スバルには、メーカー発チューニング車「STI}があった。トヨタにもTRDがある。   業界紙によると、トヨタは傘下のチューニングショップにおける「成果」を取り入れたチューニングカーを発売するプランを持っているらしい。

フォレスターの場合を見ると、オーナーはSTIに飽き足らず、各チューニングショップから提案される、「革新的」パーツを取り入れて、その車なりの究極を求めて挑戦して要るのが実情だ。

だから、「どこまでやるの?」というのが、課題であり、悩ましい問題だろうし、興味深々の的となる。


メーカーの設計陣がプロとして、時間と実験を重ね造り上げたシステムなのだから、いくら「チューニング」といっても例え見るべき素晴らしさがあっても、一方では、耐久性なり、かかるコストなり、乗り心地に犠牲を強いることになる。  またそこだけ強化したら全体のバランスが崩れるから、無限のスパイラルのバランス取りに追われることとなる。 だから弄りに対して「自己満足」の世界!と揶揄されるのかもしれない。


でも車のオーナーの中には潜在的にこうした願望を持つ人たちが少なからずおり、車社会の一翼を支えているのも事実であろう。  チューニングショップ群の提案パーツも各種レースで鍛えられ、目を見張るものも多い。

俺も実際、こうした提案パーツを「みんから」の実施例を参考にさせてもらって、その効果に酔いしれ、益々はまってきた一人だ。  だからトヨタには思い切って踏み込んでもらいたいと切に思う。


ただ、車は我々アマチュアから、メーカーの思い入れの世界に離れて行って、弄れない高根の花に変わりつつある。 下駄替わりのコンセプトだけだったらそれでもいいだろうが、自分好みの「カスタマイズ」を車の一つの魅力と感じる輩には、もっとシンプルな、手を入れる余地を置いてくれる車を望んでいる。


そうした意味で、全てを一つにすることなく、多様なニーズを受け止める車造り、車の提供をどんどん広げてほしいものだ。 車の多様な魅力が浮き彫りになってくる企画でもあると思う。車には、走る楽しさもあれば、乗る、移動する楽しさもある。室内での音楽や会話、情報やTVやラジオを楽しむこともできる。自分だけのの「空間づくり」だって可能なのだ。  いろいろな車が雑然と共存する、、、そんな社会も面白いではないかい?


小さくまとまらず、好き勝手のようでいくつかの流れに合流する、多様な社会を反映する、車社会。

俺はそんな世界で、自己主張したい。