羽生結弦×東日本大震災インタビュー 15年目に思うこと
◼読売新聞…とてつもないゆづの覚悟が語られていました![]()
◼Nスタみやぎ(生出演)…11分版・YouTube映像!
◼OH!バンデス×ミヤギ news every. 東日本大震災15年(インタビュー録画)
◼【3.11と羽生結弦への想い】佐藤駿
…どうかお大事に(´இ﹏இ`)
🟥羽生結弦と東日本大震災
…震度1でも体が固まる…。 ゆづはそう語りました。(๑o̴̶̷᷄﹏o̴̶̷᷄๑)
15年経った今でも氷が波打つ音を覚えていると…。それでもゆづは氷に立ち続けています。
◼羽生結弦「Notte Stellata」×東北ユースオーケストラの絆と共鳴に大感動(๑o̴̶̷᷄﹏o̴̶̷᷄๑)
◼スポーツ報知インタビュー
🇮🇹ミラノコルティナオリンピック、
佐藤駿選手、千葉選手へのメッセージも![]()
◼てれまさ、今日はYouTube同時配信!
ゆづの出演時間では無いかもしれません💦🟥羽生結弦インタビュー✩.*˚
◼「共同通信 英語版」
◼「FNN(フジテレビ)特集記事」
少年の記憶が、今や世界中から人々を惹きつける祈りの場へと昇華されていきます😭
◼今日のスポーツ紙
◼今日、news every.とNスタみやぎに生出演
◼Huluで「Notte Stellata」2026
3/9公演をリピート配信
🟥2026年3月11日
羽生結弦official_Staff 公式より、ゆづの想いが溢れるメッセージ
(๑o̴̶̷᷄﹏o̴̶̷᷄๑)
🟥羽生結弦×news every.✩.*˚
震災から15年、演技とメッセージを届けます。
ゆづが選んだプログラムは…
涙を浮かべ語ったのは…
◼news every.から
Nスタみやぎで生放送へ!
メンテナンス期間、notte stellata、2011年のチャリティショーほか30分程の出演❣️
◼本郷理華ちゃんのインスタより
3.11羽生結弦インタビュー
なんとまあ、インタビュー記事の多いこと!
今年は特に忙しいだろうな…とは思っていたものの、それ以上でした![]()
Notte Stellataが無事に終わって、
3月11日をむかえ「REALIVE」まで1ヶ月…
🍀✼ ••┈┈••🍀••┈┈•• ✼🍀
🟥Nスタみやぎ tbc
東日本大震災から15年を迎えた3月11日、2014年と2018年の五輪で連覇を果たしたプロフィギュアスケーターの羽生結弦さんがtbcテレビ「Nスタみやぎスペシャル 東日本大震災15年の現在地」に生出演し、震災への思いや復興支援について語った。
YouTube版(11分の短縮版)
🩵メンテナンス期間について
🩵 震災から15年
🩵震災直後の葛藤
🩵金メダルと被災地
🩵プロ転向の理由
🩵被災地支援
※このインタビューの詳細は次の記事でまとめます。
🟥【YouTube同時配信】OH!バンデス×ミヤギ news every. 東日本大震災15年
🟥読売新聞インタビュー
羽生結弦さん「被災したことや金メダリスト、背負って生きる誇り」…読次記事で売新聞インタビュー 東日本大震災から15年https://t.co/IUzDISyJMD#東日本大震災 #羽生結弦さん
— 読売新聞大阪本社 (@Yomiuri_Osaka) March 10, 2026
復興支援のアイスショー「ずっと続けていく」
「(東日本大震災)当時の記憶は鮮明で、一挙手一投足まで思い出せる。においも音も覚えている。
あれ以上の経験はないと思う。
平昌ピョンチャン 五輪とか、すごくうれしかった出来事より、鮮明に覚えている」
「今でも現実とは思えない」ほどの衝撃だった。
翌シーズンは「被災者代表」として注目されるなか、世界選手権で3位に入るなど躍進が始まった。
「当時は被災者代表のように見られて世界選手権に出たり、日本代表に選ばれたりするのがすごく嫌だった。重圧を感じて怖かった」
それが次第に
「結果を取ることで喜んでくれる方々がたくさんいた。『勇気をもらえた』と言ってくれる。そういうことに携われて本当に良かった」
と思えるようになった。
「金メダルを手に被災地を訪れると、皆さん本当に喜んでくれる。
被災地出身で被災して、五輪金メダリストである自分にしかできないことがきっとあると思う。
仙台出身であること、3・11で被災したこと、金メダリストであること。
すべて背負って生きることに誇りを持っている。
金メダルを背負って、これからも責任感をもって使っていきたい」
