2021年も最終日。

11月末よりコノシロに付く大型のスズキをサーフで狙う、というのが例年の釣りのパターンだったが、今年は不発だった。

10月ごろからサーフに出ていればカタクチイワシに付いているスズキがある程度釣れる確率は高いが、このパターンでは大型を選んで釣ることは難しい。なのでコノシロが廻る12月を中心に出る訳だが、コノシロは数が少なく当たり外れが大きい。今シーズンのように不発に終わることも多い。

自身のスキルの問題もあるが、これはもう仕方ないと思っている。

 

実は12月に入り、知り合って20年以上になる友人が亡くなった。もともと社交的ではない私にとって彼は釣りを通して知り合った数少ない友人で、当時インターネットがない時代にパソコン通信のニフティ―サーブで釣りの掲示板で情報交換するうちに知り合った。彼はサーフを主体とする私の釣りに共感してくれて、何度も夜のサーフでロッドを振った仲だった。

彼は鳥取出身ではなく偶々仕事でここの支部に派遣されたその業界では幹部候補のエリートだった。当時私は家庭のことで止むに止まれぬ悩みを抱えていたのだが、なんと彼は全国的にも10人も居ないような専門家だった。恥を忍んで自身の悩みを年下の彼に相談したのだが、彼は本当に親身に相談に乗ってくれて問題の解決に多大な助力をしてくれた。

 

私自身は勿論完璧な人間ではないが、ある程度合理的、理性的で、また道徳的な観念を持ち合わた人間でありたいと常々思っている。反面、その合理性により宗教は冠婚葬祭や行事などに参加する程度の付き合いで、運命なんてものを信用することがない下衆な人間でもあった。だが、彼のようなエリートがこんな片田舎の鳥取に居て、それも釣りを通じて知り合うなんて、この時ばかりは運命を感じざるを得なかった。

 

知り合って2-3年、彼はまた転勤することになり他の釣り仲間と一緒にお別れをした。その際、彼は「これ本当に泳ぎますよ。」とK-TENに似た手作りのルアーをくれた。

 

結局彼は、その10年後くらいに支部長として戻ってきた。相変わらず釣りはしていたようだが、エリートの彼は忙しく私と釣りをする時間はなかなかとれなかったし、年賀状のやり取りをするのみで直接会うこともなかった。

まあ、そのうち一緒に釣りでも出来るだろうと思っていたのだが、12月の初旬、新聞のお悔やみ欄に彼の名前があった。享年53歳、信じられなかった。病気なのか、それとも彼は大型バイクに乗るので或いは事故なのか....

 

12月の寒い夜、いつものように彼と一緒に立ったサーフでロッドを振り続けていた。ナイロンラインからPEに、フローティングミノーからシャローミノーに、リールは改良され殆どライントラブルはなくなった。様々にタックルが進歩してサーフでのスズキはより狙いやすくはなった。だが、根本的にサーフで大型のスズキが簡単に釣れないのは昔と変わらない。

 

確実に変わったこと、将来を嘱望された彼はもうサーフには居ない。