192 やぶのつぶやき

 我が医局(番外編 船医の冒険記 6)

 11月18日 Am7:00 ダーバンを出港。これでアフリカともおさらば、これから2週間はインド洋の大海原とお付き合いだが、日本へ帰りつつあるという実感が、じわ~っと湧いてきました。

 天候はシケ模様で、船脚が入っているためデッキは、しぶきが上がってびしょぬれです。ブリッジに居ても大波がまじかに見えて、異様な圧力を感じました。

 

 11月20日 3日間連続のシケでほとんどのクルーが、頭が重い食欲がないとか言って、麻雀や囲碁もやらないで、もっぱら集まって「肩を振る」っていました。

 彼らの話は前にも言いましたが、面白いが信ぴょう性に欠けます。それを「ホントかな~」と疑ったりすると、へんてこな英語を使って“It‘s Makoto speak, true story”などと言い、矛盾することを突っつくと“Go to the mountain & ask the monkey”とごまかします。

 例えば、司厨長は「飼っているグッピーの水槽の裏に、際どいエロ写真を張ったら、やたらと卵を産むようになって、急に数が増えた」とか。事務長の話は「インドから象を運んだ時、1頭が死んで海にレッコ(Let go?捨てる)したところ、漁船の網にかかり、クジラと間違えられた」等々は眉唾ものです。

 一方、セーラーには地方出身者が多く、「実家へみやげ物にココアを送ったところ、年寄りが変わった『きな粉』だと早合点して、ご飯に振りかけて食べた」とか。同じく、「コーヒー豆を送った所、煮てそのカスを食って、こんなまずい物は二度と送って来るな」と叱られた。などの話には真実味がありました。

 

 11月23日 久しぶりに抜けるような青空だ!海も凪いで実に気分の良い航海日和で、午前中から日光浴しながら、舷側に当たって砕けた波しぶきが作る小さな虹を眺めているうちに居眠り。 午後は、あまり利用されていないサロンルームに備え付けのステレオで、クラシックのレコード鑑賞をしました。サロンボーイが淹れてくれたコーヒーを飲みながら、数少ないが聞いたことのある曲ショパンの「ピアノ協奏曲」を聴いて、1人で優雅に悦に入っていました。

 夕食は、またまたパーサーが凝った鯛料理を作ってくれたので、サロンルームにオフィサー連が集まって一杯やりました。事務長が料理上手なのは、奥さんの実家が割烹料理屋をやっていて、陸に上がっている時はそこで料理の腕を磨いているからだそうです。

その談話の際に、船乗りにはハゲが少ないが、白髪頭が多いという話題になりました。確かに本船のクルーにも、毛の薄い人は一人も居ません。しかし、白髪は2等航海士が40歳そこそこなのに真っ白なのをはじめ、エンジニア―やクオーターマスターの中にも若白髪が何人かいます。

 ここでパーサーの珍説が披露されました。「子供の時に、お医者さんごっこを頻回にやった奴ほど、白髪になりやすい」というものでした。2等航海士は皆から「ホントは、どうだった?そんなにやったのか?」と盛んに詰問されたが、懸命に否定していました。

 

 11月26日 穏やかな航海が続いている。退屈しのぎにトライしてみたらと、クオーターマスターに勧められて、ココナッツ細工を始めました。道具を貸してもらい、ダーバンで仕入れたココナッツの表面をきれいに剝いて、やすりで磨き、彫ったり切ったりして根気がいるが、時間つぶしには最適です。

 それからパーサーが、内側を防腐処理したダチョウの卵の表面に、トロピカルな絵を器用に書いてくれました。 セーラー連中がこれを見て「ウーリー、チューネン、パーネンソー」と訳の分からないことを言っていましたが、どんな意味だったのかな~?

