カネで回る経済を廃止して物を配る経済に変えれば、不要な物が与えられるということもなくなる。

カネで何でも交換可能ということにしているから必要以上に欲しがるようになり、悪さをする奴らが後を絶たない。

物を配る経済になれば欲しくもない物を貰ってもしょうがないのだから本当に必要な物が相応しい人物の元に届くようになる。

(例えばいくら高価なものだとしても、80歳ぐらいの老婆がフェラーリなどの馬力のあるクルマを貰ってもしょうがないということ。そしてそれを売ってカネに変えるということもできなくすれば相応しくない人物が欲しがるということもなくなる。)


今の経済の仕組みは何をしたのかではなく、立場に対して報酬を支払うようになっている。

だから皆、立場を良くしようとする。

それは役に立とうと思っているのではなく、自分が豊かになればいいという精神になっている。

人に与えられるものはなるべくカネではなく、カタログギフトのような形を取った方が健全なのだろう。

(カタログギフトの場合もいくら高価なものだとしても要らないものばかり載っていてはしょうがないのだから、本人が必要としているものや欲しがっているものでなければうまく機能しない)

働いて金持ちになればいいだろとか、偏差値の高い大学に入っていいところに就職すればいいだろとか言っている奴は、この世がフェアであり、成功者以外の者は皆、怠け者でしかないと言っていることになる。

それではあまりにも稚拙で、理解が乏しく、侮蔑的な態度になり、何の苦労もせずに歳を取ったのか、あるいは何か触れられたくないことがあって暴論を言っているのか、そのどちらかなのだろう。

偏差値だけ上げても役に立つ人材になれるかどうかはまた別の問題でもある。

 

カネというのは立場に対して支払われるのだから、低い立場であればいくら働いたところで金持ちになどなれるわけはないし、キツイ仕事を長く続けられる者などいない。

働いて金持ちになれるなら誰もキツイ仕事など長期間やらなくなるのだから、皆が金持ちになってしまったら今の経済は成立しなくなる。

そもそもそういう仕事に対して高い給料を払うこともないのだから金持ちになることは不可能。

困っている立場の者に嫌々ながらキツイ仕事をやらせ、下支えさせる仕組みになっているに過ぎない。


最近では芸能人や起業家などが妙に、いかに自分が働き者なのかということをアピールしているが、自分が妙に高収入であることのつじつま合わせのような雰囲気があって気味が悪い。

大して役に立っているわけでもない奴がどうしてそんなに金持ちなのかという疑惑をかわすためにやっているかのような印象を受ける。

 

 

 

貧困問題はいずれ解決するなどと言っているビリオネアがいるが、もしそうなればさらに世界の人口は爆発的に増えることになるのだから、そういう意味でも貧富の格差が解消することは永久にないだろう。

そもそも貧乏な奴隷がいなければ成立しない世の中なのだからあり得ない。
結婚や子供を持つことはある程度の経済的余裕がなければできないことだし、それなりに裕福な者がわざわざキツイ仕事を選んで奴隷のように働くわけもない。

人口がこのまま爆発的に増加することも、皆が裕福になることも、どちらもビリオネアにとって極めて不都合であることは明らかなのだから白々しい。
ビリオネアに限ったことではないが、「皆の幸せを願っています」などといった論調の話をする者は、本心では「俺の幸せのためにお前らは犠牲になってくれ」と思っている。

あるいは自分にさえも嘘を吐き、自覚すらしていない精神的に弱い奴もいるのだろう。

世の中の仕組みを根本的に変えない限り、今の極端な格差社会が是正されることは絶対ない。

そしてそれは今の金持ち達が最も望まないことであり、基本的には彼らは現状維持を望んでいる。

せいぜいカーボンニュートラルがどうとか騒ぐぐらいのことしかしない。

それは新たな利権争いやビジネスの話をしているだけで、貧乏人は誰もそんなことを気にしてはいない。(二酸化炭素排出権取引、電気自動車、原発などの環境利権)