ぢーこさんにインタビューしてもらった。

 

ぢーこさんというのは子供といっしょに外で遊びまくってる非常に頭のおかしな大切な友人。(大好き)


 

facebookで別の友人がぢーこさんにインタビュー記事を書いてもらっていたのを読んで、「ぢーこさんはこの人を愛してるんだなー」と思い、「私もこんな風に書いてもらいたいなー、ぢーこさんにならすべてを委ねられるかも。。。」と、インタビューバージンの私は早速ぢーこさんに脱がされるつもりで、お申し込みをした。

 


ぢーこさんは仕事に利用できるような内容がいいか、聞いてきてくれたけど、仕事に利用できるとか関係なく、とにかく人に何かを聞いてほしかった。

 

”私”という人を聞いてもらってみんなにも聞いてほしかった。

 

”わたしってこういう人なのー”を、叶えたかったというか。

 

いささか恥ずかしい気もするけど、以下、ぢーこさんが書いてくれた野副真理子を是非、読んでくださいませ。

 

始まり始まり。。。

 

 

---------------------

 

 

おそうじやさん八王子まりこ

 

 

 

インタビューする前から真理子さんのことは知っているつもりだった。

 

ステップファミリーのお母さん。

情に厚い女。

喜怒哀楽を素直に表現する人。

下ネタで盛り上がれる面白い人。

漫画の好みが似ている人。

働くことを喜べる人。

知識や経験をシェアして世の中に貢献したい人。

 

そんな印象。

 

それらの印象は、間違ってなかったとも言えるし、全然外れていたとも言える。

人間だから、その日の気分によって出てくる部分が変わることはよくあることなんだろうけれど、彼女の多面性はつかまえられない光のようなのだ。

サンキャッチャーが集めて見せる虹をつかもうとして空振りする子どものように、二時間、私は「野副真理子」を捕まえようとして空振りし続けていたような気がする。

かといって、彼女が私の前で鎧を脱がなかったというわけではない。

むしろ、パンツまで脱いで「ほーら、ほーら」と全部見せてくれたのだと思う。

私の人生経験では、彼女の体験してきたもの、つかんだものを咀嚼するのに精いっぱいで飲み込めなかったというのが本音。それくらいすさまじく深い経験をしてきているのに、軽やかに生きている。

それが「野副真理子」という人間なのである。

 

真理子さんは、秋田県の由利本荘市というところで、女系家族の三女として生まれた。祖母、父、母、年の離れた二人の姉。三女である真理子さんが生まれる前、「そろそろ男だろう」と家族は思っていたらしいが、生まれたのは目のぱっちりしたまつ毛の長い可愛い女の子だった。かわいい末っ子の座を奪われた下の姉は真理子さんに嫉妬しまくったが、彼女以外の家族はみな真理子さんをかわいがり、家族のアイドルとしてすくすく育つ。

 

小中学校時代の真理子さんの一家は、土着の人間関係が濃い田舎から田舎へと何度も転居を繰り返したという。そこで真理子さんは、壮絶ないじめを体験し、死にたいと思うような目にも遭ってきた。自殺未遂も経験している。今の彼女からは想像もできないが、「女子同士の関係の中では、やったりやられたりというのが当たり前だと思っていた」という。大人への洗礼であるかのように女子の人間関係の難しさやいやらしさを学んだ思春期だった。

 

真理子さんのご実家は、一人っ子のお母さんがそのお母さん(真理子さんの祖母)と暮らすために、お父さんに婿入りしてもらってできた家庭である。お母さんは祖母に対して雑な扱いをすることが多かったという。娘たち三人はそれを見ながら育ったので、みんな祖母をないがしろにするのが当たり前になっていた。ある日、祖母はお風呂で転んで骨折する。腕の怪我だったのだが、その後、排泄の後処理が一人で難しくなって誰かの手を借りなくてはならなくなった。お母さんはそれをさも面倒そうにこなし、家族もそれに倣った。祖母は真理子さんが小学校を卒業した三月、ひっそりと自死する。読み書きのできない人だったので遺書はなかったが、誰かの手を借りなくては生きていけない自分を「もういい」と諦めたのかもしれない。お母さんは、今もこのことを大変悔やんでいるという。真理子さんは当時まだ幼く、祖母の心情を慮ったり母の後悔に寄り添ったりする余裕はなかった。が、家族が自分で命を絶つこと、残された人たちのこと、など後々影響を与えられた出来事であった。

 

