誰が得をしたのかで首謀者が誰なのか分かる。
本能寺の変は大阪の陣や対米開戦などと同様、戦えば勝つ側が負ける側をエサに食いつかせ、大義名分や戦う理由を作っている。
つまり、秀吉によって光秀がやらされたことだと思われる。
秀吉は毛利戦で全く苦戦などしていなかったのにもかかわらず嘘を吐いて援軍要請し、光秀は信長に命令されて挙兵しているのだから、これは秀吉の意思で光秀を動かしたのと同じことになる。
実際に光秀が裏切るのか命令通り援軍に来るのかを正確に予想することはできないのだから、単なる嫌がらせだった可能性もあるが、恐らく裏切るという期待はしていたのだろう。
光秀は実際に秀吉が苦戦しているのかどうかを知らず、命令したのは信長の方なのだから、この場合は秀吉に対してではなく信長に対して反感を抱く。
信長の息子を蔑ろにしていることからしても、まず間違いなく秀吉は信長の忠臣ではない。
非常に計算高く、悪知恵の働く者だった。
中川清秀に充てた書状の内容を見ても、嘘を吐くのもうまいことが分かる。
ただ信長父子が逃げ果せたと書いたのではなく、「福富平左衛門が比類ない働きをした、めでたい、自分も早く帰城する」という具体的な嘘の内容を書いている。
それもただ具体的だったというのではなく、書状を受け取った者がそれに書かれている人物をよく知っているという人間関係を秀吉はよく把握していた。
あいつならこう書けば納得するだろうという的確な読みが秀吉にはあった。
そうせざるを得ない状況や千載一遇の好機を作り、それによって動かされた者が負けている。
光秀は何も余計なことをせずに信長の言うことを聞いていればよかったということになる。
しかし、他の軍団長が皆、出払っていて、主君の周りには70~80人程度の供回りしかいなく、自分だけが1万3000の手勢を率いて主君のすぐ近くにいたのだから、これでは誰がどう考えても今やろうと思えば簡単にやれる状況だということになる。
それに引っかかって最悪の結果を出している。
光秀は前々から綿密に裏切りの策を練っていたのではなく、状況に応じて素早く算段を立てたに過ぎない。
頭脳自体は優秀なのだから本能寺の変とその後のスピーディな動きは元々の計画などなくても光秀にならできる。
元々計画していたのであれば謀反を起こす前の時点で相当の根回しなどの準備段階があったはずだが、そのようなことは何もしていなかった。
光秀が後に天海になって徳川と深く関わっていったという説も作り話だろう。
光秀=天海説の証拠のような物が色々出てきてはいるが、後になってからそのように見せかけるためにやったように思える。
あるいは天海という胡散臭い坊主がそれとなく自分が光秀であるかのように騙っていたのかもしれない。
大抵の人間に共通する性質というものがある。だから人が起こす出来事にも大抵、共通するものがある。
最も忘れてはならないのは、誰が得をし、誰が損をしたのかということ。
秀吉は毛利を攻略する一歩手前の段階で援軍要請をし、信長にトドメを刺してもらうことで主君の顔を立てようとしたとか、自分を優秀すぎる武将に見られないようにしたとかいう説もあるが、本能寺から200km以上も離れた高松城まで大金をかけてそんなことのためにわざわざ来てもらうことが本当に信長の機嫌を取ることになったのかどうか疑問ではある。
実際に信長が援軍に来てしまったら全然そのような状況ではなかったということがすぐに分かってしまうのだから、非常にギャンブル性がある計算ということになる。
本当に信長がそれを気に入ってくれるという保証などなかった。
むしろ簡単に攻略できる状況なのにわざわざ嘘を吐いてまで主君を呼びつけたことに対して激怒したかもしれない。
秀吉がさっさと言われた仕事をこなしてくれて、その報告がただ入ってくるだけの方が信長にとっては都合が良かったように思える。
信長が短気な性格だったことはよく知られているのだから、「ああ、秀吉は俺のことを思っておいしいところだけ残してくれたんだな」などと評価してくれたとは思えない。
実際には毛利軍が劣勢ではなかったという可能性も低いのは間違いない。
秀吉が和睦の申し入れをした際にすぐにそれを受け入れたのだから、秀吉と宇喜多の軍が苦戦していたとは考えにくい。
本能寺の変は「永遠のミステリー」などと言われているが、実際は信長が油断していて光秀が裏切ることができる状況に置かれていたということのみを見れば大したミステリーではない。
「なぜ信長は光秀に討たれたのか?」という問いに対して、「信長が油断していたから自分の守りが甘かった。油断という大敵に討たれた」と単純に言えることでもある。
信長は大軍を率いていた今川義元の首をとったことがあったが、それも義元が自分の守りを固めていなかったせいだと言える。
信長は自分が討った相手と同じ討たれ方をしている。
信長が仮に光秀に対してもっと良くしていたならば裏切られなかったのかといえば、それも疑問に思える。
人は裏切ることができる状況に置かれていて、やるだけのメリットがあればそれがたとえ恩人に対してであっても「ごめん」とでも言いながら裏切る。
実際、信長の死後、秀吉が信長の息子たちにやったことはとても恩返しとは思えない。
最も重要なことはそれができる状況なのかということなのであり、その状況を不自然に作った人物がもしいたなら、そして、その人物が非常に大きい利益を得たのであればその人物こそが首謀者だと思っていい。