わたしは家作りやお片づけに関して、こどもの意思を最大に尊重する親ではないです。


あきらかに使ってないであろうモノを本人に確認してから処分したり、あるいは確認せずに処分したことも何度かあります。


だからと言って、こどもが今まさに使っているおもちゃや、明らかに好きだとわかるおもちゃやモノを、わたしの価値観で排除してきたわけではないです。


子供にとって、コレが、どれくらいの位置にあるかがわかりやすいモノをわざわざ無理やり捨てたり排除してきたわけじゃないというのは明記しておきます(勘違いされたらヤダからねw


子供にとっても位置づけがビミョーなモノ、ビミョーそうなものって、子供を見てるとわかるんですよね。これはその子供と毎日一緒にいてコミュニケーションしている人にしかわからない感覚かもしれないですけど。




例えば、牛丼屋でもらった謎のストラップ。


例えば、本の付録についてきた組み立てられずに放置されている山折り谷折りのりしろ系のクラフト。


例えばっっっっ


ビーーーーー玉。

ガチャガチャのおもちゃ。

ハッピーセットのおもちゃ。

セミの抜け殻。

100均のニセリカちゃん人形。

ばあば(じいじ)が買ってきた服


例えをあげるとキリがないんです。


そういったモノを、子供に、「いる?」って聞くと、漏れなく「いる!」って言います。漏れなく。(この漏れなさはオムツメーカー各社がリスペクトするレベルで。


じゃあ普段から、その子はソレを大事そうにしているか?を尋ねると、決してそうとは限らない。その辺に放置されているからこそ、片付ける側として、「これいる?」って聞くわけです。


子供としては、「別に放置しているわけじゃない」という主張になります。たしかに、放置する!という明確な意思があるわけじゃないのはよくよぉーくわかるんですが、


"放置されている"


というのは、結果論なんですよね。結果、放置されてますよД)


結果、放置されているように思えるような感じに見受けられますよーД)」っていう話で。



ここは多分水掛け論になりそうなのでこれ以上どうにもこうにも相入れない場合もあると思いまふ。(お母さんだって!とか、お父さんも放置してる!とか始まったらもう地獄よ....最終的に手がでる始末w




①聞くと「いる!」っていうから、「いる!」って言われたモノをとっておく。


②「いる!」って言われたモノをカテゴライズする。


③カテゴライズしたモノをしまう。


④子供が取り出し、使う。


⑤使ったあと、しまわない。


ココッ!こーーーーーこッ!

使ったあと、しまえ?な?出したべ?しまえよな?な?


と、こうなるわけで。


じゃあなんで"しまわない"という現象が起きてるかというと、しまうという発想そのものが子供に備わっていないので行動に結びつかないのと、しまい方、しまう場所の位置、しまう場所の広さ、しまう入れ物がこどもがしまいやすい入れ物なのかどうなのか?という問題になるわけです。



・しまう場所がこどもの目線に合っていて、こどもから見て見やすいか。


・しまう場所の優先箇所と、こどもがよく使うモノをしまう場所が合致しているか。


・狭い場所にたくさんのものを収容していないか。


・しまう入れ物が子供にとって見やすく扱いやすいものであるか。




①聞くと「いる!」っていうから、「いる!」って言われたモノをとっておく。

↪︎本当にいるのかどうか、真価を問う。


②「いる!」って言われたモノをカテゴライズする。

↪︎カテゴライズはあまり細かくしない。


③カテゴライズしたモノをしまう。

↪︎よく使うものを取り出しやすい場所に。


④子供が取り出し、使う。

↪︎何が好きでよく使っているか、大人の価値判断基準をなくしてよく観察する。


⑤使ったあと、しまわない。

↪︎現在の収納が、子供にとって使いにくい状態だということを理解する。




そしてここからはプロの出番です。


まりこじゃなくてもいい。誰でもいいから、この人!と思った片付けのプロに相談するのが手っ取り早いです。的確な道具を知っています。的確な場所を知ってます。的確なやり方を知ってます。何パターンもの収納を知っていて何パターンものお宅の収納と家事導線と家族の心地よさを知っていますから。片付けというみんなが頭を悩ますことを得意として実践をしてきていますから。なんせ、プロですから。


場数をたくさん踏んでるプロ、心理に詳しいプロ、会うだけで楽しい気持ちになるプロ、ロジカルに納得させてくれるプロ、などなどいろんなタイプの片付けのプロがいるので、この人がいいなー!と思うプロにもう連絡しちゃいましょう。




そして、家族という境界線が曖昧になりがちな共同体にプロという他人を投入する事で、客観性も生まれるし家族や自分のクセが浮き彫りになりますし、そもそもの課題も見えてくるし、テキパキ動ける人材にもなります。



大事なのは放置されている"いま"   "NOW" じゃなくて、放置されているということは、どの角度からみた意見なのかを一致させた上で、さあこれからどーーーーする?っていう、未来の行動、Future actionなんです。



片付けたくて個人のものをどうこうしようとする側だけが、境界線を侵害しているわけじゃなく、


片付けている人がいるのに、片付けているそばからあちこちにモノを置いたり、片付けなかったり、自分のスペースに戻さない側のほうも、片付けている人の片付けたいという境界線を侵害していることにもなっている。



要は、"お互い様"なので、「お互い様だろっ!」と突っぱねるのではなく、お互い様なんだから、お互いが心地よく暮らせる方法を対話から見出そうというコミュニケーションをしたいところですね。