第163章―らしくない
「あっ、織田……。」
「ひ、秀樹……。」
あの事があった翌日の夕方。二人はあれ以来初めて顔を合わせた。一向に晴れない気分を紛らわそうと外に出た秀樹と、親から買い物を頼まれ帰ってきた千尋。マンションの前での事だった。
互いの姿を見た途端、歩みを止めてその場に静止した二人。しかし、しばらくの沈黙の後、千尋は地面に視線を落とし、そのままマンションの中に入っていこうとした。そんな千尋を秀樹は呼び止めようとしたのだが……。
「もう、話しかけないで……!」
千尋の名前をすべて言い切る前に、静かに一言、そう言われた。そして千尋はマンションの中へと消えていく。うつ向き気味のその表情は、前髪に隠れていたのと、顔をまっすぐ見つめる事ができなかったせいで、確認する事はできなかった。
「―― はぁ?!森田と喧嘩したって、ま、マジで!?」
「……うん。」
休み明けの月曜日の朝、三年二組の教室に佑香の声が響いた。告白の成果を聞こうと話しかけた佑香だったが、千尋の予想外の答えに、相当驚いているようだ。
「ふられたならまだ分かるけど、喧嘩したって……。」
一体なんで、告白する事から喧嘩に発展したのだろうか……。佑香は思いつかないし理解ができない。
けれどもよくよく見れば、千尋の様子が少しおかしいことには気づいた。髪形は最近お気に入りだったツインテールから、前髪を黒いピンでとめただけになっていたし、目の下には普段は見られない隈が、うっすらと現れている。これらが喧嘩をした事と関係しているのかは分からないが、おそらくそうなんだろう。
佑香がそんな事を考えていると、何も聞いていないのに千尋が話を始めた。
「あいつさ、私のチョコ受け取ってくれなかったんだ。私が渡そうとする前に、いろんな人からチョコもらってて、これ以上は食べられないって……。でも私のチョコを断った後に、あいつが一組の成宮さんからチョコを受け取ってるのを見ちゃってさ……頭にきて喧嘩した。」
むっすりとした表情で愚痴る千尋。改めて聞いても酷い話だ。こんな話をされれば誰だって千尋に同情したくなる。
「酷い話だな。」
「でしょ……。」
佑香の一言に、千尋の表情が緩んだ。予想どおり、佑香は千尋の味方……。けれども、次に佑香から返ってきた言葉は、予想外のものだった。
「あぁ、酷い話だ。お前らしくない。不機嫌そうに愚痴言って、周りの同情を買おうとしてる。」
「え……。」
緩んだはずの千尋の表情が凍りついた。
「普通じゃん、幼馴染にぞんざいな扱いを受ける事なんて。あんただってあるでしょ、森田に対しては断るような事でも、他の男子に言われたらはっきり返事できないような事。森田にされたら怒るけど、他の男子にされても怒らないような事。」
淡々と話す佑香に、千尋は何も言い返せない。
「きっと森田は罪悪感でいっぱいだと思うよ。苦しんでると思う。そんな中で、あんたは被害者ヅラして腹たてて、皆に味方をしてもらおうとしてる。」
言う事言う事が、全部的を射ていた。そんな佑香の言葉に、茫然とした表情の千尋の目から、涙があふれはじめる。
「たしかに、森田も酷いとは思うよ。でも、あんたって森田に今までたくさん助けられてきたんでしょ?チョコをもらってくれなかっただけで、嫌いになって文句たらたら?あんたも十分酷いんじゃない?」
声のトーンを変えず、諭すようにそう話した佑香。その言葉に、千尋はとうとう泣き崩れてしまった。
「わ、わたし……わたし……。」
机に突っ伏し肩を震わせ、しゃくりあげる千尋。
うすうす気づいてはいた。あれぐらいの事で、自分が秀樹の事を嫌いになるわけがないと……。けれどもふて腐れて愚痴を言うほうが楽だったから、そっちに逃げていたのだ。その事実を佑香に見抜かれて、ようやく千尋も我に返ったらしい。
「まぁ、ここまで気づけば大丈夫かな?」
小さく震えている千尋を見つめて、佑香はホッと肩をなでおろした。
『自分に厳しく、他人にやさしく』。千尋はまさにそんな人だ。だからこそ、さっきまでの千尋の姿には驚いてしまったが、こうなってしまえばいずれ勝手に解決するだろう。
「は、早く泣き止め……私の分が悪い……。」
「うっ……うう……。」
しかし、ちょっと言い過ぎただろうか……。佑香は千尋をなだめ続けたが、しばらく泣き止んでくれはしなかった。
