ヒカキンが謝罪して賞賛されてるけど、YouTuberは観る人がいなくなったら終わりだし、スポンサーなんかとの利害関係があるんだから、そりゃ謝罪はするだろうし、どこが賞賛ポイントなのか分からなかった。謝罪も計算高いし。ただ、今の世の中でこういうのが賞賛されるというのはなんとなく分かる。

 

 前から日本では恋愛に関する情報が乏しいと思ってたけど、今回のことで思ったのは、自然消滅の心理的影響が日本ではすごく軽く見られてるということ。自然消滅はお互い納得して自然に消滅することはほとんどないし、どちらかが自然消滅するように仕向けてることが多い。英語だとその行為自体にghostingという名前まで付いていて批判の対象(ghostingした後に戻ってくるのはzombieing)。察しろ文化とそうじゃない文化の違いというのはあるかも知れないけど。記事の通りならきちんと別れてないし、特別な関係というのは英語にするならspecial relationshipではなく、situationshipという曖昧な関係。それなのに何年も会ってないなら別れたと察しろというのも変な話。2-3回デートして音信不通になるなら、まぁあるよなぁと思うけど、3年間付き合って、半同棲で自然消滅狙い。された側はすごく傷つくだろうし、ヒカキンの方がお金も力もあって強いだろうし、そこの関係も無視して、賞賛してるのはなんだかなぁと思った。きちんとと別れを切り出しても身に危険が及ぶような立場でもない。

 

 ヤフコメは主におっさんだからヒカキン擁護しか見当たらないけど、ヒカキンチャンネルを観てるこどもの母親の中には引いてる人もいるだろうと思うし、実際、友人は引いていた。服を勝手に処分してるのも、散財動画を作ってる人の感覚かな。お笑い芸人の件もそうだけど、擁護発言やこんなのどうでもいいという発言を女性に向かってした場合、内心引かれてる可能性は考えた方がいいと思う。

 

 本人がリスク管理として謝罪してるのに、「シロでも謝罪」の大きな違和感という東洋経済の記事は意味が分からなかった。司法の課題と大風呂敷を広げておきながら、そこにはほとんど言及してなかった。これもヤフコメおっさんたちは賛同していた。そもそもシロとは何を指してるのか。違法性のことなのか、なんなのか。恋愛という観点なら、もし友人がこういうことがあったと話して来たら、”クズ…”という感想しか出ない…。文春の記事タイトルを批判しておきながら、二股とは言いづらいと、自身もミスリードする書き方をしている。現在の妻と交際期間は被っていないけど、当時、他にも女性がいたことは本人も認めている。始まりが19歳なら、思わせぶりな態度を取られ続けた期間に女性は20代前半で、好きという気持ちを利用する人について知識がなかったかも知れないし、ヒカキンみたいな人しか知らなかったかも知れない。その視点が欠けているのは、元恋愛コンサルタントで現人間関係コンサルタントの記事としては残念。年齢を重ねれば違ってくる部分はあるけど、それでも人は人を信じがち。今回の件で嫌悪感を抱いた人は、謝罪があっても離れるだろうし、謝罪を求める人のせいで謝罪に追い込まれたと読める書き方もどうかと思う。謝罪はスポンサーへの配慮と、それでも離れていかなかったファンへのアピールでしかない。