※数年前に書いたメモ

 

サルトルのような態度は恐らく病的だといえる。全てが無意味で偶然存在しているに過ぎないという考えは、あまりにも極端にやらなくていいことを追求した結果だと思われる。
真実だとしても追究するべきことではない。世の中にはそのままにしておいた方がいいことがある。

徹底的に追求し、解明しようとし、踏み込んではいけない領域に入り込む行為は何のプラスにもならないどころか周りの迷惑になったり自分を苦しめたりするだけだろう。(そもそも哲学とはそういった極端な追求のことなのだから、サルトルだけが特別、病的なわけではない。)
誰しも生きていればそのことに大なり小なり気づいているはず。例えば、食事や読み書きや受験勉強などもそうだろう。

腹が減ったから食う、コミュニケーションしたり記録を残したいから文字を使う、やらなくていい領域にまで手を出すと効率よく暗記できない、こういった自然に備わっているもの、バランス感覚をサルトルのような思想家は無視しているのかもしれない。ゲシュタルト崩壊に似た異常をきたした状態。
「人間は自分を既定するものが何も無いという自由から不安になる。だからこそ自分自身で意味を見出さなければならない。」とするのは、人間を自然の一部として考えていない。

世界や事物といった存在の意味は人間が決めることでも神が与えるものでもなく、プログラムされた通りに発生したり現象が起きたり人が必然的に選択したりするもの。

様々な要素があり、化学反応のようなことが起きる引力のような原因があり、必然的に結果が出ている。

人間が自分の意思で選択していると思っていることでも、実際はそう選択するようにあらかじめ用意された条件によって決まっている。

そう選択せざるをえない組み合わせや状況になっている。

誰かが何かを選択するとき、自分の意思ではなく条件によって選択は変わる。

そうではないのだとしたら、何を持って決めるんだということになる。
意味というのは実存そのものであり、実存こそが結果だといえる。

何かがどこかに存在しているという結果が実存であり意味だろう。

つまり、存在や意味といったことはフローチャート上の下流に行けば行くほど具体化し固まってくるものであり、実存が先立つわけではない。

「孤立を恐れずに自分の生き方を探していく」という発想は、孤立を恐れ、自分の生き方が何なのかがはっきりしない不安から来ている。

これは結局、真実を知らなかったり異常な時代背景などがあったりすることでそういう意識に陥っているのだろう。
人生は選択によって決まるのではなく、良い条件・悪い条件がどれだけ揃っているのかで決まる。

どう選択するのかは条件次第なのだから、人ができることは選択ではなく、良い条件を出来るだけ多く揃えるために努力すること以外に何も無い。そしてその努力はそれほど大きくは結果に影響しないのも事実。
世の中は不公平に出来ていることぐらい、大人であれば誰でも知っているが、サルトルのような思想はそれを歪曲している。

解釈のしようによっては、サルトルの言っていることは弱者を手なずける危険思想にもとれる。

人は実存が本質に先立っているのだから誰がどうなっているのかは自分の選択次第だと言うのは、結局、世の中の不公平さを見えにくくするものに他ならない。
サルトルの女が「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」などと言っているが、こういう屁理屈が影響力を持つに至った理由もやはり、戦後間もない頃の不安と混乱の中で人が拠り所となるものを求めている心理にうまく入り込んだためだろう。
サルトルが「既定」をやたら嫌っているのは、劣等感によって他人からの見られ方を気にしているところから来ているようだ。
自分ではどうすることもできないことで自分を否定されることを人は最も恐れ、憎むのだから、それに対する抵抗を思想化したものが実存主義だろう。現実に起きていることは、自分ではどうすることもできないことで自分の運命が決まってしまっている、ということだが、それを認めるわけにはいかないという思想だと解釈できる。
サルトルは、認識は悲観的であり、意欲と希望は楽観的だと言っているが、そういうせめぎ合いの中で前に進んでいる。

元々、存在は無意味で偶然にすぎないと認識しているが、結局は自己否定にならないように、本当の病気にならないように自分の認識や現実の世界に対して抗っている。
実際は、全ての存在は無意味で偶然にすぎないとまでいうとそれは極端だし、組み合わせやその反応によって選択が必然的に決まっているという現実を無視している考えだと取れるから、サルトルの認識自体、やはり時代にかなり翻弄されていると言わざるを得ない。
つまり、人間は自分にとって有利な条件を揃えればその分だけ良い選択をすることになるのだから、そのために努力することが有意義なのであって、認識において悲観的になる必要はない。夢想こそが無意味であり、現実に効果のある方法を考案したりして自分に課せられる条件を変えていけばそれでいい。
ほとんどの人間はこのようなことを理解しているが、期間限定でそうなっている。他人や制度などによって機会を制限され、それを過ぎたらもう終わりだと認識する。

