明智光秀が大恩人の信長を討った理由は、コミュニケーション不足でも折檻でもなく、ただ自分のクビが掛かっている状況で主君を討つ千載一遇の好機が訪れたためでしかない。

光秀は非常に頭が良かったが、時間がなかったために十分な準備もせず、焦って間違ったことをやってしまったに過ぎない。

仮に信長が温厚な性格で普段から部下とのコミュニケーションを大事にする人物だったとしても、光秀のクビが掛かっている状況であればやはり裏切られたはず。

今までに一体どれだけの「いい人が」裏切られてきたのかということでもあるし、どれだけの「ろくでもない奴」がのさばり続けているのかということでもある。
厳密に言えば、光秀は首が掛かっていたというより、まだ敵が治めている領地への領地替えを命じられていたのだから、過酷な条件にさらされていたというべき状況だった。

信長は「中国・四国・九州を平定したら、大艦隊を編成して唐土を征服する」という計画を立てていて、天下統一後も海外へ侵攻することが部下にも伝えられていたが、光秀は自分の身分や領地などの保障が確実だったのであれば、今後も長く続くであろう戦に明け暮れた日々に悲観して謀反を起こすということはなかったはず。
https://biz-journal.jp/2015/10/post_12092_2.html
よく、トップの拡大路線に行き過ぎがあり、部下達がついて行けなくなって裏切られたとする説が唱えられることがあるが、それは大きい失敗があってはじめて起きる。

上手くいっている内は大抵は誰も異議を唱える者はいない。

拡大路線が上手くいっているのであれば、それはむしろ偉大な功績になるのだから、普通はそれを疑問視することはない。


信長は最高司令官だろうが幼少の頃から長く使えてきた者だろうが容赦なく追放する人物だったのだから、明らかに本能寺の変は恐怖が一因だったと言える。

しかし、某自動車会社のクーデターを見ても分かるように、自分の立場が危うくなることが最も人を追い詰める。

それが生存に関わる危機意識を強く持たせ、自分を守るために本能的に攻撃的な行動に駆り立てるのだろう。
また、信長はゆくゆくは日本の王になり、天皇家を自分の下の立場に置こうとしていたともされているが、それも討たれる理由ではなかったはず。

結局は自分の食い扶持次第だったように思える。

 

信長は光秀に領地替えの話をしていなければ殺されなかった。

領地替えということは今自分が納めている領地を没収されるということになり、そこに自分の家臣や領民を置いていくというわけではないのだし、自力で出雲国と石見国の二国を平定しなければならないのだから兵の数もかなりの数が必要になる。(実際に敵がまだ支配している土地への領地替えがあった時に兵以外にどういう人達が移動することになるのか詳細は分からないが、領主と重臣だけが引っ越してそれで済むという話ではないはず。)

しかも京都からも遠く、土地勘のない場所でもある。今自分が納めている領地に加えてさらに領地が与えられるのであれば何も問題ないが、没収された上で敵が長年治めていた土地に全員移ってそこを支配しなければならないということであれば家臣や領民を養うことは事実上不可能に近く、相当の負担になる。(ここで言う「全員」というのは当然移動する必要のある者全員という意味。)

つまり、怨恨や左遷というよりは暮らしが立ち行かなくなる事態に陥っていたと言った方が正確だろう。

光秀がこの時に信長から言い渡されたことはクビだと言っても過言ではなく、相当意地の悪いことだと思える。

実際には領地を没収されてからの敵国の平定だったのか、それとも平定までは没収されないということだったのかという順序は分からないが、いずれにしても相当困難なことだし、前者の方であれば不可能なはず。

常識的に考えれば後者の方なのだろうが、信長の場合、前者であった可能性もごく普通に考えられる。

事実、佐久間信盛、林秀貞、安藤守就といった重要人物達が突然追放されるということもあった。

光秀が近江の志賀郡を与えられた時、まだ平定されていない状態だったというが、出雲国と石見国を平定するのと志賀郡を平定するのとではまるで労力が違うはずだし、志賀郡を与えられる際に今自分が治めている領地を没収されたわけでもないはず。


