生物の進化は偶然その時の環境に適応するのに都合のいい特徴を備えた個体が生き残りやすかったためにその遺伝子が増えたということでしかない。

いくらライバルになる自分の仲間(同じ種)や捕食者などを潰そうと思ってもキリがないのだから、そういうやり方では環境に適した種として進化が続いていくということにはならない。

結局は自分が優れた特徴を有していない限りいくら立場だけ有利にしても進化などするわけはなく、すぐに途絶えることになる。

そもそも生物界における進化とは都合のいい特徴を備えた個体(例えばクチバシが長いなど)が餌を取りやすいために生き残りやすく、結果としてその特徴を備えた遺伝子が残りやすいという意味でしかない。

そしてその「都合のいい特徴」は時代と共に変わっていくものでもある。

生物界の進化とはある特徴の移り変わりのことを言っている。人間がよく言っている進化とは意味が違う。

 

例えば歴史を見れば、百姓から関白になった秀吉という人物がいたが(その後、太政大臣にもなった)、すぐにその家は滅んだ。

いくら出世して見せて表向きは皆が平伏しているように見えても腹の中ではバカにされていたのだろう。

秀吉は手の指が6本あり、猿のような容姿で、振舞い方も下品な奴だった。

ライバルだった明智光秀を討った時も協力した武将を労うわけでもなく、ただ「骨折り」とだけ言い放ったという逸話もある。

立場が上になった途端に偉ぶった態度を取られると人は尊敬などしない。

秀吉は小物ではなかったのだから、恐らく調子に乗っていたのではなく自分の方が上であることを示すためにそのように演じていたのだろうが、それをやられて気分が良くなる者はいない。

山崎の戦いでは信孝を一応は総大将にしてはいるが、信長、信忠の死と信孝を総大将にするという話から有力諸将を抱き込んでまとめ上げ、当然のように自分が全軍の指揮を執るという形になったのは秀吉の功績というよりは自分に圧倒的優位性があるという立場を示すのに状況を利用したに過ぎず、自然の成り行きではなく計算によるもの。

大軍の編成に成功したのは秀吉の人徳によるものではない。

「これからは俺が織田家に代わって天下を取るから俺に従え」などといってまとめたわけではない。

光秀は謀反人なのだから、光秀の方に与する武将があまりいなかったのは当然のこと。いくら兵力が削がれていたとはいえ、本来であれば信孝の指揮下に入るのが筋だった。

秀吉は太政大臣になり豊臣政権を樹立させた2年後に茶々を妾にしているが、最高位まで偉くなったんだから観念するだろうというあさましい発想も品性の低さが伺える。

秀吉は種無しだった可能性もある。しかし本当の子供だったかどうかは分からないにしても息子はいたのだし、秀吉の没後も跡取りに関しては問題はなかったのだから、すぐに滅んだということは秀吉本人とそれに近い関係者たちに重大な欠点があり、皆から本当に慕われていたわけでもなかったということになる。

実際、秀吉の家臣の中で最も地位が高い内府という立場だった家康は秀吉が死んですぐに裏切った。

関ヶ原合戦の時も秀吉恩顧の武将たちが当初は奉行方(特に石田三成)との対立関係から家康側についてはいたが、徳川が豊臣を滅ぼす戦いである大阪冬の陣、夏の陣でも結局は徳川側についていた。

歴史をどのように解釈しようとも多くの武将が徳川の方が優れていたと認めていたのは事実だったはず。

家康には人心を掌握するだけの器があり、部下から裏切られにくい人物だったというのもあるらしい。

実際、部下のつまらない忠告でも一応は聞いていたといわれているのだから、大した奴ではない場合は差別的に扱っていたというわけでもなかったようだ。

秀吉のように立場が上であっても人によってコロコロ態度を変えるような下品な振舞い方をしていれば部下から侮られる。

秀吉は人たらしなどといわれていたのかもしれないが、最後には裏切られているのだから、表面上のパフォーマンスで人を惑わせていただけなのだろう。

 