18歳で短大に通うようになると、終電が早いため自宅にはなかなか帰らなくなり、このあたりから真理子さんの自立が始まる。友達の家を泊まり歩いて週に一回自宅に帰るか帰らないかという生活をしながら着々と親離れの道を歩き出すのである。真理子さんの育った家庭では、欲しいものは自分で手に入れるのが当たり前で、例えば自分の部屋でテレビが見たいと思えば、アルバイトしてテレビとアンテナの工事代を自分で稼ぐものだった。そんな真理子さんだったので、独立独歩への道を歩き出すのは早かった。19歳の時、バイト先で知り合った三つ年下のぶっ飛んだ女の子と仲良くなり、毎日一緒に遊んでいた。真理子さんが25歳の時に東京に出てくるきっかけを作ってくれたのも彼女だ。

 

真) 「私の人生に大きな影響を与えた人って、みんな一人っ子なんですよ。この彼女も一人っ子だったし、母も樹音さんも一人っ子なんです。」(注:樹音さんとは高尾で「ふたこぶ食堂」というカフェを営む真理子さんの友人である)

 

ぢ) 真理子さんが思う、一人っ子の共通点って何ですか?

 

真) 「愛され具合の半端なさかなあ? 一人っ子特有の性質みたいなのがうらやましいです。私も家族の中では、姉たちに比べたらかわいがられて育ったと思うけれど、それはあくまで比較対象があっての、愛されてる実感というか。一人っ子の人って、とにかく愛情に疑いを持たないというか、その三つ下の彼女の場合、何をしても絶対嫌われないという自信が根底にあるみたいで、非常識でぶっ飛んだことを言ったりしたりしても、まったく人目を気にしないしそれで誰かが自分を嫌ったとしても意に介さない感じが圧倒的でした。私は子どもの頃の体験からくるのか、自分が今与えられているものがいつ無くなるのかと考えてしまうし、怖いです。私が物心ついた時から誰かと比較したうえで自分が幸せ、愛されているというのと、それとはまったく性質の違う自信はうらやましいです。」

 

ぢ) なるほど。愛されてる感じが周りにも伝わってくるのはすごいですよね。与えられてきたものの大きさがうらやましい感じはわかります。その彼女が真理子さんを八王子に呼んでくれたのですか?

 

真) 「いえ、一人暮らしから実家に出戻ってくすぶっていた頃、同じく秋田にいた彼女がある日『東京に住まないか?』って誘ってくれたんです。『そんなお金ないよ』って答えたら『派遣に登録したら住むところも仕事も東京までの交通費も出してくれるよ』って教えてくれて。その当時、恋愛で煮詰まってて無理やりにでも環境を変えたかったので、それはいい!って飛びつきました。うすっぺらのボストンバック一つと、母からもらった10万円だけ握りしめて新幹線でやってきたんです。それまで何度も東京に遊びに来たことはあったんですけど、住むぞって決めて上京してきた時は、大宮あたりで『もう秋田に帰ることはないんだ、これからはここで暮らすんだー』と、帰りの切符がないことを静かに噛みしめて、じわじわと湧き上がるものを見つめていましたね。」

 

ぢ) おお、なんかハマショーの世界ですね。

 

真) 「いえ、ナガブチです。(笑)」

 

ぢ) ナガブチですか。(笑) そこからずっと八王子に?

 

真) 「はい。派遣先で旦那と知り合って結婚して、ずっと八王子です。本当は、いっしょに行こうと誘ってくれた彼女が八王子勤務になるはずだったんですが、仕事の都合で私の方が先に上京することになって、それで昭島勤務予定だった私が八王子勤務になったんです。順番が逆だったらきっと旦那にも会ってないし結婚もしてなかったと思うので、めぐりあわせって不思議ですよね。」

 

ぢ) たしかに!旦那さんとは、知り合ったときから、この人と結婚するんだ、みたいな感じはありましたか?

 

真) 「いえ、まったく。そのころ私はタバコを吸っていたので喫煙室でよく会ったんですが、休憩中に盛りあがってる会話の輪があったとするじゃないですか? そういう時、彼は後から入ってきても必ず『あ、野副、いいとこに来た、ちょっと来いよ』みたいに誘われてて、彼の周りには人がいつもいて、人気者だなーくらいに思ってました。その後、新しい生産ラインを作ることになって、同じところで働くようになりそこから友達付き合いが始まった感じです。」

 

ぢ) 旦那さんから告白されて付き合いが始まった?

 

真) 「そうですね。それまでの恋愛はずっと、自分が好きになる一方で、片思いって辛いなあと思っていたので、好かれている安心感は大きかったです。でも、まさか自分が結婚するとは思ってませんでした。自分の人生で結婚して他人と暮らすイメージを持とうにも、あまりにリアリティがなくて。結婚したいとも思っていなかったし。」

 

ぢ) それでも結婚ってできちゃうものなんですねえ。(笑)旦那さんに子どもがいるというのも大きかったですか?

