難な状況であれば、直前まで滑走路の向きに気づかないということもあり得る。
【可能性その3】 政府によって着陸を妨害された
仮にF-4EJファントム2機が日航123便を追尾していたのだとすれば、この戦闘機2機を発進させた理由を推測する上で、2005年8月14日にギリシャで発生したヘリオス航空522便墜落事故が参考になる。
この事故では 「ギリシャ政府の高官は、事故の翌日に『事故機があと5分飛行してアテネの市街地上空に到達したならば、市街地への墜落を避けるために戦闘機に撃墜させるつもりであった』と発言した。」 という記事がある。
ヘリオス航空522便墜落事故 - Wikipedia
日航123便も羽田に引き返していたことに関しては間違いないことであり、垂直尾翼の損傷、油圧系統全喪失、APU喪失により操縦が困難で不安定な機体の状態のまま東京市街地に向かっていた。
もし、羽田もしくは横田基地への着陸に失敗し、東京の市街地にでも墜落するようなことがあれば最悪の大惨事になる。
この戦闘機2機はそれを阻止するために発進命令を受けて日航123便を追尾し、誰も住んでいない群馬県の山岳地帯へと向かわせるように誘導していたのかもしれない。
横田基地は東京都多摩地域の市街地に位置している
1985年頃の横田基地の航空写真
https://maps.multisoup.co.jp/exsample/tilemap/chiriin_history.html
この事故機が安全に着陸することが可能なのかどうかの判断をするために戦闘機2機に追尾させて様子を見させ、とてもそれが無理に思えた旨を指揮官に知らせていたのかもしれない。
仮にそうだとすれば、日航123便から東京ACCヘ「操縦不能」と応答しているため、その言葉だけが政府の人間に伝わってしまった可能性もある。
「操縦不能に陥っているB747(大型機)が東京に向かっています」 といった具合に政府の責任者に伝えられたのであれば、「それはまずい。阻止しろ」 と言われても仕方ないことになる。
最終的には自衛隊の最高指揮官である首相が東京から群馬方面へのルート変更を指示し、不時着することもできない場所へと向かわざるを得ない状況になったということであれば一応筋が通る。
本当に追尾していたのであれば誰も官邸に状況を知らせなかったというのも考えづらい。
この事故機は横田基地の手前までは不安定ながらもぐるっと一周するような経路で羽田に引き返しているのだから、そもそも本当に操縦不能になっていたのかどうか分からない。
かなり厳しい状況下で何とか着陸できた類似事故として参考になる事例が2つ挙げられる。
1972年6月12日に起きたアメリカン航空96便貨物ドア破損事故では、 「貨物ドアの欠陥による急減圧が原因で、方向舵、昇降舵、第2エンジンがほぼ操作不能になった。補助翼とエンジン出力の操作で機体制御。」 という記事がwikipediaにある。 (この事故では補助翼(エルロン)は機能している。)
1989年7月19日に起きたユナイテッド航空232便不時着事故では、 「尾部エンジンの欠陥により破壊。全油圧系統損失。」 という記事がwikipediaにある。 (この事故では油圧系統が完全に失われており、操縦翼面は全て機能していない。)
この2つの事例を参考にすると、もし、日航123便が東京に向かうのを当時の日本政府が阻止したのだとしたら早まった判断だったようにも思えるが、ユナイテッド航空232便不時着事故に関しては日航123便墜落事故の4年後に起きていて、しかも常識では考えられないような左右のエンジン出力差を利用した旋回とスロットル微調整による降下を試みており、通常であればこのような芸当ができるパイロットは存在しないのかもしれない。
しかも 「偶然にも事故機には、DC-10型機の機長資格を持つ訓練審査官が非番で搭乗しており、正規の乗務員と協力して操縦にあたった。」 とあり、3人のパイロットによる連携がうまく取れていたことも功を奏したらしい。
日航123便の場合は油圧が完全に喪失状態に陥っていたが、油圧はパワーステアリングのようなものであり、油圧を喪失しても非常に重いながら動かすことは不可能ではないという意見もあるが、実際には油圧が完全に無くなっている状態では全く操縦翼面が機能しないことがユナイテッド航空232便不時着事故から分かる。(同型機ではないが、基本構造は同じはず)
http://www.warbirds.jp/ansq/1/A2000466.html
つまり、日航123便はある時点からは本当に操縦不能に陥っており、横田基地手前で左旋回したのは妨害によるものではない可能性が十分考えられる。
そもそも日航123便を戦闘機2機が追尾していたという目撃情報は存在しておらず、着陸妨害説は前提条件に誤りがある。
その根拠となっている「小さな目は見た」は、日航123便のすぐ後ろを戦闘機2機が飛んでいたという内容ではなく、後でそのように思えるような内容にこじつけている。(後述)
【可能性その4】 油圧が途中で切れた
実際には油圧制御装置は喪失しておらず、油だけ抜けていたのかもしれない。
その場合、油圧制御装置の後ろにあるエレベーターは機能していなかったが、エルロンに関しては機能していたのかもしれない。
少なくともエレベーターは機能していなかったことはフライトレコーダーを見ると分かる。
迎え角(AOA)のデータを見ると、細かくフゴイド運動(縦の周期的振動運動)が起きているだけで、エレベーターが機能していたようには思えない。
18時40分頃から日航123便は高度を下げているが、このデータを見ると降下させるために機首を下げているような動きには見えない。
62-2-JA8119-11.pdf (mlit.go.jp)
機長は18時37分11秒に 「あーあああー」 と言い、その20秒後に 「頭下げろ」 と言っている。
