年が明けても症状は安定しなかった。
先生たちのおかげで週1回の血漿交換が継続出来ていた。

カテーテル感染を何度も起こしていることから、腎臓内科の先生と神経内科の主治医の間でシャント手術が検討されていた。
そして、突然知らされた。

「ちょっと血管見せて。」と言われ、左は血管が細く蛇行しているため右腕が選ばれた。
腎臓内科の医師は神経内科から説明があるものと思い、神経内科の医師は腎臓内科から説明があるものと思われていた。
どちらの医師からも詳しい説明はなく、シャント手術を受けることだけが決まっていた。
なんでこうも説明してもらえないんだ…

私自身もバスキャスを入れ続けることに限界を感じていたため、シャントをつくることは抵抗なかった。
ただ、相談してほしかった。
自分のことなのに、知らないところで方向性が決まって行ってしまう。
そんな事実にうんざりしていた。

2007年2月15日 シャント手術を受けた。

こうして私の血漿交換ライフはずっと続くものだと思った。
嫌だけど、これで人並みに動けるのならそれでいい!

しかし、こんな生活は保険の打ち切りという形で終わることになる…
私の場合、生命の危険がある緊急時以外の血漿交換が認められなくなってしまった。