 

真) 「はい。いきなりお母さんになるっていうのは、ありえないと思ってました。旦那と結婚するってことは、この子のお母さんになるってことだよな、無理無理って思ってました。」

 

ぢ) 無理って思った要因は何が一番大きかったですか?

 

真) 「私への期待と愛してアピールですねえ。娘は一回お母さんを失っているわけじゃないですか? 娘の友達はお出かけするのにママと一緒なのに、娘にはそれがない。ママというものに対するものすごい期待やら、大人の女の人に対するあこがれやら、ママになるかもしれない人への私を見て!愛して!というアピールがすごくて、これは応えられないって思ってました。私が背負いきれるもんじゃないなって。」

 

ぢ) それを旦那さんはご存じでした?

 

真) 「『二人は性格が合わないよね』って言ってました。でも、私が妊娠して旦那は産んでくれって言うし、結婚にも出産にもリアリティが持てないうちにあれよあれよと時が進んで、私の狭いアパートに旦那と娘が転がり込んできて、結婚生活が始まりました。」

 

ぢ) きつかったですねえ。

 

真) 「はい。乳飲み子はいる、小学生はかまって欲しいと要求されるわけで、どうしたって小さい方に目も手も行くじゃないですか。それにどうしたって我が子のほうがかわいいと思ってしまうんです。そうすると『私を愛してくれないの?』っていう感じになるわけですよ。実際、体力的にも精神的にも経済的にも時間的にも余裕がないから、かわいいとか思っていられないし。できない自分が苦しいし。いやもう、勘弁してって思ってました。今でも上の娘は『どうせ私より妹の方がかわいいんでしょ』的なことを言ってくるんですが、実際そうやって暮らしてきてしまったわけで。これはもう、一生付き合わなきゃいけないのかなって思ってます。

長いこと一緒に住んで見せたくない感情だって見せ合ってきてるわけですから、もう血縁はなくてもちゃんと家族じゃないですか。どうやったって私があんたの親なんだから、今さらそんな昔のことで責められてもなって思うときもありますし、どうしてあの時もっと優しくできなかったのか、愛してあげられなかったのかと罪悪感に苦しむこともあります。でもそれも、その日のお互いの機嫌や体調によって変わりますよね。他人より距離が近いんだからぶつかるのは当たり前。それも含めてやっぱり家族だなあって思います。」

 

私が真理子さんに会って間もないころは、まだ真理子さんはこの問題の途上にいたように見えていた。大人として、ステップファミリーの母として、上のお嬢さんに優しくできなかった自分を自分で罰しようとしているように見えることがあった。けれど、今の真理子さんはとても達観しているように思える。SNSでの投稿も、仕事を通じて覚醒していく自分についての記事が多くなり、明らかに「真理子はレベルが5上がった!」という印象。何が彼女を変えたのだろうかと、興味を持って投稿を読ませてもらっていた。

 

ぢ) 仕事の話を聞かせてください。今のお仕事を始められたきっかけは何だったのですか?どうしてお片付けを選んだのでしょう?

 

真) 「選んだというよりは、できることをやっていたらこうなってしまった、という感じです。片付けの仕事をしようと個人事業主になったのは2018年の4月からです。その前の6年間、経理のパートをして働いていたのですが、そこを辞めなくてはならなくなった頃にたまたま『八王子ママの会』代表の山本由佳理さんと知り合う機会があったんですね。それで、『今何の仕事してるの?』『パートの事務ですけどもうじきやめなくちゃいけなくて』みたいな話になりまして。そのとき、ゆかりさんが旦那様の仕事のお手伝いと自分の仕事の2本立てで家事まで手が回らない、ということで『じゃあ、ちょっとうちに来てよ』と家事を代行するようになりました。」

 

ぢ) 仕事にするくらいですから片付けも掃除も好きだったんですか?

 

真) 「嫌いではなかったと思います。片づけるのは好きな方だと思いますが、でも散らかすのも得意だったので、休みの日は一日片付けで終わってしまうような感じでした。それで、どうして私の人生はこんなに片付けてばっかりなんだろうと思ってうんざりしてましたし、ちょっと壮大な挫折というか、人生を投げたくなることがあって。ミニマリストの人の本を読んで『ああ、私モノを持ちすぎてるんだ』と気づいて、減らすことを決めたんです。いわゆる断捨離ですね。」

 

ぢ) モノが減ると時間ができるものですか?

