日本でもスマホで取引出来るシステムが一部始まりそうだ。中国では個人決済の主流になっているそうで、逆に「技術先進国日本がなぜ前時代的カード取引なのか?」疑問視されているという。
最もこういう事態は電話事業についても同様だ。 有線電話システムがなかった中国は、最初からインターネット通話を導入した。 その調子で技術も最初から「世界最高、最先端の技術を欲しがった。
技術は文化と車の両輪のように互いに支え合いながら発展してきたのだが、中国では「革命」に次ぐ「革命」、ヘーゲルの「アウフヘーヴェン」の連続で、基盤なしで最新型に辿り着いた。一番効率的な「追いつき追い越せ」法と信じられたからである。 また商品も簡単にコピーされる。現代の3次元CADをもってすれば写真1枚さえあれば、トヨタの新車でさえ簡単にコピーできるという。勿論「型」まで付きで、、、。日本の型メーカーのトップに聞いた話だから間違いないだろう。彼らまで中国へ進出しているのだ。
残念ながら恰好はそっくりだが性能、安全性は大きく劣る。鉄板からねじに至るまでここまで積み上げてきた技術は「コピー」できなかったのだ。そうした基礎の分野は無視、軽視してきたからだ。
最大の導入したシステムが「金融」だ。社会主義の下で資本主義の金融、会社システムを入れようとしている。「国家資本主義」に似て中国はヒットラー体制に似たファシズム資本主義に変質中だと思う。
日本でも、明治初期と戦後、西欧文化、技術の洗礼を受けた。いや明治は今の中国に似て都合よく技術だけ取り入れ都合の悪い「人権」、「民主主義」、「個人主義」等の「文化」は切った。文化まで入ってきたのは戦後が初めてで、当時の為政者にとっては「嫌々ながら」だったが国民は狂喜した。 当時少年世代だった俺の6,7年先輩たちは英語で歌い、ジャズを楽しみ、お洒落だった。若い俺たちが遅れてさえ見えた!
我が国には「急がば回れ!」ということわざがある。 しっかり基礎を習い底にある文化を理解し、真に世界と交流したいものだ。しかし西欧がすべていいというわけでもない。自分たちの権益を守る為経済スポーツ等文化の領域に至るまで「ルール」をころころ変えるのだ。また儲かれば「最初ヒトラーを支援したように」中国が何をしても原則を曲げて応援する。また各国とも格差問題をかかえ、イスラム難民やアメリカの黒人問題は依然深刻だ。
そういうわけで我々が採用した文化は全能ではないが、問題が出れば修正、改善を重ねレヴェルアップを図ってきた。しかし今中国は急速にGDPなど力を伸ばしているが一方では、戦前のわが国に似た状況に陥っているのでないかと思う。歴史を学び方向を修正して世界の平和、繁栄に向かって欲しいものだ。
「ローマは一日にしてならず」 、 「千里の道も一歩から」 、「一人の命を大事にする社会」
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