こんにちは!またまた寒くなってきましたね笑い泣き

前回の記事で寒いのが好きとは言ったものの流石に足先が冷えて冷えて冷えまくっている!もこもこの靴下が欲しい、、、ところではあるがそんなお金はなくジリ貧生活を送っています。

僕は現在家出をして一人で生活をしているのですが色々訳がありまして、、、

約3年前からうつ病を患っていてずーっと通院して薬を飲んで生活をしています。その間学校に行っている期間もありましたしバイトもしていました。

なぜうつ病になったのか、という話ですがこれといった原因はありません。というより原因がありすぎてうつ病になってしまったのかなと思います。三兄弟の長男として生まれ幼い頃から我慢、人のために自分の身を削るのが当たり前のような感じだったので全てを一人で抱え込んでしまいます。自身を俯瞰的に見て周りの友達にも相談した方がいいしその友達にもなかなか言えず、高校の時からの友達におとといやっと相談することができたくらいです!(約6年かかったガーン)いやもうかかりすぎ!めーっちゃ心配してくれていたけど僕が中学生の時に親友だと思っていた友達に悩みを打ち明けた時に周りの人に話されてから人に相談することがとても怖かったんですよね。。。

 

思春期に親の離婚や部活動でのストレス、色々ありすぎてそこから段々崩れていったんですね。

言霊という言葉があるように言葉には魂が宿っていて些細な言葉でも何気ない一言でも簡単に人を喜ばせれたりできる反面簡単にトラウマを植え付けることもできてしまします。

 

そんな中、親にも相談できず、、というか相談してと言われてもできる相手じゃなかったのでしませんでした。

しても無駄だと思っていてこんなことを言ったらこのブログを見ている子どもがいらっしゃる方に怒られそうですが、僕の一個人としての考えとして見てくれたらと思います。

小学生の頃はなんとも思わなかったのですが中学に上がってから学校に提出しないといけない書類を無くしたり、高校に上がってからは国に出さないといけない書類を僕が代わりに出したり、弟の大学入試の申し込みをしたりと、どこかで不信感が増えていったんですね。もちろんその時は母子家庭で僕を私立の高校と短大に生かしてくれて3人の子どもを養うために夜遅くまで働いてくれてすごく大変だったのは承知です。だからこそ僕はほぼ毎晩学校から帰ってきたら家族の分の晩御飯を作ったり、母に代わってできること、仕事の手伝いをしてきました。ただそれじゃ信頼感が芽生えてくるどころかただただ母への不信感と嫌悪感が強まっていくばかりでした。家に帰ってきたら仕事の愚痴を聞かされ僕は母の晩御飯を用意します。その時母が働いていた保育園よりももっと待遇も良く給料もいい、定時で帰れるところからたくさんスカウトされていたのにも関わらず子どもに情があるからといってやめて欲しいと伝えてもそこから3年ほど働きやっとやめてスカウトしてくれていたところに就職してくれました。正直その頃には限界でその間に僕は自殺未遂もして学校も休学していました。

大学の後期の休学していたので最後の一年の今年の4月に復学することになった訳ですがその時に母に言われたのが「同時にバイトも始めたら?夜だったら時給もいいし」と言われました。その瞬間一気に信頼は0になり恨むようになりました。もうこうなったら無理にでも学校に行ってバイトもして死んでやると思うようになりました。

結果4月中旬には限界で眠れずもう無理と思って自殺しようとした時に友達から「まだお前とお酒飲み足りないから生きて」と言われその言葉が嬉しく、僕の足は踏みとどまりました。そこから市役所のソーシャルスポットにお世話になりながらいろんな施設の方が協力してくださってバレずに家出まですることができました。

そして今に至る訳なのですが、家出をしてもしんどいことには変わりなくバイトをしても家から出られない状況に陥っています。

生きる希望も行きたい理由もなくでも死ぬのは怖いから、、、どうしようか、、、

 

とりあえず今内職の仕事を探しています。暗くなってしまいましたね、すみませんえーん

また更新していきます。

最後まで読んでくださりありがとうございます。