人間が言葉を話すことができたり人の話を理解できたりするのは元々そういう能力が備わっているからに他ならない。
文法の勉強をしたからできるようになったわけではない。
当然、人間の赤ん坊が狼に育てられれば言葉に触れることもないのだから覚えることもできないが、人間と一緒にいれば勝手に覚える。
「文法の」「勉強を」「やったから」「言葉が」「わかるように」「なりました」
といった具合に異常な分析や解読じみたことに付き合っていたら本来備わっているはずの能力が破壊され、母国語さえも不満足になるだろう。
文法をやらなくても会話ができるようになるというより、文法をやることで会話ができなくなる。
例えば、2歳~3歳ぐらいの子供でも何もしゃべれないわけでもないし、相手の言っていることが何も理解できないわけでもないが、それは生まれた時からしっかり文法の勉強をみんなが頑張ってやってきたからできるようになりました、ということではないはず。
読み書きに関しては勉強をしても害になることはないが、口頭でのやりとりであれば勉強の仕方次第では害になることがある。
自分が話している内容が意味を持った正しい言葉になっているのかどうかは、基本的には文法でわかるのではなく、相手の反応でわかる。
変なことを言っていれば相手は変な顔をしたり会話が成立しなくなったりする。
だからテレビやビデオなどで言葉の勉強をしていても覚えることはないのだろう。
2歳ぐらいまで言葉らしい言葉は何も話せなかったが、3歳ぐらいから急に喋るようになったという例をよく見るが、これは親が自分の子供に接する場合は子供が何を欲しているのかを察することが多いために、子供にとって刺激にならず、ろくに喋らずとも伝わってしまうことでなかなか言葉を覚えないということらしい。
そして3歳ぐらいから幼稚園に行くようになることで急に話すようになる。
一般的にずっと母親と二人だけでいるとなかなか言葉を覚えないと言われている。
0歳~3歳までの過程と3歳~6歳までの過程では必要になることが異なる。こういったことは言語学者ではなく幼稚園教諭や小児科医の方がよく分かっている。
農耕民族はチームワークが求められるためか、以心伝心や空気を読むといった性質を持っていることが多いが、それによって言葉も個人差があまりないのだろう。(日本にも地域によって方言というものがあり、現地の人でもなければ何を言っているのか分からない言葉もあるが、恐らくほぼ全員が標準語を話すこともできている)
一方、アメリカのような他民族国家で農耕民族でもないような場合は、極端に言えばあまり人の言うことを聞かず、自分の意志で勝手に行動する傾向があり、言葉も英語という一つの言語が母国語ではあるが、話し方や発音などが統一されているとは言えないように思える。(恐らく軍隊と刑務所だけは例外)
それでも意思疎通ができないということはなく、自分が要求していることが通ればそれでよいといった具合に会話が成立していることもあるらしい。
結局は自分も相手も目的が達成できていればそれでいいのだから、言葉を覚えたいのであれば自分が何を要求しているのかを明確にしたり、相手が何を言わんとしているのかを理解しようとすることが重要になる。