4年ぶりのブログだ。この間母親や叔母を看取った。女川の女房の母も、大震災以来住む場所、治療してもらえる病院を探して各地を転々と漂浪中だ。俺はやっと母と叔母の3回忌を終えひとまず一息をついている。とはいえ女川の母もつい先日救急車で担ぎ込まれやっと退院したばかりだし、会津にいる叔父も老人ホームに入った。みんな90歳以上の年なので、心配なのだ。


小生も身体の「問題点」を医者から次々と指摘され、入院、手術を繰り返し、さすがにそういわれると言われるまま「まな板の鯉」的心境で、数年が過ぎていった。

何も変わらないのは酒=芋焼酎を飲む生活だった。

今も月6本(6升)を開けて休肝日も設けないまま何とか生き延びてきた。病状は少しずつ悪化というところだ。  糖尿病持ちの俺にとって暴飲暴食が良くないのは分かったいるが何せそれが生きがい=楽しみなのだ。

この4年、なぜ酒が離せなかったのか?酒がこれからも「友だち」と思えるのはなぜか?考えてみたい。


18歳になって大学入学して「悪い先輩、同期」から影響をうけすぐ「お酒の虜」になった。

二日酔いの朝は神様に禁酒を誓い、頭痛と痔退散を祈ったが、夕方になると、また酒を飲む日々だった。

貧乏学生だから安いオーシャンウィスキーをコーラで割って(不味いから)、酔いが回るまで寮内を走り回るやり方だった。寮の近くの酒屋を深夜起こして調達に行くのは我々新入生の役目で、必ず起きて相手をしてくれた娘さんのパジャマの色も大事な報告事項だった。

酒は酔っぱらうまで飲んだし、後輩におごる時も酔っぱらうまで飲ませるのが先輩の務めだった。


今思い返しても「酔っ払い」の日々だったけれど、それこそ今に通ずる真理がありそうだ。

つまり「酒を飲む」のが好きというわけではなくて、「酔った」時の高揚感、連帯感、生きている実感、幸福感さえも感じ取れた。

酒は美味しくて、幸せな酔っ払いになり、二日酔いにならなくて勿論胃腸や痔にやさしい、、、これが理想yのお酒じゃあるまいか?


この4年間は一方ではこんな究極の芋焼酎を探す旅であったともいえる。

「美味しい」ものが気分よく酔えるものとは限らない。「アルコールの塊」は不味かったり強すぎて飲めた代物ではない。コクがあって飲み口がやさしく、気持ちよく酔ってくる「強くて優しい」酒、、どこにあるのか?


どうも見つけたみたい。それも昨晩! わずか2杯で日本酒で酔った時のようだ。

今までもこれはもしや?と思ったものはあったが強すぎたり、コクがあっただけでいまいち。

でも今回は違うと思わせる。酔いの高揚感はずっと続いていた。やっぱり酒は酔えてこそ、楽しく、リフレッシュできる。入手が難しいお酒ではあるが、数か月に一本ぐらいは飲みたいものだ。ここが酒飲みの難しいところだが、いくらいい酒でも毎日は飽きる。偶の酒がちょうどいい!

これからが楽しみだのう!