今や、「死語」と化しているが、昔、「地震、カミナリ、火事、親父」という言葉があった。 この世の怖いもの順に並べたのだが、まあ当時はそんなものだったかなと思う。

しかし、今、「オヤジ」について多くの若者にそんなことを言っても「冗談だろう!」という感想が返ってくるに違いない!


今、50代から60代の「親父族」は、戦後の高度成長期を必死に生きてきた。 自分たちの味わった、「貧困」と「封建性」の悔しさを自分の子供には、繰り返させたくない!、、、、という世代共通の思いがあったと思う。

その意味で子供たちを「よく守ってあげた」という点については、胸を張っていいと思うが、「生きる厳しさ」を教える」という大事なことは余りして来なかったのでは?という反省がある。


俺の親父は、「悪いことをしたら、土下座してすぐ謝れ、絶対言い訳をするな!」という教育だった。その点は厳しかった!

俺は、「俺なりの正しいと思う理屈」にこだわってなかなか謝らなかったから、よく叩かれた。 子供心にずっと「理不尽」と思っていたから、叩かれない体格になってからは親父とは距離を置き、口をきかなくなった。

中学2年生ぐらいから社会人になるまで俺の長い「反抗期」が続いた。親父は50代でガンでなくなり、俺の子供の誕生も見ないまま、それと、俺との「親と子の会話」も少ないまま、、、、だった。

だから、俺自身は今でも、後悔の気持ちに駆られる時がある。「もっと話せばよかった!」、、、、と。

しかしだからといって、俺が親父を尊敬していなかったというわけではない! 立派な人だったと今でも思う。

このお盆には、しっかり線香をあげて、親父との「心の」会話をしてこようと思っている。


さて話は、現代だ。 

ここまでは、俺も大した親でなかったけれど、子供たちに何か伝えるものがあるのでは?と女房と話すことがある。   追々、気がついたことを伝えていく努力をしないといけないとも思う。未だ、親の務めを果たしていない!

我が家の「DNA]を伝えねば!


そうだ!それを言うなら、車にだって「DNA]があるだろう!

例えば、カローラには、カローラの「一本の赤い糸」が繋がっているし、クラウンしかりだ。   無くなって、さみしいと思っているのが、コロナ、そしてなんといっても「コロナマークⅡ」だ! もう一度目の前に戻ってくれないか?と念じてみる。

設計者は勿論、代替わりするのだが、見事に「進化」させながら、継承しているもんだと感心する。

モデルチエンジ時には、最初、変化に違和感を覚えるものの、「やっぱりつながっている!」と思わせるものがある。


「改革」、「変革」と「継承」、「DNA]、、、この相対立するものが見事に溶け合った車に出会うと感動する。

車のデザイナー、エンジニア、設計者達って凄い!  改めて尊敬するよ。

仏教の世界でこんな概念を「輪廻」、、、っていうんじゃなかったかな?


2代目フォレスターに乗って、車の「DNA]を考えながら、我々人類の「輪廻」に思いを馳せる。

お盆だなあ!