191 やぶのつぶやき

 我が医局(番外編 船医の冒険記 5)

 西アフリカ(西阿)では、入港・出港があわただしく、治安が悪くて気を使い、熱帯気候の影響もあって、ややばて気味になりました。 ただ事務長の話では、本来なら西アフリカ諸国では沖待ちが多く、2~3日待たされるのが当たり前だそうですが、今航海ではフリータウンでの一日だけで、スケジュールが極めて順調で、日本には予定通り帰れそうとのことでした。

 

 11月2日 昨日、今日と続けて、何となくダラダラと過ごしてしまった。プロの船員でも、航海が長くなると惰性で、このように一日が何となく無為に過ぎていくという感覚になるらしい。これを「船ボケ」とチョッサーがいっていました。

 それと、2か月間近くを限られた狭い空間で、限られたメンバーだけと生活していると、各々の人間性がおよそ分かって来ます。 初めは好ましく思っていた人間が、意外とこすっ辛くて、逆に当初は不愛想で取っつきにくかった人物が、根はとても良い人であったりしました。船の生活に限ったことではありませんが、第一印象というのは余り役に立たないものだと分かりました。 「一目ぼれ」なんて、どうなんだろう?

 

 11月3日 今日は「文化の日」だ。朝食の時、船長が「明治節だ」などと、うんちくを披露しましたが、局長に「古いね~」とからかわれていました。

 Pm2:00にポート・アレキサンドレに入港しました。ここの湾は素晴らしい天然の良港で、しかも、ここの外海一帯は海流の関係で、アフリカ西海岸で随一の漁獲量を誇る漁場だそうです。 湾内には獲れた大量の魚をボイルして、魚粉(fish- meal)を生産する工場が幾つも見られました。この魚粉が日本で混合飼料として使用されるので、積荷となりました。この湿った鰹節のような臭いが、船内に広がり不快でした。

しかし、クオーターマスターが、ここは釣りで有名な港だと教えてくれたので、さっそく釣り糸を垂らすと、びっくり仰天。目の下一尺以上の立派な真鯛が、入れ喰いではないですか。とにかく他では経験できない釣りです。強い引きの手応えの快感に酔って数時間、夕食も忘れて鯛を釣り続けました。大げさでなく、ゆうに100匹以上は釣ったと思います。 司厨長とボーイがさばいてくれ、刺身にする、湯引きにする、煮たり焼いたりして、とにかく豪勢に鯛を堪能しました。司厨長が気を利かせて20匹ほどを、事務長の許可を得て「みやげ用」に急速冷凍し保管してくれました。 こんなにも大きな鯛が、入れ食いで釣れるのには訳があります。一つは魚粉工場から出る排液を餌として魚が集まるのと、もう一つは現地人が食べるのは青魚だけで、鯛のような色のついた魚は、一切食べないためらしい。

ここの黒人労働者は、よほど白人の警備員や警察官から、厳しい仕打ちを受けているらしく、飼いならされた羊のように従順です。仕事中も上司の顔色を窺い、オドオドして小心です。荷役の労働者の一人がセーラーの部屋に侵入して捕まり、警備員にピストルの台尻で頭を殴られ、かなり出血しましたが、小生が応急処置をする前に、下船させて仕舞いました。

 

11月5日 荷役が早く終わったので、昨日のpm4:00にナミビアのワルビスベイに向けて出航しました。

2日間の大漁の釣りで疲れたのと、帰路で船が地球の自転に逆らって航行しているので、時差調整として時計を1時間進めたのが重なって、今朝は起きるのが少々しんどかった。

Pm8:00  サード・オフィサーのウォッチに付き合おうとブリッジに居ると、セーラーが血相変えて「ドクター、大変です!6人分の胃薬を下さい」と駆け上がって来ました。事情を聴くと、コンデンス・ミルクの缶の中に、ゴキブリが何十匹も入っているのに気付かず、コーヒーに入れて飲んでしまったとのことでした。船の連中はアルコールも良く飲みますが、それ以上にコーヒーに関してマニアックで、旨いコーヒーを事あるごとに飲んでいます。 釣り名人のオイラーの一人が「何だかコーヒーの味が変だ」と言い出すと、もう一人の神経質なオイラーがミルクをなめて「酸っぱい」というので、缶切りで蓋を大きく開けて見たところ、缶の底に何十匹ものゴキブリが、層を成してくたばっていました。