確かにある程度の年になってから達成してもあまり意味の無いこともあるだろうが、どういう状況になったとしても改善する方法は何かしらある。その時にできることが限られていても全てがどうしようもないということはない。

どうしようもないことと、どうにかしようのあることの区別ができない人間が多いのだろう。
また、人間には、相場で長く立っていられる者と同じように、少々の傷を負っていかなければ生きられない宿命がある。

無傷で生きていくことはできない。このようなことも含め、現実を無視せずに自らを強化していく他に正常に生きる術はない。



※さらにその数年後に書いたメモ (今はその「番組」を見て感想を書いた時よりもさらに自分も世の中も悪い状況になっている)

サルトル研究の第一人者によってサルトルについて分かりやすく解説されていた番組を見てから約3年後の今、また考え直してみる。
「人間の本質はあらかじめ決められておらず、実存(現実に存在すること)が先行した存在である。

だからこそ、人間は自ら世界を意味づけ行為を選び取り、自分自身で意味を生み出さなければならない」という「実存主義とは何か」は、やはり納得できない。

この、人間の「実存は本質に先立つ」という考え方は、主に職業、家柄、人種、経済力、特技、容姿といった人間のアイデンティティ(人間の本質)よりも先に、ただ自分という存在がまず世の中にあるんだ、ということを言っているらしい。

しかし実際には自分の意思で世界や自分の存在意義などを意味づけしたり、意味を生み出したりしているとはやはり思えない。

人間の人生に特に影響を及ぼすのは、主に、家庭、国、時代、(先天性であれ後天性であれ健康さえもそれらに左右される。もちろん教育も。)だといえるが、これらは自分で選択しているわけでもないし、自分で意味を見出しているわけでもない。

あらかじめそれらの影響下に置かれている自分が、自分や世界を定義しているに過ぎない。

サルトルは紙を切るためのナイフの喩えで、紙を切るという本質が先にあり、その目的のためにナイフが作られることで実存に至ると言っている。

そして人の場合はそのような本質を何者かによって先に与えられてから実存するのではなく、先に実存してから自分の存在意義などを選んでいるという。

しかし、それは人間に限らず動物であっても同様のことがいえる。

確かに動物は人間のように自分を何者かという自覚をすることができないが、動物も先に本質を何者かによって定義されたりデザインされたりして生まれてくるわけでもないし、生まれた後に群れのNo.1の座に君臨するにしても、どれぐらい長生きしたり、子孫を残したり、健康でいたり、餌にありつけるのか、ということにしても、自分で選択していない。

人間の場合も実際には動物と同様に、その時の条件によって必然的にある方向に進んでいくだけで、自分で選択してはいない。

もっといえば、動物的な価値観も人間の価値観も実際のところ、大した差はなく、皆、権力を欲しがっているし、子孫繁栄、健康長寿、餌(富)などを常に意識し、目的としている。

「人間の本性は存在しない。その本性を考える神が存在しないからである。」というのであれば、人間の遺伝子というものは一体何なんだということにもなるし、人間も生物の一種なのだから、本能的に自分にとって都合のいいように考えたり、行動したりすることは否定のしようがない。

また、人間の場合は王族や伝統芸能の家のように、特殊な例も一部存在し、生まれる前から本質が決められている者もいる。そういう人達はどうなんだということにもなる。
家庭、国、時代が最も人生に影響を及ぼすというのは、どこかの研究チームがどこかで発表していた内容だが、そんなことは聞くまでもなく自覚していた。

この研究チームは「努力というのは驚くほどに人生に影響しない」ということを主に言っていたが、確かにある意味ではそういえる。しかし、それには語弊がある。

以前から自分で言っているように、どういう条件で生きていくのか、有利なのか不利なのかが人生を良くしたり悪くしたりするのだから、それを少しでも改善しようとする努力であれば人生に影響するだろう。それが希望になる。

自分ではどうすることもできない要素によって人生が決まってしまい、努力はほとんど影響しないというのであれば、絶望することになる。

恐らく、あらゆる有利な条件を揃えた人間であれば最初から最後まで順風満帆で、波があっても小さいものでしかなかったという人生もごく少数ではあるが存在するのだろう。

サルトル自身も晩年には希望をつくり出さねばならないと言っているが、その答えを出してはいない。

どうすれば希望を持つことができるのかということが重要なのであって、「ただ、この希望、これを作り出さねばならない。」と言われてもどうすれば希望が湧くのか分からない。
基本的には、人間であっても損得勘定で物事を見るべき。なぜなら、それが生物として最も嘘のない考え方だから。
時代が時代ゆえに、「生きる意味の問い直し」を説いたサルトルを救世主のように捉えている向きがあるような気さえする。