15年がたち、もう一つのある変化があった
自身の被災体験にようやく向き合えるようになった。
「被災地を訪問していると、津波に見舞われた沿岸部では、大切な方を亡くすなどつらい思いをされた方々がたくさんいた。
内陸部の仙台にいた僕は、身近で亡くなった方はいないし、スケートを失ってもいない。自分が被災者だと言えなくなってしまった。
だけどようやく、『被災したよ、傷があるよ』と自分の被災体験と向き合ってもいいのかなと思えるようになった」
他の被災地にも支援活動を広げている。
「3・11でも、能登半島地震でも、こうしたら減災できた、命を守れた、と災害から学ぶことは続けてほしい。 その大切さを思い出すきっかけに僕がなれればいい。
スケーターとして体の動く限り支援は続けていく。
その先もずっと担っていく使命感はある。形は変わってもできることをやっていきたい」
なんていう覚悟なの…(๑o̴̶̷᷄﹏o̴̶̷᷄๑)
スケーターとして氷にのることがなくなっても
形を変えて支援は続けていく
それはきっと、人生をかけて背負うということ。
ゆづは震災から15年。ずっと自分の中の「被災」と向き合い続けてきました。
「自分は被災者と言えないのではないか」
そんな葛藤を抱えながらも、それでも被災地に寄り添い続けてきた。
そして今、「体が動く限り支援を続けていく」
その先もずっと…
氷の上で滑る時間が終わったとしても、
その思いは終わらない。
形を変えても、この先もずっと――。
それが、羽生結弦が背負っている使命なのだと思います。
お大事に(´இ﹏இ`)⛸🤍
ジャンプを跳ばない羽生結弦は初めて見た…
友達が隣でそう言いました。
跳ばなくても、あれだけの渾身の演技はたとえようもなく心に響き
抗えない壁に敗れ、傷ついた姿を演じて
そこから先の未来を見るものに委ねる、そんな印象的な時間でした。
先日紹介したデヴィッドのインスタストーリーズ…(公演初日)
ゆづは右足首にアイシングをしていました。
ゆづは何も言わないけど、怪我してるのは明らかで。
でも、昨日、news every. 3.11 天と地のレクイエムは…😭
どうかどうかお大事に(´இ﹏இ`)
もう1人、羽生選手のように支援ができるようになりたい、そう話す選手がいます
【3.11と羽生結弦への想い】佐藤駿
「あの時の経験が今に通じている」
地元・仙台のスタースケーターを目指して
(羽生選手部分を中心に)
「本当にものすごい揺れて、校舎も本当に
まっ2つっていうか、
自宅は半壊と言われて、そこからはもう東京に避難してっていう感じでした。」
練習していたリンクも壊れ、大好きだったフィギュアスケートからも離れた。
そして東京の祖母の元へ家族と共に一時避難。
「それまでもできて当たり前みたいな環境だったので、そういうことを経験して、あ、できるっていうのは当たり前じゃないんだなっていうのを改めてはい。気づかされたので」
佐藤が地元仙代に戻れたのは半年後。復興が見えない日々。その光となったのが
2014年ソチで羽生結弦が掴んだ金メダル。
「ものすごい盛り上がってましたね。
リンクのテレビで見ていて、そのリンク全体がすごい盛り上がってましたし。」
仙台で行われた凱旋パレードには9万人以上が祝福。
オリンピックでの活躍は東北の希望となった。
この羽生の姿に佐藤の中である夢が改めて
「羽生さんのようなスケーターになりたいなっていうに、そこから自分もやはりオリンピックという舞台を目指したいとに思ったので」
憧れの存在だった羽生が北京オリンピックを最後に競技を引退。
この背中で訴え続けた復興への思いを佐藤も受け継いでいた。
羽生結弦が続けてきた復興への思い。
寄付という形での支援。
その姿を見て、
自分もそういう選手になりたいと語ったのが 佐藤駿でした。
「リンクに寄付をされている姿とかを見て、本当に地元というか、自分もそういったことはできるような選手になれるように頑張っていきたいなと思ってます。」
そして先月の舞台で同メダルを掴み取った佐藤その勇志は東北に勇気を与えていた。
東日本大震災から15年。この時間を佐藤はどう見つめているのか。
「長いようで短かったようなっていう感覚ではあるんですけど、あの時の経験っていうのがすごい今にも通じる部分があるのかなという風に思いますし、これからも本当に地元への感謝を忘れないように、
そして自分の演技でそれを返していけるように心に残る演技を目指して頑張っていきたいと思っています。」















