羽生結弦×パトリック・チャン  「新時代が始まったのは、間違いなく2014年のユヅルからだったと思う。彼が今の新しい世代、ネイサン、ショーマらの、新しいフィギュアスケートの世代を一番最初に築いたのです」  

 

 

 

◼最強。

 

 

 
 
(❁ᴗ͈ˬᴗ͈))
 
 


 

 

 

🟥羽生結弦 伝えたい思い 

スピンオフでも大阿闍梨さんとの対談でも(前回のブログより)遡れば「GIFT」でも「RE_PRAY」も「Echoes of Life」でもずっと。

 

◼Mrs. GREEN APPLE

 

◼米津玄師「Plazma」×『機動戦士GundamGQuuuuuuX』

最終回が終わったら公式から凄まじいMADが出てきた!( ̄∇ ̄)!

 

◼SPUR8月号

 

 

\( ᐙ )/ꉂꉂ(ᵔᗜᵔ◍)𐤔

 

 

◼オリンピックデーのweiboでは…

 

◼羽生結弦×ハイアール&アクア(AQUA)

そういえばP&GのウェブCMでも(*^^*)

 

◼反応うっすいガセブンのツイート

ꉂꉂ(ᵔᗜᵔ◍)𐤔

 

 

 

🟥羽生結弦×四大陸選手権続きです‪( ´•ᴗ•ก )💦‬

バラード1番の進化..「20歳の羽生さんが舞う「バラ1」は瑞々しく、繊細。どこか夜の始まりを思わせました。」

 

🟩TOKIOからの文〇、の、嘘ついてんな!

 

◼グランプリシリーズフィギュアスケート界隈

 

 

 

 

 

よっしゃー!

 

 

 

ジャニーズ問題で次々と無関係な(旧)ジャニーズのタレントたちがテレビ局から干されてしまった時も、福島県はTOKIOに引き続き活動をお願いしてきました。

 

TOKIOではなくなっても

ふたりのやってきたことはなくならないもんね!

ニコニコ

 

 

 

 
 
 

 

「ユヅルが新しい世代を築いたのです」 元世界王者が“羽生結弦への敗北”を納得できるようになるまで..
 

 

パトリックとゆづ
 
シェアありがとうございます❣️
(日本のアカウントからの引用なのですが、誌面のスクショだったのでアドレスだけ載せておきますm(_ _)m)

パトリック・チャン 「ユヅルは記録を更新し続け、ハビエルはそれを追いかけていた。この新しい時代は間違いなく2014年のユヅルから始まったと思う。ネイサンや昌磨など、この新世代のスケーターを最初に作り上げたのは彼だ。

 

 

 🩵🍀🩵·̩͙꒰ঌ  ┈┈┈┈  ໒꒱·̩͙ 🩵🍀🩵

 

 パトリックもハビもゆづが目指し追い越そうとしていたライバルニコニコ

 

 

 

引用は2019年5月号 Number だったので

そちらから書き起こしました

(⁎ᴗ͈ ⩊ ᴗ͈⁎)

 

 

パトリックだって、当時は心中穏やかではなかったはず。競技から引退して離れて初めて俯瞰して回顧することができたのかもしれません。

 

こんなにも赤裸々に語っています。

 

 

✩.*˚💜‪。*⑅୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧⑅*。💜✩.*˚

 

 

🟡ソチオリンピックでの羽生結弦とのライバル関係について独占取材に応じたパトリック・チャン。

 

世界王者として挑んだソチオリンピックの大舞台で2位に終わったことはつらい思い出ではあるでしょうが――、と最初に謝罪をすると「いや、大丈夫。あれから時間がたって自分でも冷静に思い返すことができるから」と明るい声が返ってきた。

 

 

 「初めてユヅルと同じ試合に出た当時のことは、正直に言えば実はあまり印象に残っていないんです。ぼくがそれまで長い間ライバルとして意識してきた選手は、ダイスケ(高橋大輔)でした。

アスリートには誰でも、宿命のライバルがいるでしょう。

ぼくとダイスケは、いわばテニスでいうロジャー・フェデラーとラファエル・ナダルのようなライバル関係だったと思います。

 

一世代若いユヅルは、気がついたらいつの間にか最終グループに残っていた若手、というくらいの印象だったんです」びっくり
 

 

 

羽生の成長にチャンが感じていた“本音” 

 

 チャンは2011年から2013年まで世界選手権を3連覇し、当時の「絶対王者」だった。

 

だがその「絶対」に危機が迫っていることを、自覚していたという。 

 