 午後に、規則により定期の消火訓練があって、事務長の指示で、小生も救急箱をかかえて、まじめに演習に参加しました。

 

 11月27日 今日は全くの無風状態で、海面は滑らかな「うねり」があるだけで「さざ波」すらなく、水の山が盛り上がっては下っているだけで、海という感じがしませんでした。

2等航海士の話では、大洋の赤道付近には地球の自転の関係で、南東貿易風と北東貿易風の2つが吹いていて、これがぶつかる所に「赤道無風帯」という地域が発生するそうです。インド洋の場合、これが非常に移動しやすく、6~10月にはインドの方に移動するため、勢力のやや強い南東貿易風が吹き荒れて、モンスーンとなるのだそうです。今はまさに、南東と北東の風が拮抗している赤道無風帯を航行中とのことでした。

それから、スコールとシャワーの違いも教えてくれました。スコールというのは、本来は風(特に突風)のことを言うので、それに雨を伴うこともある、というものです。ただ単に急に雨が降るのがシャワーだそうです。

 

11月28日 1週間前から、セーラーの「猿の尾の毛」が先端から4~5cmほど抜け、素肌がむき出しになって、赤く炎症を起こしてしまいました。同僚のセーラーが、気温が下がって来ると、そこから凍傷になって死んだ猿を見たことがあると言い、切断した方が良いかも?という話になりました。ほかの乗組員からも様々な意見が出て、1日中これが話題となり、どうするかで盛り上がりました。

 

11月29日 猿の飼い主であるセーラーが、神妙な顔をして、しっぽの切断予定部位に太いタコ糸を結んで、切ってくださいと猿を連れて来ました。見学者と何人か付き添いのセーラーも来たので、しっかり押さえてもらい、局所麻酔で一気に切断しました。 飼い主のセーラーは青い顔をして気分が悪くなり、切断するや否や部屋を飛び出して行きました。切断した尻尾はアルコール浸けにして小生が預かりました。

切られた猿は思いのほか元気で、たいして痛がりもしなかったのですが、尻尾が短くなったためか、体のバランスが上手く取れず、好物のゴキブリ捕りが下手になりました。

 

11月30日 2週間ぶりに陸を見る!やっとスマトラ島の先端にたどり着いた。久しぶりに見る緑の陸はいいものだ。

 

12月1日 マラッカ海峡に入ったら海は全く波静かです。インド洋の大波を2週間見てきた後だと、海という感じがしない。昔、ウィブルドンに出た日本のテニス選手が、マラッカ海峡で海に飛び込んでしまった話を聞いたことがあります。確かにこの「べた凪」を進む船中から、遠くの島影を眺めていると、島まで歩いて行けるような錯覚を起こしそうです。

司厨長(1オヤジ)の話では、タンカーでペルシャ湾に行くと、同じような「べた凪」の海をじ~っと見ていると、砂漠から吹いて来る熱風の暑さに耐えられなくなって、突然「海に飛び込んだらどんなに気分がいいだろう」という精神状態になるそうです。2~3度そんな気分になって、急いでデッキから自分の部屋へ逃げ込んだことがあるそうです。

自分も、インド洋の何とも言えない深遠なるコバルト色の大波を見ている時に、そこに吸い込まれて行くような気分になり、オヤジさんの話を思い出して、あわてて部屋に戻ったことがありました。 海には、人にそんな錯覚を起こさせる魔術があるのかも知れない・・・。

 

ここのところ、連日サードオフィサーの8-0(殿様ウォッチ)に付き合っている。今夜は全くの闇夜で、空には数えきれないほどの多くの星が、手に届くぐらいまじかに大きく見え、海には舳先が切り裂いた波しぶきが、夜光虫によって彩られ、ブリッジに居なければ体験出来ないすばらしい夜景です。

近くを行き交う船の灯が数多く見られ、遠くには灯台や島の人家の灯火がきらめき、無粋な小生ですら何ともロマンティックな気分になり、時の経つのを忘れるほどでした。

 