それを見る前は何の症状もなかったのに、見た途端に全員が吐き気、嘔吐、腹痛症状を起こして、医務室に駆け込んで来たのです。これまでも同じミルクを使ってコーヒーを飲んでいたので、メンタルな要因が強いのですが、念のため通常の胃腸薬と抗生剤を飲んでもらい,数時間様子を見たら、全員の症状は治まりました。 この騒ぎで夜中まで起きていたら、サロン・ボーイが気を利かせて、「鯛干物のお茶漬け」を夜食に用意してくれました。これが、なんとも絶品の味でした。

 

11月6日 Am6:30にナミビア(Namibia)のウォルビスベイ港(Walvis Bay)に入港しました。西海岸のほぼ中央のナミブ砂漠にある港です。  

午前中は、事務長の提案でウォッチ中以外の全員が、船を降りて岸壁横の広場で二組に分かれて、ソフトボールの試合をやりました。足元が砂地のため踏ん張りがきかず、走り回った後は凄く疲れました。

午後は、5~6人で町に出かけました。周りに緑はほとんどなく、ただ道路が広く真っ直ぐに伸びていて、その先は高さ30~40mの砂丘がずっと続いているだけの殺風景な景色です。風が強くて常時丘の形が変わっているそうで、確かに帰る頃には強風が吹き始め もの凄い砂煙が立っていました。 この近隣一帯では、芝生や樹木を植えている庭付きの住宅は、維持管理に莫大な費用がかかり、けた外れの大富豪の邸宅に限るそうです。

ここは、タイガー・アイ(虎目石)の産地として有名だそうで、みやげ物店に行きました。原石と称するものを一個買いましたが、小生には単なる石ころのように見えました。 近くのショッピングセンターの方には、柄の悪い日本の漁船員が群れていましたが、あの連中は間違いなく現地における日本人の評価を下げていると思います。

港の2~3Km沖合に大型船が一艘、ずっと停泊しているので不思議に思って、チョッサーに訊いた所USAの浚渫船(しゅんせつ船:水底の土砂や岩石をさらう船)だそうです。町の北外れにある川の河口沖に、上流から雨期に大量の水で押し流されて来たダイアモンドを、採取しているのだそうです。陸から一定の距離が離れていれば違法ではなく、しかも充分に採算が合う程度の収穫があるそうです。

 

11月7日 Am11:00に出港し、ケープタウンへ向かいました。 風がアゲインストなのと、帰りの積み荷が大分多くなって、喫水線が上がった(船員は「脚が入る」と表現していた)ため、船足が13~14ノット(1ノットは1時間に1海里(1852mの速度)と遅くなりました。 確かにブリッジから見ても、海面が近くなったのが分かりました。

 

11月9日 素晴らしい天気で、正午近くにケープタウンが見えて来ました。船が港に入って行く時に、正面のテーブルマウンテンを挟んで向かい合うように、左に悪魔が、右にライオンが座って、対談をしているという逸話の様相が、見て取れました。この自然の妙には、感嘆せざるを得ないものがありました。 気候は日本の晩春に相当し、穏やかで、ぽかぽかと温かい、実に気分の良い日でした。 

船が着岸すると、待ってましたとばかり街に出かけました。 ケープタウンは本来が観光地で、週末になると内陸の商業の中心都市ヨハネスブルグや首都のプレトリア方面から、多くの人が列車で、観光に出かけて来るのだそうです。 そのため立派なデパートや専門店、小ぎれいなホテルや洒落たレストランなどが数多く見られました。映画館や劇場も幾つかあるそうです。また夜遊べるスナックバーやナイトクラブなどの歓楽街も賑わっていましたが、治安が悪いようで複数の人数で出かけるように注意されました。

みやげ物屋を見て回りましたが、軍資金が乏しいので絵葉書だけにしました。デパートに行って驚いたのは“made in Japan”製品の多さです。特に「加美乃素」を売っているのにはびっくりしました。

