「お金に色はない」というのが通っている世の中だからこそ、カネや名声のために悪さをしている強欲な悪党が勝ち組になるようにできている。

そしてそれは長くは続かない。

悪党というのは悪さをして稼いだカネだと思われるのが嫌だから、立派そうに見える立場も欲しがる。

そして相応しくない連中が責任ある立場として溢れかえる。

国であれ企業であれ、強欲な悪党が仕切っていれば滅ぶのは当然のこと。

いかにずる賢く他人を利用しようとも完璧にあらゆる問題に対処できるわけではないし、能力というのは他人が利用するものではなく、本人が活かすものだということがバカには分からない。

本当に価値のあるものはその価値が分かる者や能力のある者が使うべきであって、大金さえ用意すれば誰でも手に入るというのはおかしい。

これは「集合知」には程遠く、最も強欲で卑怯な集団が嘘や演技を交えながらやりたい放題やっているに過ぎない。


悪さをしていても、まともに生きていても稼いだカネは同じというのは狂っているが、それよりも、もっと根源的な問題なのは、強欲であれそうでなかれ、どういう人間であってもカネがなければ生活することすらできないという仕組みになっていることにある。

だから全ての人間がカネを求めるような社会になっているということ。

カネがあればあらゆるものと交換可能というやり方をしている限り、これは続くことになるが、これは政治家や資本家などがどうにかすることは絶対にない。

それが終わる時は強制的にそうなるのであって、責任ある立場の者達が何かをすることによってそうなるわけではない。

むしろ政治家や資本家などはそうすることに真っ向から対立する側にいる。

 

 


本当に通用する能力の有無というのは書類上の経歴や面接などで分かることではない。

一番確実なのは実際にやらせてみることだが、全員にそれをさせるのは無理があるため、信頼性のあるシミュレーターや何らかのテストでそれが実現できるのが理想なのだろう。

今、一般的に信用されている「テスト」は実際に要求される知識や技能とはあまり関係のない筆記試験になっているため、判断材料として問題がある。

全員に機会があり、向いていることで力を発揮することができれば遅れていてもすぐに追いつくのだろう。

結局、技術開発にしても会社を運営するにしても、どちらも実績のある確実に機能するものを採用して上手く組み合わせるという考えに基づいている。

そうすれば結果が出せるのだから当然であるのかもしれないが、しかしそれを単純に人間に当てはめていると使える可能性のある者まで捨てることになり、極度の人材不足に陥る。

人間の場合は機械や電子機器などのパーツとは違い、向いていることを適切な方法で教育すればすぐに成長するのだから、切り捨てるべきではないはずだが、一般的には向き不向きや教育方法などではなく、若いか年を取っているかで成長するのかどうかを判断している。

(逆に、向いていないことでいくら努力しても大した成果は出せない)
最近の日本の教育界では英語とプログラミングを小学校低学年から必修科目にしているらしいが、それもそういった考え方の表れなのだろう。

つまり、「若い頃から始めないと駄目」だと信じている頭の悪い官僚が仕切っているのだろう。

外国語の完璧な発音や絶対音感といったものは確かに幼少期でなければ獲得できないのだろうが、学習において能力のありとあらゆる要素が年を取ってからでは駄目だと思い込んでいる者達がいる。

結局、そんなことをやっていても、できる奴はできるし、できない奴はできないはず。

優秀な学生が学校の勉強をしっかりやっているから優秀になったわけではないのと同じこと。

できるようになるのかどうかは、学校のカリキュラム等は関係ない。

必修科目にした時点で、必ずしも英語やプログラミングをできるようになってほしいと思っているわけではないという言い訳はできない。


例えば、「あなたは英語を話せますか」と言われたら、日本の場合はある一定の水準を超えている層でなければ「話せます」と言ってはいけないような空気がある。

それは「お前はその程度の身分なのだから、そういう者は黙ってなさい」という文化が根付いているからなのだろう。

実際には自分が適切に学習してきた分までは話すことができるのだが、できる人とできない人という白黒思考をしているために圧倒的多数の日本人は自分が英語を話せると言ってしまうとおこがましいということになっている。

日本において「できます」と言ってしまった場合、「じゃああなたは相当の人物なわけだ」という解釈をされることになる。

では、「ある程度できます」と言った場合にどう捉えられるというと、「ある程度というと??」のような態度を取るだろう。

具体的にこういうところまでならできると言えばさすがに理解されるはずだが、そういう話ができる雰囲気ではないということ。

しかし、最悪の場合、そのような伝え方をしたとしても「ああ、そうですか・・・」といった何か釈然としないような反応になることもあり得る。

つまりそれは「こういう資格を持っているとか、どこどこで実務経験がおありだとか、そういうものがおありでしたら分かるのですが」ということのようだ。

 

程度のことや成長見込みについては全く信用がない。

だから切り捨てられる対象が大量に出てくることになる。

方法や向き不向きについても全く関心がないらしい。

この国の権力層はそれでどれほど伸びるのかということを知らない。

(本当に向いていることに取り組んでいれば、誰からも教わらなくても自分でどうにかできることが多い。自然に自分でやり方が分かっている。むしろ「先生」の言うことを聞かない方がいい場合が多い)
この国では時代の変化や成長する見込みなどを理解することができる者が責任ある立場の中にはいない。

いわゆる大艦巨砲主義というものだが、そういう愚かな民族性なのだろう。

仲間内では「人情に脆い」などと言っているが、犠牲になる者については何とも思っていない。

そういう奴らは「あなたには何ができるの?」といった態度を取るのだろうが、それは実際に何ができるのかという意味ではなく、今までにどういう経験を積んできたのかやどこに所属しているのかという意味で言っている。

それが人物評価の唯一の指標なのだろう。

機会を与えて資源を使わせてみたが駄目だったという意味で言っているのではない。

何も苦労もせずに上でのさばっていればそういう道理も分からないのだろう。
この国には虐げられている不幸な奴が非常に多い。