信長がなぜ光秀にこのような仕打ちをしたのかは分からないが、光秀を疎ましく思っている悪知恵の利く者がオセロをそそのかしたイアーゴのように信長をそそのかし、光秀をイジメさせていた可能性も考えられなくもない。

あるいは単に信長は後々自分の脅威となりうる家臣が力をつけ過ぎるのを恐れて潰していたのかもしれない。

優れた人物だと評判だった家康の嫡男信康も信長は言いがかりや難癖をつけて切腹させている。

しかし、今回も佐久間らと同様に始末したつもりでいたという線で考えてしまうと、本能寺で余りにも無防備過ぎたということにもなるし、潰す対象に自分の兵を預けるのも不自然なことになる。

もしかしたら信長は光秀のことを「あいつはそういうタマじゃないから」とでも思って高を括っていただけなのかもしれない。


光秀は明らかに信長を討った後のことをほとんど考えておらず、知将としては到底あり得ないような無計画なことをしているのだから、判断力を狂わせるだけの相当の異常な精神状態にあったのも確か。

その原因が激務によるストレスだとか疲れだとするのも考えにくい。

疲れたから謀反を起こして天下人で大恩人の主君とその嫡男を殺すようなことをするのかどうか。

やはり光秀が狂ってしまい、疲れ切ったビジネスパーソンが凶行に奔ったと考えるのは筋が通らない。

領地替えがなくても疲れたから殺すというのでは不自然。

疲れていたのも光秀だけではないはずだし、それぐらいのことで謀反を起こすような小物でも異常者でもないだろう。

それでは言いようによっては「疲れてたし、あいつは俺のことを殴ったこともあったし、なんかむしゃくしゃしてやってしまいました」みたいな程度の低い動機にもできてしまう。

そもそも本当に疲れ切っていたのであれば謀反を起こす気力も体力もない。


結果的に光秀は信長父子と刺し違えるような恰好になったが、ただクビになって座して死を待つよりもよかったのかもしれない。

しかし、光秀についてきた家臣たちは犠牲になってしまったとも言える。(いずれにしても殿様がクビになってしまったら同じようなことかもしれないが。)
人から身分や収入源などを奪う行為は人殺しと同じようなことなのだから、信長はやり方が下手だった。

その上、信長はほとんど丸腰の状態で上洛していたのだから、今川義元と同様に油断していた。

それは単に天下統一を目前に控えていたためではなく、性格的に楽観的で人を信用し過ぎる人物だったこともある。

信長は浅井長政からも裏切られて絶体絶命の状況に立たされたこともあったが、その時、信長は敵対していた浅倉義景と戦わないことを条件に浅井長政と同盟を結んでいる。

しかし結局は、浅倉と戦をすることになったために裏切られた。

つまり、信長の方も長政の方も見通しが甘かった。(厳密に言えばこの時、長政は25歳の若年者だったため、家臣の意見や主張を抑え込むことができず、やむを得ず信長を裏切ったのだろう。)

信長は自分と敵対している人物と戦わないことを条件にその人物と友好関係にある浅井家と同盟を結んでいるのだから、最悪の事態を想定するなどのリスク管理ができる人物ではなかったことになる。

しかも失敗しても反省をしなかったとも言える。だから二度目の大物の裏切りの際には運良く助かるということはなかった。

信長は裏切られればほぼ確実に死ぬという状況を二度も作ってしまった。

「あいつなら絶対に裏切らない」ということはなく、裏切りやすい丸腰のような状況だったから裏切られている。

裏切った際にまともに戦わなければならない状況になるのであれば普通は裏切らない。

容易に殺せる状況が人をそうさせる。カエサルも目を掛けていたブルータスに裏切られた。
大抵の人間は今も猿と大して変わらない。

いくら恩のある群れのナンバーワンであろうとも、殺せる状況であれば殺し、自分の立場をより良いものとする。