いかに直感が優れ、分析も優れていても間違えることはあるのだろう。

だから間違いを認める自覚が常に重要。

何が優れていようが劣っていようが、間違っているということに気づかないことが最も危険になる。

常に100%の確率で当て続けることなど誰もできないはず。


ダニング=クルーガー効果について調べるテストでこういったものがカラパイアで紹介されている。(ちなみに、このテストは間違いを認める自覚については言及していない。またダニングとクルーガーはイグノーベル賞授賞者。)


「バットとボールの値段を合計すると110円になる。バットはボールよりも100円高い。ボールはいくらか?」
パッと思い浮かぶのは10円だ。しかし正解は5円(ボール 5円 + バット 105円 = 110円)。正解を導くには直感的にひらめく答えを分析して、検証しなければならない。
「直感に頼る人ほど、自分を過大評価してしまう」


これは10円という答えを言ってしまった場合(そもそもそういうものが直感なのかどうかは分からないが)、「この人はバカなのに自分を有能だと思い込んでいる」ということになるのかどうか。恐らくならないだろう。
このテストは勘違いを誘発するテストであって、直感が当てにならないことを証明するテストではないような気がする。

これは短絡的に物事を捉え、よく確認をしなかった場合、間違えてしまうということを測るテストであり、直感というのは思い付きのことを表しているように思える。

自分を過大評価する人がすぐ誤りを認めるとは思えないため、恐らくこれはダニング=クルーガー効果とは関係ないテストになっている。

これは単なるひっかけ問題でしかなく、「能力の低い人物が自らの容姿や発言・行動などについて、実際よりも高い評価を行ってしまう優越の錯覚を生み出す認知バイアス」をテストしていない。

確かに、被験者に自らのスコアを予想させた結果、実際よりも高いスコアになっていたことにはなるが、被験者にひっかけ問題をやらせて研究者の思惑通り勘違いさせ、勘違いしたまま予想スコアを出させるのであれば、大抵の人は実際よりも高いスコアを出してしまいそうなものだろう。

実際のスコアと同じ程度かずっと低い予想を出した人は、余程慎重な人なのか、あるいは正直ではない人なのか、そのどちらかのタイプという感じがする。(そもそもこんなテストが何らかの利害に関わるわけではないのだから、そんなに慎重にはならないだろう)
このテストで間違った答えを出しているのに正しいと思い込んでいた人の中で、一体どれだけの人が自分のことを優秀だと信じていたのか、ということ。

誤りを認めないのであれば自己評価も高そうだが、このテストではそこまで言及されていない。

ただ間違っているのに正しいと思っていたことだけが分かっている。

このテストでは、被験者に答えさせた内容が間違っているのかどうかを被験者に伝えず、ただあなたのスコアはいくらなのかを尋ねたようだが、実際のスコアと予想スコアとの乖離だけで二重の重荷を背負う(正しく自分を判断できないばかりか、それに気づくことすらできないこと)とまで言えるとは思えない。

この被験者らは答えを知らされた時に「ああ、そうだったのか」と思うだけであり、この程度のテストで自らを高く評価していたと言っていいとは思えない。

なぜなら、このテストはつい「10円」と答えたくなってしまうように誘導していて、意図的に間違えさせようとしているものであり、簡単な問題ではあるがよく確認をしなかった場合、間違えてしまうという類のテストでしかない。

そして、答えを知らされていない状態で予想スコアを出してもらい、実際より高い場合は「低能なのに有能だと思い込んでいる人である。そしてそれに気付くことすらできないのである。」とまでしてしまうのは不十分な証拠で結論付けているように思える。
(個人的にも、このバットとボールの問題を見た時、「10円でいいんじゃないの?」とすぐに思ったが、ひっかけ問題であることを知り、「ああ、そうなのか」と思っただけだった。余程警戒していなければ大抵の人はそう答えてしまうのでは?ということ。つまり、紙に書くなどして進めていったり、自分で答えを出した後に確認をするという作業をいちいちやらなければ普通は間違ってしまいそうなものだろう。これは明らかに間違った答えに誘導している。)


私見だが、本当に自分を過大評価している人物というのは、自分の間違いを認めない人物のことだと思う。

間違いを指摘された時に素直に認めるのであれば、自分を過大評価している人物だと言えるのかどうか。

このテストで間違えてしまった人の多くは「あれそうじゃないの?ああ、そうか、間違っていたのか」ということになるだけであり、自分の間違いを決して認めようとはしないという傾向があるとは考えにくい。

「あれ、そうじゃないの?」は「俺は正しいのに!」とは異なっている。

二重の重荷(正しく自分を判断できないばかりか、それに気づくことすらできないこと)というのはまさに「俺は正しいのに!」のことだろう。
 

リーダーや責任者というのは予想などの間違いを認め、軌道修正する能力が常に求められている。

「俺は絶対正しいから従いなさい」とか、「最初にそう決めたんだから今後もそれを通す」といったタイプの人間が指導的立場になればまず間違いなく破滅するだろう。
よく、「科学的」という言葉を正しい手法に基づく信頼性のあるものだと思われがちだが、科学の常識が後の研究によって覆されることは往々にあるし、大抵、科学的という言葉を使うのはデータに基づいた分析に頼った手法のことのように思える。それには誤りがよくある。

統計データに基づく調査などが典型例。

新型コロナの感染者数のデータで疫学調査などをやっているが、間違っているとしか思えない数字を出している。

裕福な家庭の方が高学歴になることが多いが、「裕福→高学歴→頭がいい」という認識になっていたりすることがよくある。

昔、沖縄の人は豚の脂を食事でよく取ることが多いが、沖縄の人が長寿である秘訣と何か関係があるのではないかという報告もあった(現在の沖縄の人はあまり長寿ではないらしい)。 

UAEザイード大学などの研究グループが行ったとされるこのテスト結果もまさに科学の誤謬そのものだろう。
 

直感に頼る人ほど、自分を過大評価してしまうダニング=クルーガー効果の罠にはまってしまうという研究結果 : カラパイア (karapaia.com)