 夜は近くのバースに着岸していた大手水産会社の漁船から、映画をやりますから見に来てくださいと誘いがあり、事務長と4~5人で出かけました。東映の「石松社員は男でござる」が上映されました。日本にいれば、自腹で金を出して見に行くような映画ではないでしょうが、遠く離れた南アフリカで見ると、趣が変わり単純に面白かったです。

 

 11月11日 英国の豪華客船“Mariana”が入港して、港が急に賑やかになりました。 代理店のエージェントが船に来たので、事務長が夕べの映画の話をすると、話題の「さらばアフリカ」を上映しているから見に行きましょうと誘われました。小生、事務長、2等航海士、2等機関士、2等通信士、エージェントの6人で出かけました。ところが残念、土曜日のため満席で予約なしでは入れませんでした。残念、見たかった!

エージェントが責任を感じたのか、彼のコネの利くナイトクラブへ行くことになりました。エージェント以外は皆ラフなスタイルで出かけて来たので、入り口で店の用意したネクタイを締めさせられました。 店には生バンドが入っていて、驚くことに、我々が席に着くと演奏していた曲が急に変わり、「上を向いて歩こう」を演奏しだしたのです。 隣の年配の爺さんが「これは日本の曲か?」と聞いて来たので“yes”と答えると、「皆さんは歓迎されているからだ」と説明されました。 そこで中国人、韓国人と日本人を外見で区別出来るかどうか聞いてみました。それは出来ないがジャパニーズは、とにかく名誉白人だそうです。本当の理由は不明ですが、デパートの商品があれだけ日本製で占められていれば、日本人を特別扱いするのも理解できます。

 

11月12日 朝から風が強く、テーブルマウンテンの頂は、丁度白いテーブルクロスを掛けたように、白い雲に覆われていました。 Pm7:00 強風の中を出港しました。夕日がテーブルマウンテンに掛かった白いテーブルクロスを、一面あかね色に染めて、恐らく生涯忘れられないだろう、素晴らしい景観を見せてくれました。

 

11月14日 早朝、ポート・エリザベス港に着く。海岸より小高い丘に向かう傾斜面に、小ぎれいな住宅が並んで見え、港も良く整備されていました。しかし、そこにはケープタウンのようなインパクトのある景観はありません。 

さっそく午前中に、事務長が語っていた「生のダチョウの卵」を探して、商店街を歩き回りました。みやげ用の細工を施した卵はすぐ見つかりましたが、「生」は売っている店を探すのに苦労しました。それに1個=1.25R(約¥700)もしました。船に帰って丁寧に小さな孔を開けて、根気よく中身を抜いたら、どんぶりに3杯分もありました。後でオムレツにして食べましたが、味は鶏卵よりだいぶ落ちますが、ボリュームだけは鶏卵の30個分はあったと、司厨長が言っていました。

Pm3:00過ぎに船長、司厨長と3人で、手入れの行き届いた公立公園へ散歩に出かけました。売店で買ったアイスクリームが大変美味でした。 帰りの途中、まだ明るいのに船長がオープンしているバーを見つけ、何が気に入ったのか、すっかり腰を据えて飲み始めてしまいました。船長と司厨長二人で酔っ払って、南米やカリブ海のスペイン語圏の町のすばらしさを、まくし立てていました。 夕食には事務長が、凝った「鯛ちり」を調理してくれましたが、これは本当に旨かったです。

 

11月15日 早朝、ポート・エリザベスを出港し、午後にはイースト・ロンドンに入港しました。両方とも、港から見ると似たような町ですが、こちらには港のすぐ横から、きれいなビーチが続いて海水浴をしている若者たちが見られました。

荷役が少なく、やっちゃ場で果物を仕入れるだけで、町には出かけませんでした。

 

11月16日 Am9:00にダーバンに入港する。司厨長と再度「生のダチョウの卵」を探しに出かけたが、売っているところが見つかりませんでした。 デパートは、クリスマス・セールでにぎわっていました。前から欲しいと思っていた、パイプ(バラの木の根っこで作った刻みタバコ用)の専門店を見つけたので、1本無理して買いました。7.80R≒¥4000でした。店を出たところで、子供からタバコをねだられたのには、びっくりした。 雨が降り出したので船に帰り、午後は大学病院の勤務室や医局へ絵葉書を書きました。     つづく