不安や混乱などに対して明確な答えを示す者としてすがっているようにも見える。

それが哲学者であるはずなのに宗教的影響力を持っているような気がして危険に思える。

宗教は自分達が信じるものとは異なるものを信じる人達を敵視することに繋がりやすいため、危険だといえる。

サルトルが言っていることは一つの解釈でしかないはず。

(サルトルの葬儀の日には5万人も集まったというのだから、かなりのインフルエンサーだったことになる。宗教では開祖の元々の思想とは全く異なる別の宗派を勝手につくり、新たに勢力化するということがよくあるが、不安が強く働く状況で一挙手一投足が注目されるような強力なインフルエンサーの場合にもそのようなことが起きうる。)
サルトルは、人間は根源的に自由だ、自由という刑に処せられている、と言っているが、人間は根源的に不公平だというのが真実だろう。

人間の場合、その不公平感を認識することができるが、サルトルのような影響力のある思想家にはそれを見えにくくする効果がある。

それこそがサルトルは危険だとか気に食わないと思わせる理由になっている。

マルクスの場合はその不公平さをどうにかしようとしたが、サルトルは本当の問題を隠しただけだった。
サルトルは積極的に社会に参加し、街頭演説のようなことをしたり、道端で偶然会った赤の他人と親切に話をしていたりするが、社会が不安と混乱に陥っている時にこのような行動を取ることは、カリスマ的な指導者がよくやるパフォーマンスと似ている。

もし本当に人間が「根源的に自由」で、「実存は本質に先立つ」のであれば、アイデンティティに関わることを自分で選り取り見取りで自由に手に入れられるという悩みを生まれながらに抱えていることになってしまうが、現実はただ不公平でしかなく、自分が欲しい物を選択することなど実際にはできない。

その時のその条件で一番マシなものを選ぶようなことになるが、一番マシなものを選ばない者は普通はいないのだから、これも選択とは言い難い。
世の中には確かにいい思いをしている者もいれば酷い思いをしている者もいる。

そしてそれらは本人の哲学的な理解や、努力や、人格などで結果が決まっているのではなく、最初から不公平だから人生に大きく影響している。

酷い思いをしている側からすれば、サルトルのような思想などでは全然大丈夫ではないですということになる。

それぐらいで実態や現実が変わるなどということはなく、全然大丈夫ではない。

現状に不満を抱く層を抑え込むような思想よりも、庶民への減税でもやってもらった方が弱者の側からすれば余程助かるが、この国ではまさにその逆をやっている。

つまらない思想を広めようとし、搾取の限りを尽くしている。

試しに現状に満足しているブタのような贅沢な暮らしをしている連中からいろいろと奪ってみればいい。その途端に連中も俺と同じことを言うようになる。哲学や思想なんていうものは所詮、その程度のものでしかない。
自分なりにサルトルを吟味し直してみたが、やはり面白くはなかった。

哲学の世界の中でみても、特につまらない奴だと思える。

サルトルは哲学者としても作家としても成功し、大金持ちだったが、亡命者などにカネをばら撒き、一文無しの状態で死んだと言われているが、貧乏人というわけでもないし、ペットに餌をやるという満足感も得ていた。

日本に来た時も講演で2千人の定員に対して3万人の応募があったといわれているが、フランス語で話しているのに何を話しているのか理解できた者は一体どれだけいたんだという感じもする。(普通に考えれば通訳がいたはずだから、これに関しては間違っているのかもしれない。その様子を映像で見た時は通訳らしき人物がいなかったような気もする。)

つまり、本当に多くの人がサルトルの思想に賛同していたのではなく、流行やカリスマ性のようなものを備えた人物という印象を受ける。

サルトルもただの人間だし、いくら頭がいいといっても実務的な方の仕事をしていたのではないのだから、世の中で何か起きる度に一々「あなたはどう考えますか?」といったことを訊かれても、本当は困っていたのではないかと勘繰ってしまう。
どの番組でもマルクスについて解説したり紹介したりしないのは、今の支配層にとって最も不都合な人物だからだろう。

サルトルは役に立たないからマルクスのことをやって欲しいが無理らしい。
2018/06/10