何故にチューニングしたフォレスターの良さが分からないんだろうか?
低速でとろとろの街乗りで「ハンドルが重い」「運転が疲れる」と分かったようなことを言う。
スムーズな加速をエンジョイするどころか、「スピードを出さないでよ!」と喚く。
車は足でそれ以上でも以下でもない、、、。 こんな人たちには燃費がいいだけの走らない車を与えておけばいい。 一時、家庭における車の購買決定権が女性に移ったという分析から、女性にターゲットを絞った車のコンセプト造りが叫ばれたことがある。
小さな子供を持つ家庭へのミニバンの提案、超低燃料消費車の開発、これらは確かに大いに支持され販売も好調だったが、それ以外では、つまらないl車の横行が目立った。
、、、これぐらいで目先を変えておこう、ごまかしておこう、誰も分からないさ、、、、「大衆路線」の名のもとに、「無知な何の要求もない」消費者に媚びた車作りに陥ってしまった感がある。
メーカーの特長や他に追随を許さない独自性が薄れ、「無難」な似通った車ばかりに見える。
いつもは羊でもウサギでもいい、、、、しかしやる時はやる、頼もしい車であってほしい。
それから唯我独尊のお仕着せコンピュータ制御一辺倒は考えどきではないか?
何も分からない、要求のない人々にはそれでいい。
車を愛し、友とし、運転を通じた自己実現いや少なくとも楽しいと感じる人へのアプローチを考える時期が来ていると思う。 だからトヨタの新総帥豊田社長が今打ちだそうとしている「楽しい」車作りに共感を覚える。
昔は女性を横に置いて、ドライブすれば口説きがうまくできたものだ(俺はそうした経験はないがそう言われていた)。 ということは女性の考え方が変わっていったのだろうか?
でも俺はもしそうだとすれば、女性の「退化」以外の何物でもないと思う。
もっと感性に秀でた人であってほしい。 昔、「女性は子宮で考える、男は頭で考える」などとうそぶいて物議をかもした時代もあったが、それほど無心、無欲の一本気、真実への一辺倒に拍手を送られる存在であった。
眠れる獅子よ! もう一度目覚めよ! 共に「Fun to drive」を唱えよう!