街では「ポケモンGO」が持ちきりの話題で、マスコミも面白おかしく特集している。 もともとは任天堂のコンテンツで、妖怪、特に水木しげるの妖怪物語に影響を受けて生まれてきたものらしい。 「妖怪」といえば「河童」や「座敷草鞋」など日本の古くからの生活、民話を集め「民俗学」という学問を打ち立てた柳田国男に始まる。 一方古くは「鳥獣戯画」に発する日本の漫画の歴史があり、また広いジャンルに跨る「アニメ文化」が基盤を作っている。
「アニメ」文化というのは、題材やストーリー、絵が一体となり人間の感動を呼び起こした歴史が積み重なったものだ。 俺たちの世代は、親に子供の頃「漫画なんて読まないで勉強するんだ!」と注意された思い出がある。だから隠れて漫画を読みふけったものだ。
その後の漫画やアニメ愛好家は「オタク」と呼ばれ長い間、肩身の狭い思いをしてきた。彼らの年に二回の集いは「コミュケ」と呼ばれわずか3日間で数十万人集めるにもかかわらずだ!
世の中では「オタク」とは「その集団しか理解できない熱狂的な嗜好の集団」とされて「胡散臭い人たち」という扱いを受けた。一方切手、絵画、骨董収集者や研究者、探索者は「マニア」と区別され社会的に「認知」を受けたという違いがある。 ところがその集団の中でややこしい人たちがいる。
俺がイギリスに駐在していたころ、イギリスの数十人の観光団がギリシャ政府に「スパイ容疑」で拘束されたという事件があった。カメラで航空機の写真を撮っただけで、禁止区域で取ったものでもないと釈明した。ところがイギリス政府も通り一遍の抗議をするだけ、マスコミの扱いも小さい。会社のイギリス人の製造部長に聞くと「彼らは古い航空機の写真コレクターで世界各地どこにでも入って写真を撮って、雑誌で発表する。ギリシャは貧乏で軍も前世期の遺物みたいな機器ばっかりだ。其れを発表されると大恥になるんで捕まえたのでしょう。彼らはいつもそんな事情も考えず迷惑をかけてきた。捕まって少しは頭を冷やしたらいい。」という。 俺はすぐ日本の鉄道マニアを思い出した。
鉄道写真を撮る為ならどこにでも入り込み、人の迷惑など介さない「鼻つまみ者」を、、。
だからポケモンGOも顰蹙をかわずに、楽しく遊んでほしいものだ。
いろいろあったが近年「オタク」に肯定的なニュアンスが多くなってきた。オタク趣味の人が長い間みんなの理解獲得に努力してきたことに加え、世の中も寛容になってきたのだと思う。「オタク」も「マニア」を併合する勢いだ。
こういう風に世の中が変わってきた今、もう一歩進めてみたい。
「オタク」にだけでなく、マイノリテイ(少数者)、少数意見、他者、他生物、さらに広く言うと「環境すべて」に優しくなってほしい! 人間はすべての環境の中で活かされているのだから、「他」にひどいことをすれば、しまいには己の首を絞めることになる。 優しくすると自分も住みやすい社会ができる。
だから俺は「オタク」ではないとおもうけど「オタク」を見ると微笑ましくなる。
多様な文化が花開き、多様な人々が生き生きと楽しく住める社会、、、いつ来るのだろう?