 「ユヅルは新しい世代のスケーターの先駆者で、すごい技術を持っている。実を言うとこんなに早く彼のような選手が出現すると予想しておらず、心の準備もしていなかった。

 

2013年カナダ世界選手権でタイトルは手にしたものの、下から追い上げられてきているのをひしひしと感じた。本当はトップにいる選手は後ろではなく前を見なくてはいけないのに、ぼくは差が詰まってきていることに気をとられてしまったんです」
 

 
 

 

初めてチャンが羽生に敗れたのは、2012年GPファイナル。高橋大輔が優勝、羽生2位、チャンが不調で3位に終わった。だがより衝撃的だったのは、ソチオリンピックの2カ月前に福岡で開催された2013年GPファイナルで、羽生が初優勝、チャンが2位に終わったときだったという。
 

 

失望を乗り越えて1年の休養をとり、チャンは平昌オリンピックを目指して201 5-2016年シーズンから競技に戻ってきた。

 

だがかつての絶対王者の地位はもう彼のものではなかった。 

 「競技に復帰したとき、フィギュアスケートは別なレベルにいっていました。最終グループの顔ぶれもガラリと変わっていた。 

 ユヅルがどんどん記録を更新し、ハビエル (・フェルナンデス)が追うというような形で、もう自分が入り込む余地はない、という気がしました。

( ๑o̴̶̷᷄﹏o̴̶̷̥᷅๑)

 

 

その新時代が始まったのは、間違いなく2014年のユヅルからだったと思う。

彼が今の新しい世代、ネイサン、ショーマらの、新しいフィギュアスケートの世代を一番最初に築いたのです」 

 

 

 平昌オリンピックでは団体戦に照準を定め、見事にカナダチームとして金メダルに貢献したチャン。

だがそれと同時に羽生が 2連覇を果たしたのを目にして、何かが胸にすとんと落ちたのだという。

 

 「ユヅルが平昌で2度目の金メダルを手にするのを目にしたときに、思いがけない感動がわいてきたんです。

実を言うとソチオリンピックでは、まだそれほど経験のない新人に負けてしまったという忸怩たる思いをなかなか拭い去ることができなかった。 

 

 でもユヅルがソチから見せた成長ぶりと、 彼の歩んできたオリンピック2連覇への道のりを目にしたとき、この素晴らしい物語の中に自分も参加できたことを誇りに思いました。

( ๑o̴̶̷᷄﹏o̴̶̷̥᷅๑)

 

ソチオリンピックの結果はなるべくしてなったのだ、と自分を納得させることができた。

 

これほどの選手だったのだから、自分が負けたのは仕方のないことだったのだということを、ユヅルが平昌で証明してくれたのです」

 

 

 

✩.*˚💜‪。*⑅୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧⑅*。💜✩.*˚

 

 
パトリックを追い抜く日
そう願っても、あのころは具体的にイメージできなかったような気がします。
 
最初はPCSも高くはなくて
スケーティングを習い体力をつけ、ジャンプも表現力も磨き、技の繋ぎを満遍なくプログラムに入れて、少しずつ上がっていきました。
 
 
マリニンのように、シニア上がりの新人というレベルのPCSから、急にトップレベルの高得点を獲得(理由は分かりませんが)したわけではないんです。
 
 
その過程をパトリックは共に見て共に闘っていました。
 
それを誇りに思うとか、負けたのは仕方がないと
そんな言葉をパトリックが言うなんて
そう思わせゆづ最強。えーん
 
 
そしてパトリックの人としての器の大きさ!
 
時を経てわかることが沢山あることを
教えてくれました。(⁎ᴗ͈ ⩊ ᴗ͈⁎)
 
 

 

最強の楽曲と共に🏹🧊🪽

 

最強!


 

 

メダリスト×米津玄師「BOW AND ARROW」のスペシャルMVに「最強。最高。」ってコメントして、返信数上限で止めたあれ。チュー

 

⬇️

 

 

 

 

 

 

最強って、この時も使ってました。

 

「自分史上 最強の自分!」

 

 

4回転アクセルのために(ハーネスで)5回転を練習している……
 
 

 

もうGOEだけでは勝てない

最強にならなければ..

 

 

北京オリンピックでも

「史上最強の自分と跳べた」 

 

 

 ICE STORY の最後は

「私は最強」

 

 

 競技選手時代から

自分に言い聞かせてきた言葉なのかな


なんだか切ない

(┯_┯)



 

 

 
 

 


クローバー最後までお読みいただき

            ありがとうございましたニコニコクローバー

 

いつだってゆづの味方•*¨*•.¸¸☆*

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