195 やぶのつぶやき

 衣食住について考える(2)

 長年、医師の端くれとして、医療に携わってきた身なので、最近の日本人の食料事情が、いささか気がかりです。 

前回、書いたように日本の食料自給率は、先進国では最低水準です。原因は何でしょう? 少し調べて見ました。 

 

当然、日本でも原始時代~古代は、狩猟や木の実・果実・山菜など自然界から手に入るものは、何でも食べていました。しかし、食糧として蓄える手段や知恵がなかったため、気温や利水などの条件の恵まれた土地で、限られた人口しか養うことが出来ませんでした。

やがて農耕が始まり、集団生活をするようになって、縄文~弥生時代では主食は、稲作も始まってはいましたが、雑穀や芋類が主として食べられていました。

中世~近世になり、効率の良い水田稲作文化がより発展し、やがてこれが日本の農業の主流となりました。 

室町~戦国時代に人口が徐々に増え、貧富の差が現れ、領主たちは広大な領地(知行)の経済的価値を適切に把握する必要が起きて来ました。そこで現れたのが知恵者の豊臣秀吉で、土地の価値を分かりやすい石高制(玄米の生産量)で表すように定めたのです。これにより、地方の豪農の武装化や豪族達による下克上が抑えられ(兵農分離)、これに続く江戸時代の長い天下泰平の文化がもたらされたのです。                                            

秀吉の時代(安土桃山時代)は、まさに時代の変わり目で、庶民の食習慣も1日2食から3食になりました。しかし一般の町人や農民の主食は、麦、粟(あわ)、稗(ひえ)といった雑穀類に菜を炊き込んだ雑菜飯でした。 一方、武士や公家は半白米や玄米を、従来の蒸す強米(こわめし)から炊く姫飯(ひめいい)にして食するように変わり、やがて江戸時代には庶民でも炊いた米飯を食するようになりました。

 

少なくとも江戸時代~明治維新(人口3千万人位)までは、食料を自給自足していたのは確かです。 明治・大正・昭和初期には、欧米の文化が盛んに輸入され、料理の面でも影響は受けましたが、従来の和食文化は、大きく変わることはありませんでした。

しかし、「富国強兵」のための人口増加で、食糧事情は厳しくなりつつあったようです。小生は1940年(昭和15年1月)生まれで、一応戦前生まれです。日本橋下町の商人の小倅ですが、5人兄弟の長男のため、戦況が厳しくなった昭和19年に、岐阜県の片田舎(土岐郡駄知村)に住む祖父母のもとに、独りだけ疎開させられました。駄知村は瀬戸物の原料になる陶土を産するところで、土地が肥えてなく農作物を耕作するのには適していませんでした。したがって、東京に残った兄弟姉妹たちより却って食糧事情が悪く、それこそサツマイモの蔓や葉まで食べる「ひもじい思い」を体験しました。育ち盛りの時期で年がら年中、祖母に「お腹空いた~、何か食べ物ない~」とねだって困らせたらしい。後に成人してからですが、祖母は「本当に何もなくて、可哀そうな思いをさせた」と述懐していました。それでも小生を可愛がってくれた祖母は、うらなりの小さなジャガイモを串に刺して茹で味噌を塗って「団子さんだよ」と工夫し、苦手な青臭いヤギの乳に蜂蜜を垂らして飲みやすくし、空腹を満たしてくれました。これらの記憶は後々、幾度となく懐かしく思い出しました。

 

終戦直後(昭和20~30年)の食糧事情の悪い時に、小生も東京で小・中学生として、「給食」での進駐軍支給の脱脂粉乳とコッペパンを「うまい?」と感じて育った年代です。実際にあの頃の児童にとっては、「給食」は成長に必要な栄養の、大事な補給源だったのは間違いありません。

今の日本では「腹が減って食べたくても、実際に食べる物がない」という本当の意味での「ひもじい思い(飢餓)」を経験した若者は、特別な例外を除いていないと思います。

むしろ逆で、飽食・過食の時代です。食べ過ぎによる肥満、糖尿病、心臓病などの成人病が問題になっています。多様性の時代で、料理の面でも欧米化が進み、全体に贅沢にもなったのです。 そのため主食では、米飯が減り、パンや麺類の需要が増え、小麦などの粉もの材料の輸入が急増したのは確かです。しかし並行して副食の、肉・魚・野菜・果物・各種飲料も増えて、より一層、食料自給率を低下させています。

 

小生が、子供の頃から好きな相撲は日本の国技とされ、古くからの儀式・風習が数多く残されています。そのため相撲界でしか通用しない、「力士社会」独特の生活習慣が営まれています。その代表的なものに力士の食事があります。「多く食べて体重を増やす」ことが仕事の一部になっているのです。

そのため、一般の人々とはかけ離れた食習慣があります。朝食は抜きで1日2食です。主食は米飯で「どんぶり」で5~6杯が普通です。副食は「ちゃんこ」と言って、力士の所属する部屋ごとに多少の違いはあるようですが、多くは魚貝類・肉(昔は骨付き鶏肉が多かった)・野菜・豆腐などをごっちゃ煮にして、ポン酢醬油をつけて「ちり鍋風」に食べるのが通常です。大雑把な料理ですが、食べやすく栄養満点でカロリーも高いと思われます。調理に特別な技術がいらないので、「ちゃんこ番」といって下位力士や新弟子が交代で担当するのが昔からの習わしです。食事は、上位力士から下位力士へと順に食べて行くので、序の口などの下位力士が食べる頃には、中身(具)はほとんどなくなり、どんぶり飯に汁をぶっかけて、腹に流し込むのが通例のようです。

