子供たちが待ち望んだ夏休みが始まる。ただ俺の子供の頃はとにかく「宿題」のてんこ盛りだった。ところが夏休みが終わる前日は、「兵どもの夢の跡」状態、、、遊び放しで宿題に手がついてない、、のが常。
「夏休みの友」というガイドブックの解答、出鱈目の「朝顔開花記録」を作る。妹から聞いて「夏休み日記」に天気、気温を入れる、その中身は「創作」だ。毎日、勉強、家の手伝いの日々、にしよう!。
「漢字の書き取り」はノート一冊「大きい字」でうずめる! メインの宿題、「自由研究」は急遽、網をもって蝶、セミ、トンボ、カブトムシにクワガタ、その辺の虫を採って保存液を注射しピンで張り付けた。「昆虫標本」の完成だ。虫採りが間に合わない時は、集めておいたf土器」「石器」を並べて「我が故郷の古代史」として出品した。ところが「工作」は鬼門だ。面倒なうえに造り方が書いてあってもイメージが湧かない! 最後の日の夜はいつも滅茶苦茶叱られながら親父が作った。母親も俺と同じで「工作」は苦手だったから、、。
今でも妹に「兄貴が勉強するのを見たことがない」と言われるがそれほど嫌いだった。大人は勉強しなくていいな、と憧れて自分も早く大人になりたいと思ったものだ。
通知表には毎学期「正義感は強くリーダーシップはあるが、持続性に乏しく落ち着きがない。」と書かれた。教師だった父親に6年の卒業時、担任が家にきて「6年間で立派にできなくて申し訳ない」と謝りに来た。 俺はうまくやろうとしてもドジを踏み、却って失敗や周りに迷惑をかけることが多かったのだ。
ただ小学校6年生の頃から「一夜漬け」というやり方を覚え成績が飛躍、中学校になって4つの学校が一緒になってもずっとトップだった。ここで世の中を甘く見てこんなもんでいいんだという誤解が生まれて行ったのだと思う。高校も皆は勉強しに図書館に行くのに俺は小説を読みに通っていた。
元々努力が嫌いな子がごまかしで勉強をスルーするのだから学問での大成は無理だった。
こんなことを思い起こしてみると、俺はそのまま大人になったのだと思う。変に「痛い目」に合わなかったばかりに、大成するチャンス(有ったとしたら)を自分から放り出したんだなと今更ながら反省だ。
自分の子供たちも俺によく似ている。 長女は勉強した姿を見たことがない。苦労しないわりに、神様に申し訳ないと思う程人生上手くわたってきた。次女は「一夜漬け」の名人だ。趣味や人生の「目標」がころころ変わるものの「一夜漬け」でなんとか乗り越えてきた。
将棋の羽生7冠が言った名言がある。「天才とは努力を持続できる人のことを言います」。
では俺の場合も、俺の子供たちの場合もどうすればもっと成長出来たのだろう?
叱ったら発奮するタイプじゃない。かえって反発するだろう。
だから「褒めて育てる!」、いつも寄り添ってあげながら、、、、。
よく言うじゃないか! 「豚もおだてりゃ木に登る」って。