―― つづく
「ひ、秀樹……。」
あの事があった翌日の夕方。二人はあれ以来初めて顔を合わせた。一向に晴れない気分を紛らわそうと外に出た秀樹と、親から買い物を頼まれ帰ってきた千尋。マンションの前での事だった。
互いの姿を見た途端、歩みを止めてその場に静止した二人。しかし、しばらくの沈黙の後、千尋は地面に視線を落とし、そのままマンションの中に入っていこうとした。そんな千尋を秀樹は呼び止めようとしたのだが……。
「もう、話しかけないで……!」
千尋の名前をすべて言い切る前に、静かに一言、そう言われた。そして千尋はマンションの中へと消えていく。うつ向き気味のその表情は、前髪に隠れていたのと、顔をまっすぐ見つめる事ができなかったせいで、確認する事はできなかった。
「―― はぁ?!森田と喧嘩したって、ま、マジで!?」
「……うん。」
休み明けの月曜日の朝、三年二組の教室に佑香の声が響いた。告白の成果を聞こうと話しかけた佑香だったが、千尋の予想外の答えに、相当驚いているようだ。
「ふられたならまだ分かるけど、喧嘩したって……。」
一体なんで、告白する事から喧嘩に発展したのだろうか……。佑香は思いつかないし理解ができない。
けれどもよくよく見れば、千尋の様子が少しおかしいことには気づいた。髪形は最近お気に入りだったツインテールから、前髪を黒いピンでとめただけになっていたし、目の下には普段は見られない隈が、うっすらと現れている。これらが喧嘩をした事と関係しているのかは分からないが、おそらくそうなんだろう。
佑香がそんな事を考えていると、何も聞いていないのに千尋が話を始めた。
「あいつさ、私のチョコ受け取ってくれなかったんだ。私が渡そうとする前に、いろんな人からチョコもらってて、これ以上は食べられないって……。でも私のチョコを断った後に、あいつが一組の成宮さんからチョコを受け取ってるのを見ちゃってさ……頭にきて喧嘩した。」
むっすりとした表情で愚痴る千尋。改めて聞いても酷い話だ。こんな話をされれば誰だって千尋に同情したくなる。
「酷い話だな。」
「でしょ……。」
佑香の一言に、千尋の表情が緩んだ。予想どおり、佑香は千尋の味方……。けれども、次に佑香から返ってきた言葉は、予想外のものだった。
「あぁ、酷い話だ。お前らしくない。不機嫌そうに愚痴言って、周りの同情を買おうとしてる。」
「え……。」
緩んだはずの千尋の表情が凍りついた。
「普通じゃん、幼馴染にぞんざいな扱いを受ける事なんて。あんただってあるでしょ、森田に対しては断るような事でも、他の男子に言われたらはっきり返事できないような事。森田にされたら怒るけど、他の男子にされても怒らないような事。」
淡々と話す佑香に、千尋は何も言い返せない。
「きっと森田は罪悪感でいっぱいだと思うよ。苦しんでると思う。そんな中で、あんたは被害者ヅラして腹たてて、皆に味方をしてもらおうとしてる。」
言う事言う事が、全部的を射ていた。そんな佑香の言葉に、茫然とした表情の千尋の目から、涙があふれはじめる。
「たしかに、森田も酷いとは思うよ。でも、あんたって森田に今までたくさん助けられてきたんでしょ?チョコをもらってくれなかっただけで、嫌いになって文句たらたら?あんたも十分酷いんじゃない?」
声のトーンを変えず、諭すようにそう話した佑香。その言葉に、千尋はとうとう泣き崩れてしまった。
「わ、わたし……わたし……。」
机に突っ伏し肩を震わせ、しゃくりあげる千尋。
うすうす気づいてはいた。あれぐらいの事で、自分が秀樹の事を嫌いになるわけがないと……。けれどもふて腐れて愚痴を言うほうが楽だったから、そっちに逃げていたのだ。その事実を佑香に見抜かれて、ようやく千尋も我に返ったらしい。
「まぁ、ここまで気づけば大丈夫かな?」
小さく震えている千尋を見つめて、佑香はホッと肩をなでおろした。
『自分に厳しく、他人にやさしく』。千尋はまさにそんな人だ。だからこそ、さっきまでの千尋の姿には驚いてしまったが、こうなってしまえばいずれ勝手に解決するだろう。
「は、早く泣き止め……私の分が悪い……。」
「うっ……うう……。」
しかし、ちょっと言い過ぎただろうか……。佑香は千尋をなだめ続けたが、しばらく泣き止んでくれはしなかった。
―― つづく