カネという数字が存在しなくなったとしても経済(生産活動)は成立する。
例えば、働いた対価としてカネを貰うのではなく、働きに応じて欲しいものを要求し、要求された物やサービスを分配するというやり方でも経済になる。
当然、最低限の暮らしが営める程度のインフラ(電気、ガス、水道、インターネット、教育機関、医療機関、交通機関など)の利用も約束されていなければならない。
これは物々交換などではなく、貢献度に応じて欲しい物が手に入るという権利のことを言っている。
数字が大きければ大きいほど良いという社会ではなく、物やサービスそのものにどれほどの価値があるのかということを数字以外の方法で表すことができればよい。
(逆に、今の社会はどんなにくだらない物であってもとんでもない金額を要求する物もあったりする。金額が大きいほど価値があるわけではないが、そのように錯覚するバカも多い。)
カタログギフトというものがあるが、これもカネではなく相手が欲しいと思っている物を与える一つの方法ではある。
今の社会では希少価値のある物に対して大きい金額を要求する仕組みにしているが、本来であれば本当に必要としている者に与えられるべきだろう。
カネというのは強欲な奴や金持ちにとってのみ必要なものというわけではなく、どんな貧乏人でさえもそれがなければ生活することすらできないというものにされてしまっている。
だから万人にとって必要なものだとか価値あるものだとかいう認識になってしまい、それが問題になっている。
富の独占や貧困問題といったことが問題なのではなく、「この世は全てカネよ。カネがなければ何もできないし生きていくことすらできない」という仕組みが根本的な問題。
だから現代人はカネに夢中になっている。
ベーシックインカムなどの議論もバカげている。
最低限の所得を保証するのではなく、最低限の暮らしを保証すればそれでいいだろう。
生活保護であっても水や食料や生活必需品などではなくカネで支給されていて、中には生活保護費をパチンコや競馬などのギャンブルで使ったり、犯罪目的で道具を揃えたりするのに使ったりする者もいる。
生活保護費を何に使おうが自由であり、そういうことをしてカネを失っても、まだその人物を助けなければならないというのであれば悪党天下も甚だしい。
結局は今の仕組みを変えたくない層が主流派の学者であったり政府側の人間であったりするから堂々巡りになっている。
実際にはどこの国であれ純粋な資本主義や社会主義ということはないはずだが、「資本主義VS社会主義」、「社会主義は失敗した」、「資本主義が成功した」などとメディアでは不毛なことばかり言っている。
あまり数字に頼らない方がいいのだろう。人間は数字を見ればそれが何であれ信用してしまう性質がある。
数字で捉えることで分かりやすく感じたり、コントロールしやすくなったりするが、それが問題になる。つまり騙されやすくなったり、間違っていてもそれに気付きにくくなってしまう。
現代社会はカネが単に生活に必要な物やサービスの交換手段というだけでなく、あまりにも人間の欲望を刺激するような意味を持つようになった。
「カネ」と聞いただけで目の色を変え、是が非でも手に入れなければならないという心理に駆り立てられている。
この社会はビリオネアなどと呼ばれるような極端な金持ちと、年収1000万~2000万クラスのそこそこの金持ちと、年収500万~800万クラスの中流層と、年収200万~300万クラスの低所得層と、年収100万クラスの自立が不可能な超低所得層と、年収0クラスの社会生活が制限されている落伍者層(落伍者という表現は必ずしも正確ではないが、日本語には他に適当な言葉が見当たらない)に大体分けられ、それに加えて職業に対する階級意識などがある。
収入がいくらあるのかと、職業に対するイメージしかないという至極単純化された世界で生きている。
(当然、ビリオネアの前にはミリオネアがいるが、それらは人を使っている側であり、どちらも労働者ではない。特殊な世界のスーパースタークラスでもなければ使われる側の人間はそのような金額の収入にはならない。つまり、階級意識とカネぐらいでしか人を見ておらず、社会を構成する存在としては、人のことをそんなに細かく知っているわけではないということ。)
要するに、ほとんどの人間は金持ちになどなれずに生涯を終えるのだから、収入のことばかり追求していても実際には達成できるわけではない。
できたとしても、それがずっと続くという保証も普通はない。
実際には、労働力や資源や物流などに問題が起きればいくらカネを持っていても欲しい物やサービスを手に入れることなどできなくなるのだから、カネに重きを置く社会は非常に不安定で脆弱な仕組みだと言える。
それなのに多くの人間は金持ちになることを第一義とし、カネに釣られて悪さやバカなことをして自滅している。
「金持ちなれるかどうか、それはあなた次第です」
「幸福になる人の特徴、不幸になる人の特徴」
「幸福な人は自分のためになることをします。不幸な人は文句ばかり言っています。(政治に関心を持つなといったこと)」
といった幻想を毎日ようにどこでも見かけるが、それを釣りや詐欺などと思わず、ついつい巧みな言葉に惑わされ、騙され続ける愚か者で溢れかえっている。
そして散々自滅した末に不利な条件ながらも真面目に今の社会で嫌々ながらいつまで続けられるか分からないことで働くしかないと諦めることになる。
というより、国がそのように用意したプランに「あなたがそれに適合できるかどうかなんですよ」というような態度で無言の強要のようないやらしい手法により服従させようとしている。
そういった不利な立場の人間によって社会が支えられている。
(この国の「上の人間」は昔からやり方が変わっていない。
昔は特攻などというイカレた自爆攻撃をさせていたが、今は社会で役に立たなくなったと判断された者達に株やFXなどをやらせて人生を犠牲にする突撃をやらせている。
形の上では強要しているわけではないが、不幸な境遇の者に虚像のカリスマによる成功体験談を聞かせてその気にさせ、自らの意思でそれをおやりになったなどという薄汚い悪知恵を働かせている。
2021年11月時点で性懲りもなくまた新たな刺客を差し向けてきている。)