羽生結弦選手SharePractice☆単独インタビュー 朝日新聞デジタル(英語版) より
「9歳の自分」が土壌を耕し今の羽生結弦のキャリアを開花させた。
NHK杯通し券
ツール・ド・東北 2022 フレンズ
羽生選手の新しいメッセージがありました٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
表紙通常版と限定版のペア売り
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KISS&CRY
フィギュアスケートLife
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こんにちは!(•'╻'• ۶)۶
木曜日のたのしみ、「六本木クラス」
1️⃣
イギリス王立の外科医師会
外科医試験対策の本に
羽生選手の言葉が巻頭に載っています
(アミノバイタルCMと2015年世界選手権でのインタビューだと思う)
しかもこの紹介文
羽生結弦
日本のフィギュアスケート選手で、男子シングルでは史上最高の選手と言われている 。
オリンピック2連覇の偉人。
🔵Olympic.comで、オリンピアンの投票中
🔵福島県でもようやく24時間テレビの壁部分放送します。
「Olimpics.comの投票」今日はこんな感じ
だんだんボルトに近づいて来ました!
ここからコミュニティを選択。
または、アプリで開く➞コミュニティ
https://youtube.com/c/Olympics
投票に参加してもいいよ!という方は是非
「9歳の自分」が土を耕し羽生結弦のキャリアを開花させた。
羽生結弦選手SharePractice☆単独インタビュー 朝日新聞有料記事より
先日英訳してくださったものを記事に載せましたが、こちらの英語版は無料?
長野智子さんのインタビューを一切匂わせない短縮版です(だから無料なのかも💦)
「9歳の自分」が土を耕し羽生結弦のキャリアを開花させた。
羽生結弦さんは引退後も折に触れて「9歳の自分」を引き合いに出しています。
退屈な練習に耐え、今やフィギュアスケート界のスーパースターとなった羽生の礎を築いた少年です。
オリンピック2度の金メダリストは、7月にプロに転向することを明らかにしました。
朝日新聞の独占インタビューで、羽生選手はフィギュアスケートのすべてに自信があった幼少期を回想しました。
羽生選手が "9歳の自分 "について言及するのは、確かに初めてではありません。
2014年ソチ冬季大会、2018年平昌冬季大会の男子で優勝した羽生選手は、オリンピック3大会連続の金メダル獲得に向けたその原動力をこう説明しています。
「9歳の頃は、心からスケートが好きで自信があることに素直でいられた 」と、2019年に語っています。
その時(9歳の時)の自分に「まだまだこれからだよ」と言いわれ続けているとも。
しかし、3連覇を達成することはできませんでした。
2022年の北京冬季五輪で、羽生さんは難易度の高い4回転半アクセルに挑戦するも制覇できず、表彰台を逃しました。
しかし、その後、"9歳の自分から褒められた "といいます。
8月10日、仙台でのインタビューで羽生選手は「決めたかったジャンプを見事に決めた時、勝ちたかった時に勝利を掴んだ時、そんな瞬間がとても好きだった 。だからスケートが好きで、(9歳の頃は)スケートに自信があったんだと思います。」と振り返りました。
羽生選手は、2004年、小学4年生の時に初めて全日本フィギュアスケート選手権大会(ノービス)に出場し、同年末の国際大会でも優勝しました。
「しかし、その前にやっていた練習は、本当に、本当に大変でした。そして、まさに長い呪縛と、辛く厳しい練習の積み重ねのおかげで、気がついたら突然いろんなジャンプが跳べるようになり、9歳の時に思い描いた通りのスケートができるようになったのです。
スケートが好きになったのは、努力が報われたことを最も実感した時だったからかもしれない 」と。
当時、羽生選手は地元仙台で、厳しいコーチとして知られる都築昭一郎氏(現在84歳)のもとで練習していました。
「もちろん、楽しいことはなかったですよ」と羽生さんは笑います。
「休み 、というか、練習サボりは、隙あらばやってましたよ。
都築先生の見ていないところで、雪遊びをしたり野球をやりに行ったり。やんちゃでした。」
それでも都築氏から「努力しろ」と言われ、羽生選手は頑張ったといいます。
そうやって、9歳の自分は自分に自信を持って "完成 "し、今に至っているのだと思います」(羽生選手)。
都築が課した練習は、目的が明確で、羽生さんの技術の基礎を固めるためのものであった。
「例えば、1時間のトレーニングのうち、15分間はスケート、40分間はアクセルジャンプ、残りの5分間は他の種類のジャンプをさせるというものでした。スケーティングとアクセルジャンプにとても重きを置いていました。そのおかげか、今でもアクセルは自分の得意分野だと自信を持っています。」
基礎の習得を強いられた経験は、子どもたちが何を目指すにしても教訓になるはずだと羽生さんはいいます。
「例えば、英語を勉強するにしても、単語や文法といった基本的なことができなければ、何もできない。"何も表現する余地がない "ということです。
たとえそれが "本当につまらないもの "に見えても、基本的なトレーニングは続けるようにと、子どもたちにアドバイスした。
「そして、そのつまらないトレーニングが、いつか花を咲かせるための土になることを想像してみてください」と。
「私は、今もそれを続けています」
https://www.asahi.com/sp/ajw/articles/14697284
引用元
長野智子さんインタビュー版
(英訳で公開して下さったかたのツイの訳です😅)
https://ameblo.jp/ostrum6/entry-12759238780.html
凄いな
途中で野球をやりに行くって(・∀・)
立たされてた時間のほうが長かったって
ある程度本当なのかも
いつか花を咲かせる土になるように、
子供の頃、その言葉を聞きたかったあ~(。>﹏<。)💦
基本が今でも何よりも大切なのは
羽生選手の、SharePracticeのウォームアップとリンクに上がってからの基礎練習をする姿でよく分かりました。
そしていちいち美しかった!
写真起こりしましたm(_ _)m
ツール・ド・東北に、羽生選手の新しいメッセージが掲載されてます
なぜ今、東北を自転車で、走るのか。
震災を忘れないため。復興の道のりをこの目で見るため。友人と楽しい時間を共有するため。
自分と戦うため。三陸の旬の幸を食べるため。サイクリングで東北を元気にするため。さまざま想いがあっていい。
みんなが、この地にあつまって、東北の大自然を走ることで、可能性のペダルも回り始めるはずだから。
さぁ、未来へ、こぎだそう。
ツール・ド・東北 フレンズ
大会を盛り上げますって…o(。・‧̫・。)o💞💭
https://tourdetohoku.yahoo.co.jp/2022/info/friends/
スポンサー、パートナーの数=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇)/
えらい違いだわ!
https://tourdetohoku.yahoo.co.jp/2022/info/partner/
数えるの辞めるくらい。
NHK杯は片手で数え終わるわ
羽生選手がプロ転向してなかったら
今頃戦々恐々でしたね( ̄▽ ̄;)
しかも冬の真駒内。
飛行機飛ばないんじゃないかとか
ホテルはどこがいいんだ?とか
新幹線往復なんてことも考えたり
7月19日までがっつり心配してました
最後までお読みいただき
ありがとうございました
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いつだってゆづの味方•*¨*•.¸¸☆*
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