こころの病や症状、苦しさって

僕は「あたま」と「こころとからだ」

がズレてるよーっていう

サインだと思ってます。




おはようございます

魂科医おすなりです。




「あたま」と「こころとからだ」って

こんなの。


あたま
コントロール、過去か未来、考える
言葉、「べき」「ねば」「た方がいい」
損得、能動、Do、理性



こころとからだ
あるがまま、今ここ、感じる
非言語・感覚、「たい」「たくない」
好き嫌い、快不快、受動、Be、野生・本能




僕は

「こころとからだ」というのは

「たましい」のメッセージみたいなものを

「いいな」「嫌だな」
「好き」「嫌い」
「ワクワクする!」「なんとなく合わない」

というような感情や感覚

もしくは自然に力が出るとか出ないとかで

「あたま」に伝えようとしてる。

で、本来はその「こころとからだ」のサインを

現実化するために「あたま」は存在する。

と、思ってるんです。




でも、「あたま」が

色んな「べき」「ねば」「ルール」

などなどでそのメッセージを受け取らないと

「こころとからだ」はそのメッセージを

「あたま」に受け取ってもらえるように

良かれと思って

やる気が出ない、落ち着かない
体が痛い、眠れない

みたいにサインをより分かりやすくして

「あたま」に届けようとしてくる。



でも「あたま」の

「今はそれどころじゃない」

「そんなことしたら大変なことに」

みたいな都合でそのサインを

またまた無視し続けると

「こころとからだ」はまたまたよかれと思って

サインをより分かりやすい

病やより苦しい症状にして

「たましい」のメッセージを「あたま」に

伝えようとする。




こころの病や症状、苦しさって

こうやって生まれるし

だからこそ

「あたま」の声の影響を弱めて

「こころとからだ」の言い分に

耳を傾けることが

治療や養生の基本になると

思ってるんです。




しかもこう考えると

病や症状、苦しさそれ自体が

自分や自分の人生を

本来の姿、「たましい」の形に

戻してくれる自然調整力の

現れだとも考えられますし

僕はそう考えています。




まずは怖いけど、嫌だけど

病や症状、苦しさのサインを

受け取って

そしてまたまた怖いけど

例え少しずつでも

「考える」から「感じる」へ

「言葉」から「感覚」へ

「損得」から「好き嫌い」へ

「べき」「ねば」から「たい」「たくない」へ

「過去や未来」から「いまここ」へ

「コントロール」から「あるがまま」へ

「能動」から「受動」へ
(「自力」から「他力」とも言える)

「Do」から「Be」へ


シフトしていくことが

病や症状が治まっていくことにも

自分本来の姿に戻っていくことにも

繋がっていく。




僕はそう考えて、感じながら

診療やカウンセリングを

そして自分の人生を

やってますし

やりながらやっぱりそうなんだなーを

深めている、そんな感じです(^^)


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あ、最後に

「あたま」やその中の「べき」「ねば」などが

「悪い」わけではないです!

それもまた自分を守ろうとしているもの

過去に色んな事情があって

作り出したもの。



病や症状、苦しさは

その過去を振り返って、癒す

もしくは塗り替える

チャンスをくれてもいるんです(´∀`)

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