フォレスターについて有名な評価がある。 それは「ベストメデイアム」、、、「偉大な中途半端」というマアほめ言葉なんだそうだ。   そこそこに高速やサーキットや峠を走るし、そこそこに難所や荒野も踏破するし、雪道に至っては追随を許さない、、、、、いい意味の「中途半端な車だといいたいらしい。


俺は理想的な」「オールマイテイ」車というべきで、「中途半端」なんて表現は分かってない、、、と思う。

どこでも、どんな自然環境でも、こんな走る、あるいは乗り越えるという満足を与えてくれる車がフォレスター以外どこにあるんだ?といいたい。

スポーツカーあり野外用SUVあり、ツーリングワゴンあり、、、というようなそれぞれへの特化も分からんでもないけど、一つの車でそれが実現できる、、、ということのほうがもっとすごい!と思う。


それとこれはメーカーの思惑を超えていると思うけど、「自分たちの好みで社外部品や純正他車種流用部品をもってきて、好みの味付けが出来る、、、というのも一体感や思い入れを強くする。


アメリカに住んでいた時アメリカ人は、自分たちで車のトラブルを何とかしようとしていた。

自分の仲間、ペット並みの思いで分からないなりに直そうとしていた。今は、コンピューター化され、デーラーでも

修理出来る人はまれで「故障診断機」に沿ってユニット全体を取り換えるのがマニュアルだそうだ。

車は冷たい、近寄れない機械、、、、に変わっていったんだ。


その点スバルはまだ我々との接点を閉ざしてはいないと感じている。 この辺の「曖昧さを残す」ことは、リコール全盛、クレーマーが跋扈する世界にあって、大変な決断だとは想像するが、一オーナーとして感謝している。

だから社外部品メーカー、チューナーたちも何かにとりつかれたように、純正を超えるパフォーマンスに挑戦することになるのだろうか?


更に「同好者」のネットワークの広さである。  「みんから」は勿論、ショップやチューニング会社、オフ会仲間、同好誌、、、、縦横のつながりで有益な情報やサポートがもらえるのだ。


車は単なる移動手段だけでなく、それをしながら同時にいろいろな環境、自然の「試練」を克服し、目標実現をするという、自己実現の手段、道具、手足だということだ。そういう車には我々は愛着を抱き、我が子のように大事にするんだろう。


昔「機械文明」の発達が人間社会を破壊、滅亡させるという硬直化した世紀末的文明予測がされたけど、唯ハンドルを握っているだけで何でもしてくれる車なんて何の魅力も俺は感じない。

そうだったら電車か地下鉄に乗ればいい。わざわざ車に乗る、、、、この意味、、ワクワクさを考えてほしいと思う。


移動手段に違いはないがが、「自由」になれる、、、人間に戻れる、、、、主役になれる、、、、そんな夢を与えてくれる車であってほしい。

間違いなく先代フォレスターSG5はそんな車だ。

今日のドライブも楽しかったなあ。 女房殿には「ガソリン代の無駄」といわれているけれど、、、。