■雷雨+大雨

今朝は朝四時頃から激しい雷雨で目が覚めた。

先週もかなり降って松江市の何箇所かで道路わきの法面が崩落し通行止めになっている。

 

近所の排水路の様子。この排水路は深さ1.5mくらいあり、普段は数cmの水しか流れていないが、今朝9時ごろの様子はこんな感じです。


この排水路が流れ込む川もやはり水位が高くなっている。

見た感じ、2m近く水位が上昇しているようです。

住んでいる家の2階から川の土手を撮影。普段はこの位置から水面が見えることはありません。

11時現在雨は小康状態ですが、雨雲は上流(東)に移動しているので、この後さらに水位は上がるでしょうが、堤防を越えないと思います(希望的観測)。堤防を越えたとしてもぎりぎり浸水はしないと思いますが、近所の家数件は床下浸水するかも?

いちおう警報も出てますね。

■宍道湖+周辺河川の治水
1970年代初頭に大雨が降った時には宍道湖から水があふれ松江市の広い範囲で床上、床下浸水したし、住んでいた実家も床上浸水したので大変でした。
今回の雨もそれに匹敵する降雨量だったと思いますが、何とか持ちこたえています。

江戸時代には宍道湖があふれ100人近い死者を出したとのことで、宍道湖、それにつながる中海の治水は住民の悲願だったと思います。

現在、宍道湖、中海はコンクリート護岸で囲われているので江戸時代のような大被害を起こすことはありません。この護岸事業がいつ行われたのかわかりません。県の事業の歴史を見ても記載がなかった。なんで記載がないんだろ?と不思議な気がしたけれど、別に隠しているわけではなく県の事業ではなかった(国の事業だった)からですね。おそらく昭和初期から戦後までには終わっていたと思います。

 

この護岸事業の影響で治水に成果は上がったが、水質の悪化を招き1959年には遊泳禁止となっています。コンクリート護岸により水辺の植生が無くなった=河川から流れ込む枯葉を保持し分解するフィルターが無くなったので枯葉が汚泥となりたまってしまったことが原因ですね。

 

のちの時代の人が「なんでこんな愚かなことをしたのだろう」と言うのは簡単ですが、

当時はそういう結果を予測する

十分な知識がなかったのだから仕方がない。

 

人が死ぬよりはましである。

 

 

そう考えて我慢するしかありません。現代では徐々に昔の環境に戻す努力(水辺の植生の再生)を始めていますね。

 

さて、今回の雨もそれに匹敵する降雨量だったと思いますが、何とか持ちこたえることができたのには理由があります。

それが流入する河川の治水事業。

 

■斐伊川放水路事業

 

【リンク1】 国土交通省 中国地方整備局 出雲河川事務所「斐伊川放水路事業」

 

【リンク2】 島根県・広聴・広報 >フォトしまね >191号 >島根県 : 特集1 斐伊川放水路が運用を開始しました


宍道湖に流れ込む斐伊川の水を神戸川にバイパスし日本海に流す放水路ですね。

普段は水は流れてないので「無駄な事業しやがって」と思ってる人多いと思いますが、運よく大雨の時にここにものすごい量の水が流れているのを見ると「よく作ってくれた!」と感心しますよ。僕は実際に見たことがあるので、本当に実感しています。

もしこの放水路がなかったら、
先週の大雨だけでなく、
今日も出雲、松江周辺は
甚大な被害を被ったことでしょう。

 

人間が生きてゆく限り環境に手を加えて安全に住みやすくする。

そのために水質などの環境が悪化することもあるかもしれない。

だが死人が出るよりまし、そう思うしかないのではなかろうか?

 

「自然」とは「自然の中に存在してきたなにか」ではなく、

人間が頭の中で

(つまり"人工的に")作った

観念に過ぎない。

 

観念は"自然と"

存在したりしない。

「自然破壊はけしからん!」

「環境破壊は許せない!」

ではなく、時に

「自然」「環境」の定義を自分たちに

都合の良いように修正する、

定義しなおす。

 

僕はこれこそが現代社会で

必要とされる知恵なのだと思います。

 

いじょ (`・ω・)ゞ