いくらカネと地位だけ手に入れて有利になった気分でいても、現実としては生物的に見れば有利な個体ではなかったという例はいくらでもある。

また、信長やカエサルのようにカネも地位もあり、容姿も能力も優れていて天下を取る直前まで上り詰めたのに部下に裏切られてあっさり殺された例もある。

これはやり方が乱暴だったために反感を買うことが多かったためなのだろう。

つまり、性格、人格、品格なども備えていなければ他人や社会から立派な人物、家として認めてはもらえない。

現代では王族のような家は必ずしも制度上は必要ないはずだが、それでも続いているのはそのような品格といった要素があるために立派な生き方をしているだとか、国を象徴するのにふさわしい家柄だと認められているためなのだろう。

 

戦争があった時代には効率よく人殺しができる者がその時の環境に適していたことになり、今のようにコンピューターやネットワークが社会に必要不可欠な時代であればITに精通している者が今の環境に適していることになる。

カネは一見、最も有利な条件にも思えるが、実際には現代社会では貧乏人から順に死んでいくわけではないため、金持ちの方が生き残りやすいとは必ずしもいえない。

身体的特徴についても現代では様々な体型の者が存在しているため、必ずしも理想的な体型の者が生き残りやすいわけではない。

職業や地位については現代では大いに関係している。明らかに子孫を残せない雇用形態や職業はある。

一夫多妻を肯定している一部の宗教の幹部は異常に子供や孫の数が多いことがあるが、これは人々に不公平感を与えるため、長く続くとは考えづらい。国によっては有罪になった例もある。(カナダなど。)

温暖化で絶滅する種もあれば数を増やす種もあるが、それもたまたまそうなったに過ぎない。

 

進化するかしないかはたまたまそうなるのであって、どれだけ人間が自分にとって有利になるように条件を揃えたり守りを固めたところで結局は世代として続いていくわけではない。

人間は不公平感を嫌う習性があるため、その自然の摂理に逆らおうとし、守ろうとするが無駄な努力に終わることになる。

職業や地位は確かに生き残りに関係するため、人々はそれを手に入れるために努力もするし人を陥れて不正に有利な立場になろうとすることもある。そしてその前提条件である学校教育においても同じような行動を取っている。

しかし、その前提条件を有している者の数が増えていくのかといえばそうではないらしい。例えば高学歴の者であればあるほど子孫を多く残し、現代の人類は高学歴という特徴を備えた者が大半を占めるということにはなっていない。

つまり学歴は生物界で言うところの進化には当てはまらない。ではどういう人間の数が増えているのかというと、この国であれば公務員やNHK職員といった超安定職で、しかも楽な仕事に就いている者であるはず。

それなりに高収入で、安定性もあり、時間的余裕もなければ子供は増えない。

現代のこの国においては公務員やNHK職員のような職業の者こそ最も生き残りやすいということになり、それらの者が生物学上は進化した日本人ということになる。

しかし、現実を見れば、それらの者達が必ずしも優れた人間であるとはいえず、極論を言えば弱くズルい連中の数が増えやすいということになる。

公務員やNHK職員なのに独身という者は恐らくほとんどいないはず。

 

弱くズルい連中だらけになった国が繁栄していくとは思えない。

今のこの国は生物学的に捉えれば非常に不自然で歪んだ状態にある。

現にこの国は数十年後には今の半分の人口まで減ると予測されているが、今よりも公務員やNHK職員の率がずっと高くなっているのかもしれない。

逆に派遣社員をはじめとする非正規労働者や無職などの者達は自動的にその家系が消滅する。

本来であればITなどの職種の者達の数が増えなければおかしいはずだが、制度の悪用によってそのようにはなっていない。

先のことや全体の利益のことなどお構いなしで、自分達のことばかり考えている役立たずの者達が増え続けることになる。

それが持続可能な社会のはずはないだろう。

要介護認定老人や重度の知的障害者などの存在は余裕のある時代の象徴のようなものだろう。

言うまでもなく、余裕がなくなれば予算や人員を投じて世話をするなどということは不可能になる。

それらの存在が多いほど福祉国家である度合いが高いことになる。

そして福祉国家であればあるほど、制度の悪用が続けば続くほど、生物としての人間は退化していく。