2024年11月のテーマ

「初心者でも面白かったSFの本」

 

第三回は、

「息吹」

テッド・チャン 作、大森望 訳、

早川書房 2019年発行

 

 

 

です。

 

短編、中編、織り交ぜて9編の物語が入った本です。

テーマとしている内容も、タイムトラベル、AI育成、創造説や自由意思の決定についてとバラエティ豊かです。

それなのに、何故か作品たちに共通性を感じるというかなんというか…。

あくまでも私の感想なんですけど、主人公にとって物語の結末が最良の結果にならなかったとしても、前向きなエンディングに感じる…そこが共通している気がするのです。

 

えっと、いつもならあらすじやら作者についてやら書いた後で書くようなことを、今回冒頭で書いてしまいましたが、何というかこの本はすごい本なんだけど、そのすごさをどう表現したらいいのか自分の中で整理がついていない本なのです。

ですので、今回はまとまりに欠ける文章になるかもしれませんがお許しを。

 

この本は夫の本でして、以前から面白いよと勧められてはいたのです。

しかし、他のジャンルの本に興味が向いていたのでその内と思って置いておいたのを、今月SFの本について書こうと思ったときに、ふと思い出して読んでみたわけです。

それぞれの物語で全く異なる世界観。それぞれの世界における科学技術の普及の程度も、どんな科学技術が当たり前なのかもまちまちで、正直科学的な説明については私にとって難解ではありましたけれど、どの作品でも描いているのはその世界で生きる人の葛藤だったり、考察だったりして、命や心について作者の深い洞察力が発揮されている作品群だと思いました。

 

お気に入りの一つは「商人と錬金術師の門」

タイムトラベルのお話で、私の知るほとんどのタイムトラベルものが過去を変えようとする物語であるのに、この作品では過去・現在・未来は同じ一つの時間軸の上にあり"原因と結果は絶対に変わらない"という前提があります。

では何のためにタイムトラベルするのか?

アラビアンナイトの世界観の中にタイムトラベルが組み込まれていて、私には今までに見たことがないのにどこかなじみがあると感じられる不思議な物語でした。

 

今の世の中とちょっとリンクさせて考えてしまった作品が「偽りのない事実、偽りのない気持ち」

口伝による伝承が当たり前だったアフリカの部族にヨーロッパ人が読み書きを教えて文書による記録が広まっていく過程で"事実"と"真実"の違いについて気付いていく物語と、自身が見聞きしたものを記録として残せていつでも関連個所を再生可能にしたリメンというシステムが普及していく過程で自身の認識と記録との齟齬が人間関係や自分の心にどんな影響を与えるのかを探求する物語が交互に語られていきます。

近年、ドライブレコーダーのおかげで事故現場における状況がかなりの部分まで事実としてわかるようになった結果、自動車事故の検証の精度がぐっと上がって、被害者が泣き寝入りせずに済むケースが増えたように、記録は社会的に利益をもたらすことも多いはずです。

しかし、もしも、発言のすべて、行動のすべてを記録されて、過去の発言と少しでも違った行動をすれば指摘されるようなことになれば、誰だって窮屈でたまらないと思います。

人は間違うし、考えや行動も変わっていくものだし、よく考えもせず感情的に良くないことを口走ることもあります。

いつもいつも感情的に怒鳴り散らしたり、いうこととやることがころころ変わったりする人がいれば問題ですけれども、すべてが論理的で自己矛盾がない人間はいません。

ところが、すべてが記録されている世界では、記録は事実として誰でも指摘できるがゆえに誤謬は許されない世界でもあります。

この物語の主人公はリメンが普及する過渡期にいるので、自身はリメンについて懐疑的です。

それでも、すでにリメンを利用している人がたくさんいる中で、他人の見聞きした中に自身の記録が残っています。

それらの事実(客観的に観た主人公)と自身の記憶(主観的に観る主人公自身)とのギャップがどのようなものになるのか、事実と真実とはどう違うのか。

私たちが今生きる世界でも問題になるようなことが、リメンの普及した世界という舞台ではより鮮明に意識せざるを得ません。

 

他の作品たちにもそれぞれ書きたいことはありますが、全部書いているとすごい量になってしまうし、この作品を初めて読む方の楽しみを損なうことにもなりかねないので、この辺にしておきます。

 

最後に、作者のテッド・チャン氏の作品はこの本の出版時点で、本作とデビュー作の「あなたの人生の物語」(本作の十七年前に出版)の二冊しかなく、デビュー作も短編、中編の作品集だった模様。

ものすごく寡作な作家さんで、尚且つ作品が世に出るたびにSF界にセンセーショナルを巻き起こしている作家さんらしいです。(本書の「訳者あとがき」より得た知識です。)

 

私の場合、自分の好みに頼った読書だけでは決してこの作品には出会えなかったと思います。

そう思うと、勧めてくれた夫に感謝ですし、勧められたことを忘れずにいた自分を褒めてあげたいし、手に取るタイミングが訪れたことを天に感謝だなと思っています。

予期せぬ出会いで大きな驚きや喜びを得た時、人は幸福を感じるのかもしれないなと思います。

そんなわけで、SF界では超有名な作品だと思いますが、SFというジャンルにあまり親しみがない方にはまだまだ知られていない可能性もごさざいます。おすすめいたします。(*^▽^*)