車は、昔から色濃く育った国の文化を、いわゆる「お国柄」をあらわしてきた。  また、その国の王室、政府、軍部等がスポンサーになっていた事情もあり、陰に日なたに、庇護や保護を受けてきたのである。今の若い人は、驚くかもしれないけど、ヨーロッパでは、社会主義国家でもないのに、自動車会社が国有というのは別に珍しくもなかったものである。 そのこともあって、各国では「乗用車の輸入台数割り当て」が厳しく管理され、政治、軍事以外、特に経済面では、名ばかりの「自由主義経済」だったと言ってもいい。


それが、アメリカの世界を引っ張る力の弱体化、各国政府の赤字の巨大化と相まって、保護主義の撤廃、「国有企業、事業の民間化(いわゆるプライバタライゼーション)」が進行してきて、今現在の姿に落ち着いてきたのだ。

日本でも自動車産業ではないが、国有事業の民営化が進められてきたのも同じ流れだ。


皮肉にも(それなりの大義名分はあったとはいえ)この苦しまぎれの手が、「自由主義経済のグローバル化」を促進し、想像を超える巨大な経済を創造し、社会主義国家をノックアウトさせたスタートになっていったのである。


実は、歴史を、ここまで長々と書いてきたのは、「ああ!、それなのに、それなのに!」と強調したいことにある。

この大改革の提唱者であり、実現に向け、ずっと各国に圧力をかけてきたアメリカが、「クライスラー、GM救済」

を錦の御旗にして、「グローバライゼーション」をストップさせかねない「全くの私企業支援」という「禁じ手」を打ってしまった!


 俺がアメリカに駐在していた5年間も、アメリカ政府は、「鉄鋼」「造船」「電力」「自動車」等自国産業の保護政策を強引に行っていたが、逆に衰退の一途を辿って、世界の中でますます競争力を失う結果となった。 対象の産業分野では、「救済」に味をしめてやらねばならない努力を怠るからだった。


今、アメリカでトヨタやホンダをはじめとして、日本車メーカーは、このあまりの「不公平さ」に大変な苦労をしているはずだ。

俺だって、すごく怒っている。「へん!汚いじゃないか!いつも最後は政治かよ!」

でもこの「国有化」に未来がないことは、社会主義国家を見るまでもなく、前述した「自由主義経済の戦後の歴史」を見るだけで十分だ。 ポジテイブに「神の与えた試練」と受け止めて、次の飛躍の起爆剤になることを是非期待したい。  頑張ってくれよ!


翻って、我が日本を見ると、相変わらず政治は、ヒドイし、経済も右肩上がりを維持することは、極めて困難だと思う。中国をはじめとする新興国家と「コストの競争」で勝つことは不可能に近いからだ。

経済の体質転換、人材の育成、このための思い切った制度の改定、制定、やらねばならぬことは、いっぱいだ。


俺の子供たちを含めて、次の世代は、とうてい親世代の再現は難しい。早くそうした社会の流れを見極め、未来社会で生きていく為の「自己鍛錬」を始めてほしい!

その苦労や努力はいずれ必ず報われるはず。 流れに逆らうのではなく、流れの中に活路を見出す!


設問へのオレ流の答えを言おう!車にはまだまだ国境がある。しかし ボーダレス社会に進むことは必然と思う。


社会進歩と人類生存の流れに立つ施策と努力の向こうに、我が国の自動車産業と我らの子孫繁栄の時代が訪れることを祈りたい。

フレーフレー日本!