その後も何度も 「頭下げろ」 と機長席に座っていた副操縦士に言っているが、18時38分29秒に 「両手でやれ 両手で」 と指示を出している。
これは左手で操縦桿を握り、右手でスラストレバーを握っている副操縦士に対し、両手で操縦桿を握ってもっとしっかり機首下げしてもらおうとしているやり取りらしい。
頻繁に出てくる 「頭下げろ」 という発言は緊急着陸のために高度を下げる目的だっただけではなく、機首が上がったり下がったりしていたためにストール(失速)することを恐れて言っている面もあるのだろう。
その後、AOAのデータを見ても分かる通り、操縦桿を両手で握ってからも機体が安定することはなかった。
18時50分50秒に機長は「パワーでピッチはコントロールしないと駄目」と発言しており、この時点ではいくら操縦桿を動かしても機首の上げ下げができないということがはっきり分かっている。
横揺れ角(RLL)のデータを見ると、ダッチロール(横揺れを起こしながら蛇行する現象)が起きているが、これは垂直尾翼の約7割を失い、ヨー安定性が損なわれたことによる。
そして、単にダッチロールしているのではなく、18時40分頃から18時43分頃まで右に傾いている。これは小さく回るように右に急旋回していた時間と一致している。
62-2-JA8119-11.pdf (mlit.go.jp)
日航123便は18時40分頃から右に急旋回しながら急降下をしているが、本当に左右のエンジン出力の差によってそれをやったのであれば、第1エンジンと第2エンジンの出力を強くして、第3エンジンと第4エンジンの出力を弱くしているはずだが、フライトレコーダーのエンジン出力データを見ると4つとも同じ出力であることが分かる。
つまり、この時点ではダッチロールしながらもエルロンは機能している。
62-2-JA8119-11.pdf (mlit.go.jp)
パイロットが操縦桿を動かした時に機体がそれに反応していなければ自分でおかしいと感じるのではないかと思える。
機長が羽田に右旋回で戻ることを東京ACCに伝えた8秒後に 「バンクとんな そんなに」 と言っており、副操縦士が操縦桿を動かしていなければそんなことは言わないだろう。
つまり、勝手に機体が傾いたわけではないはず。
その後も 「バンクそんなにとんなってのに」 「バンクそんなにとるな」 と繰り返していることから、副操縦士が操縦桿を動かしているのを見てそう言っているとしか思えない。
それは18時25分53秒から26分03秒のやり取りだったが、フライトレコーダーの横揺れ角(RLL)を見ても、同じ時間に右に大きく傾いていることが分かる。
一番左がRLL
18時47分16秒に航空機関士が 「ハイドロクオンティティがオールロスしてきちゃったですからなあ」 と発言しており、それはまさに横田基地手前で左旋回し始めたタイミングだった。
つまり、それまでの間は油圧が徐々に減少しながらもエルロンは機能していて、47分頃からスラストレバー、フラップ、ランディングギア、スピードブレーキ以外の操作は完全にできない状態になっていたらしい。
「オールロスしてきちゃった」 という表現からも、徐々にそうなっていったようなニュアンスがある。
その直前にある18時46分33秒の 「これはだめかもわからんね」 という機長の発言は、油圧が切れて操縦不能になることを予期してのことだったのかもしれない。
実際、18時47分17秒に東京ACCが 「現在コントロールできますか?」 と尋ねているが、機長はそれに対し、「アンコトーラブルです」 と答えている。
そして、18時47分39秒に 「おい山だぞ」、41秒に 「ターンライト」、 43秒~44秒に 「山だ コントロールとれ右 ライトターン」 と機長が立て続けに発言し、52秒に 「ライトターンですね?」 と副操縦士が発言している。
それにもかかわらず、日航123便は逆方向に針路を取っているため、やはりこの時点ではエルロンも利かなくなってしまっているらしい。
横田基地手前で左旋回したことによって日航123便は東京市街地上空に入らずに群馬方面の山岳地帯へ向かっているのだから、よく言われているように、誰がどうみても風に流されたとか操縦不能だったといった理由で緊急着陸できなかったと言われても釈然としない。
しかし、日航123便は横田基地手前まではエルロンに関しては油圧が利いていたが、その後は「オールロス」し、完全に油圧が利かなくなっているらしく、それによって操縦不能に陥り、風に流されたと考えるのが最も合理的なのだろう。
(したがって、何者かに着陸を妨害されたわけではないということになる)
【可能性その5】 富士山上空で乱気流に巻き込まれてバランスを崩した
日航123便は羽田に引き返す際に富士山上空を通過しており、その付近は山岳波という特殊な乱気流が発生しやすいことが知られている。
1966年3月5日に英国海外航空機空中分解事故が起きているが、これはまさに富士山上空で乱気流に巻き込まれたことによって墜落している。
しかし、英国海外航空機空中分解事故では静岡県御殿場市上空付近15,000フィート (約4,600m)を飛行中に乱気流に遭遇しているが、日航123便が急な右旋回をしながら急降下している場所は山梨県大月市上空であり、富士山からは約30km離れている。
急旋回が始まる時点での高度は22,400フィート(約6,800m)であったため乱気流に巻き込まれた可能性は高くはないのだろう。
横田基地手前で左旋回している場所はさらに離れている。
「山岳波は富士山のような孤立した高い山の風下で特に強くなるとされている。またその影響は標高の5割増しの高度まで及ぶといわれている。そのため当日の富士山の場合、南側かつ高度5800m以下の飛行は特に危険であり、事故機の飛行ルートはまさにその範囲に該当していた。」
大雑把に見れば、静岡県御殿場市は富士山から約15kmの距離にあり、その付近は低地であるため、山梨県大月市とは距離の面でも地形の面でも異なっている。(大月市は低地ではない)