※プロフにもありますように、多忙のため、コメントは昨年末までにTwitterやブログで交流のあった方のみ承認・公開しております。
こんばんは(*^^*)
3月とは名ばかりの吹雪になりました。
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北京での製氷作業のあと、笑顔でボランティアとの集合写真におさまった。
それに限らず、ボランティアの人々など大会を支える人たちへのにこやかな表情、謝意を伝える姿が多く見られた。
周囲への感謝を示す姿勢もまた、これまでの大会とかわらない。
例えば平昌五輪でも、ボランティアの人に労いの言葉をかける場面はたびたび見られた。
かわらない、ということは、それが一貫した姿勢、人としてのスタイルであることを意味する。
付け焼刃でなく、自然なふるまいとして備わっていることを示している。
しかも北京大会では、ショートプログラムで本人にはどうしようもないアクシデントに見舞われ、フリー前日の練習で右足首を負傷した。
思い描いていたようにはいかなかったという悔しさを味わっていたはずだ。
それでも、人を気遣う、感謝を捧げる姿勢はこれまでとかわることはなかった。
「人の真価は、うまくいかなかったときにどのような態度をとるかで決まる」と筆者に教えてくれたのは、ある柔道の指導者だった。
勝利が得られなかったときや自身のパフォーマンスの度合いが満足するものでなかったとき、選手が落胆するのは自然だ。
これは日々の仕事や生活の場面でも同様で、期待や予想を下回ったときに思わず落胆してしまうことは誰しもあるだろう。
それが後の言動に影響するのも、よくあることではある。
しかし、そこで踏みとどまれるか、毅然としていられるか、あるいは自暴自棄にならないか。そこが問われるのだとその指導者は言っていた。
羽生のかわることのないふるまいは、その言葉を思い起こさせた。
羽生が羽生として立ち続け、誰からも一目置かれる所以である。
🟢羽生選手の求心力
羽生が円環の中心となり、その求心力によって、人々をつないでいる。
さまざまな大会で、会場内そして映像を通じて、背景や考え方もそれぞれに異なる人をつなげていた。
表現という要素を持つフィギュアスケートならではだったし、何よりも羽生の表現の持つ力にほかならない。
さまざまな国から集った人々が、片言であっても羽生を巡って楽しく会話をしている光景もいくつも生まれていた。
それは対立が煽られ、ときに憎悪を生み、分断が強調される今の時代だからこそ、なお意味を持つ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/958c772d460ae4c90f94d2bd5949f0f45d45a588?page=1
少なくともシニアに上がる前から、いや、ノービスだったと思います。
バケツを手にリンクの整備をお手伝いする羽生選手の姿がありました。
どの本の写真か、探せなくて(^_^;)m(_ _)m
メディアに対しての気配りも
スタッフやボランティアの方々への感謝も、なんら変わりはなく。
最後までお読みいただき
ありがとうございました![]()
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