前にも言いましたが、サードオフィサーは優秀で、海運業界の将来に関しても自分なりのビジョンを持っていました。

「海運輸送は、航空輸送と比べるとスピードでは太刀打ちできないが、大量輸送に関しては、とって代わられることはない。将来、物流の増加に伴って、ますます海運輸送の必要性は増加する」と断言しました。しかし「改善は必要で、一つは今まで以上に石油タンカーをはじめ、石炭・鉄鉱石などの鉱石船、液化天然ガスなど積載物別の専用船を発展させること。もう一つの問題は、一般(ばら積み)雑貨物輸送で、航空輸送のコンテナ法を導入して、荷役のスピードアップを図る必要がある」と話していました。

以前から小生が疑問に思っていた、外国船にリベリア船籍やパナマ船籍の多い理由を聞いたら、分かりやすく教えてくれました。 第一は、それらの国は税金が安いのです。実質上の船主の国籍とは違う、税金の安い国に船籍を置く便宜置籍船制度と呼ぶ税金避難法(節税)です。 第二は、これらの国は船員法などによる運航規則が緩いため、給料の安い外国人船員を安く雇用出来るのです。要するに人件費の削減です。

これらの利点を最大限活用して「ギリシャの海運王」にのし上がった人物が、「アリストテレス・ソクラテス・オナシス」という、とんでもない名を名乗る、破天荒の実業家です。彼は第二次世界大戦後に、連合国軍の余った輸送船を安値で多量に購入し、これを貨物船に改造して、便宜置籍船制度の活用で海運業界を席巻し、一代で膨大な資産を稼ぎ出したのです。 

これが現在、世界の船籍保有数の約20%がリベリア船籍、約10%がパナマ船籍になっている「カラクリ」だそうです。

 

12月2日 Am8:00にはスマトラ島とマレー半島が同時に見えるところまで来ていた。小さな島々が次々と形を変えて現れ、潮流が速くて所々で渦を巻いているのが見られました。 ここに来て、行き交う船がやたらと多くなり、世界最大級のタンカー出光丸(20万5千トン)と、びっくりするくらい近くで行き違いました。タンカーは貨物船と違って、出航したら途中の寄港地はなく、原油積出港まで直行し、この往復の繰り返しです。船員の日常生活は極端に単調になるらしく、本船の煙突の赤いK-Lineを見て、羨ましいのか、懐かしいのか、船員がデッキに並んで盛んに手を振っていました。

Am9:30 マレー半島の最南端シンガポールに着きました。高層ビルが立ち並ぶ香港のような強烈な印象は受けませんでしたが、沖待ちやバースに着岸している船舶数の多いのには驚きました。さすが貿易立国だなあ~という感想です。   

中心地から1番離れたバースに着岸しました。近くの入江には、香港のような船による水上生活でなはなく、海上に杭を打って上に家を建て、陸とは桟橋で行き来する南国らしい集落が見られました。 

夕食後、商売上手な中国系の「中界ワニ革店」店主が、船まで自動車で迎えに来たので、気の合うセーラー3人と出かけ、海ワニのなめし革とバンドを購入しました。店主の奥さんと妹さんが二人ともチャーミングなので「美人だ、若々しい、美しい」と片言の英語と日本語で、有らん限り持ち上げたら、サービスだといって町中をドライブしてくれました。

土地が狭いのに道幅が広く、香港よりは貧困層が少ないのか、物乞いをする子供などもいないし、街の裏側もごみごみした感じが少なく、異臭も漂っていませんでした。

夜は事務長、1等航海士、2等航海士と南天街へ「チャン料理」を食べに行きました。浅草六区の屋台店を10倍以上に大規模にした感じで、大変賑わっていました。神経質な人は不潔だと感じるかも知れませんが、気楽な雰囲気は、下町育ちの小生には活気があり庶民的で好ましく感じました。事務長の勧めで、わざとポロシャツにサンダル履きというラフなスタイルで出かけて来たのも良かったようです。

料理の注文は詳しい事務長にお任せしました。海老のダンゴ揚げ、鶏肉入り焼麺、四川風麻婆豆腐、フルーツ等々で、非常に美味でした。店の名は「珍広新」といい、愛想の良いお兄ちゃんと可愛いお姉ちゃんが居て、いろいろと料理の説明をしてくれました。

         つづく