この食習慣に順応し、連日の厳しい稽古に耐え抜いて実力をつけ、単純だが極めて過酷な試練で淘汰された力士のみが、番付を上がって行く世界なのです。

稽古内容も、相撲界には伝統的に踏襲されてきた四股(しこ)、鉄砲(てっぽう)、股割(またわり)などの方法が、厳しく順守されています。

特に食事に関しては、親方衆には体重が増えなければ、相撲は強くならないという暗黙の信念があるようです。  

医学的に見れば、「こうゆう食生活を続ければ、肥満や糖尿病になるぞ!」と言う実験をしているようなものです。

肥満度を表す指数に【BMI=体重Kg/身長㎡】があります。成人男性では24前後(BMI=60Kg/1.65㎡)が、最も成人病の罹患率が少ないと実証されています。

力士では最もスリムに見える炎鵬ですら33,バランスが良く見える白鵬が42,巨漢の逸ノ城が60と全て異常値です。BMI>30が高度肥満なので、力士は全員が高度肥満です。

当然その結果、一般成人男性の糖尿病罹患率が3~4%のところ、現役力士で10~20%、親方衆では50~60%と極めて高率です。 平均寿命で見ても、日本人男性が約80歳のところ、幕内まで昇進した力士は62~63歳、歴代の横綱では58・6歳です。

 つい最近、初の外国人横綱である第64代横綱の曙太郎さんが、54歳で心不全のため急逝しました。一時期、若乃花・貴乃花兄弟と共に相撲ブームを起こした好人物です。現役時代のBMIは55でした。ファンだった一人として、心からご冥福をお祈りします。

 

 原則として、人の体は食べた物で出来ています。その食べ物が偏っていれば、偏った体が出来るのは道理です。

 相撲界は特殊な例外ですが、最近は、一般社会でも多くの若者達が飽食(スウィーツやスナックetc.)の上に、食事の欧米化(肉食)で、欧米型肥満と成人病が急増しています。

肥満には皮下脂肪型肥満と内臓脂肪型肥満があります。

●皮下脂肪型肥満:俗に洋ナシ型肥満とも言い、主に下半身に脂肪が蓄積する。女性に多い。

●内臓脂肪型肥満:主に腹部・胸部など上半身に脂肪が付き、メタボリックシンドロームと言い、成人病の原因となり要注意です。男性に多い。

 

  昭和が終わる頃から、わが国でもステーキやハンバーガーを筆頭とし、焼肉チェーンなどの肉食文化が浸透して来ました。そのため成人の循環器疾患(狭心症、心筋梗塞、高血圧)が急増し、健康上の面から「和食」が見直されるようになりました。  

 

「和食」に明確な定義はないようですが、一般には日本の自然環境で育まれてきた魚介や野菜などの材料を、伝統的な方法で調理した食膳です。 基本的には、一汁三菜など米飯と汁物、3種の「おかず」(魚やてんぷらなど主菜1種と野菜など副菜2種)を組み合わせた料理です。この「和食」は、2013年には日本人の伝統的食文化として、ユネスコ世界無形文化遺産に登録されました。 動物性脂肪が少ないので、循環器疾患の予防には好都合で、ブームとなったようです。

 

 

日本の食料のことで、もう一つ気がかりなことがあります。コロナ前でしたが、北海道にゴルフを兼ねて10名ほどで観光旅行をしました。当時、インバウンドで至る所に中国人観光客が大挙して来日していました。 苫小牧市近くの大きなドライブインで、たまたま彼らの団体に遭遇しました。我々は、その猛烈な食欲に、すっかり気おされてしまいました。「いけす」にはかなりの数の活魚が確保されていて、指定するとその魚を料理して出してくれるシステムなのですが、我々が「もたもた」している間に、「いけす」は空っぽになってしまいました。

経済事情が好調で、金に物を言わせて「爆買い」「爆食い」をして、従来は知らないために食べていなかった美味の「マグロのトロ」や、高くて手が出なかった「黒毛和牛のステーキ」などの料理に触発されて、大挙して来日し漁って行くため、日本中の旨いものが枯渇を来すのではと心配です。

小生は「うな重」が昔から好物です。過日、ゆうに30年以上は贔屓にしている老舗店に行ったときに、「シラス・ウナギ」が不漁で養殖業者が困っている話になりました。ウナギの養殖は盛んですが、実は卵から孵化する完全養殖ではないのです。孵化した幼魚が川へ遡上する前に捕獲して、これを養殖しているのです。だから「シラス・ウナギ」が獲れなければ、養殖は出来ないのです。

先日、TVで「ウナギの完全養殖」に初めて成功したと報道されていましたが、まだまだ軌道の乗るのには解決しなければならない問題が多々あるそうで、10年以上先になる予測でした。それまでは何とか、天ぷら、寿司、すき焼きなどと同じように、伝統の「うな重」の旨さを、容易に外国人に教えてはいけません。たちまちマグロやサンマのように、獲れなくなってしまいますよ~。      つづく