 

真) 「できます。片づけるものが減るので当然、片付けに取られる時間も減りますし、二次的な効果として、家族も片付けができるようになるんです。一つの指示で行動してもらいやすくなるんですよね。モノが少ないと、家の中のどこに何があるのかを把握できるので取り出すのも片づけるのも、ごちゃごちゃ説明しなくてもすぐ伝わるんです。だから片付けが私だけの仕事ではなくなりました。その分、私は時間ができて大助かりです。ただ、断捨離すればいい。モノを減らせばいい。というだけでは時間はできるわけではなく、習慣にしなくてはいけません。断捨離と習慣はセットでようやく暮らしや生活が快適に機能し出します。」

 

ぢ) 真理子さんが思い切った断捨離をしたのは結婚後ですよね?自分の持ち物だけではなく家族のものもあったわけで捨てるのが大変だったのでは?

 

真) 「そうでもないですね、夫は趣味のものとか、あまり持たない人で、本は好きなんですけど図書館を利用することが多いですし、買っても読み終わったらすぐに売ってしまうタイプなんです。子どものものは、わりと独裁で『これ使ってないじゃん、捨てるよ』っていう感じで強権を発動してました。(笑)一番大変だったのは自分のものですね。」

 

ぢ) 意外です。(笑)真理子さんは、お片付けのお仕事でよそのお宅に行くときも、子どものモノの断捨離は親御さんの独裁で決めることをお勧めしますか?

 

真) 「いえ。基本はそれぞれの家族ごとにやり方が違うのでこれがいいと一つには決められないんですが、やっぱり子どもの意思は尊重してほしいですね。ただ、子どもの意思を尊重しすぎる家は永遠に片付かないんですよ。」

 

ぢ) え?それは、どういうことですか?

 

真) 「だって、子どもって自分のモノに向き合う気持ちってないじゃないですか? 真剣にこれが自分にとって必要かどうかなんて悩みませんよね。『これ、いる? いらない?』って聞かれたら、とりあえず、自分のものが減るのは嫌だから本能的に『いる』って答えるけど、実際には使わないなんてことざらにありますよね。だから、片付けにおいてはある程度、親が主導権を握ってコントロールする場面も必要で、それができないおうちは、いつまでもモノがあふれたまま片付かないんだと思います。『捨てるよ』って言われたら『嫌だ』という子でも、『使ってないからしまっておこうね』なら納得することが多いので、しまってしばらく使わなかったらこっそり捨ててもいいと思うし、モノがない状態の快適さに家族を慣らしてしまうのが先だと思います。」

 

真) 「かといって、すべてを親がコントロールしてしまうのも見ていて切なくなりますね。たとえば、知育おもちゃとか、パズルや迷路の本みたいな、親がやってほしいものを子どもの取り出しやすいところにおいて、明らかに毎日これで遊んでるな、って思えるくたくたに汚れたおもちゃを届かないところに追いやってしまうのを見ると、この子の気持ちはどこで大事にされるのかしら、と思ったりします。子どもにもその時その時、本気で譲れないものはあると思うのでそこは大事にしてあげてほしいなと思いますね。」

 

ぢ) なるほど、そうですね。真理子さんは、ほかに、こんなおうちには積極的に行きたくないなあというのはありますか?

 

真) 「仕事ですからお金をもらえればどこでも行きます。ただ、やっぱり知らない人のお宅に上がり込んでお仕事をする以上、こちらもそれなりに怖さはあるわけです。それでもいい仕事をしたいと思うので、最初から関係を築けるようにオープンハートでいるつもりなんですが『私は丸裸なのに、あなたはなぜそんなに着込んでるの?』っていう人とはうまく意思疎通ができなくて困りますね。こちらが動線を考えた家具の配置などを提案しても全然納得してくれなくて、『ああ、私の片付けのスキルを求められてるわけじゃなくて、単なる労働力として自分の手足の代わりに動いてくれる人が欲しかっただけなのか』とがっかりすることはあります。それでも依頼者の望むように求められた動きをして帰ってきますけどね。そういう時は悪魔に魂を売ったと思っています。(笑)」

 

ぢ) さすがです。最後に、もう一人の影響を受けた人、樹音さんのお話を聞かせてください。

 

真) 「はい。ええと、簡単に言っちゃうと、私、樹音さんにものすごく嫉妬していたんですよ。」

 

ぢ) 嫉妬ですか?

 

真) 「そうです。片付けって、外の世界にリンクして頭の中を整理する作業でもあるし、ひたすら何も考えずに手を動かしている間は瞑想しているみたいなものなんですよ。だから、色々感じることや浮かぶアイデアがあるんです。で、自分では、仕事を通じて日々面白いものを掴んでる実感があるんですけれど、それがうまく言語化できないから人に伝えられないんですよね。樹音さんには、表現力と言語化能力があるじゃないですか? 私も同じこと思ってたのに、伝えられないっていうのがすっごく悔しくて、樹音さんはいいな、みんなに共感してもらえていいなって、ずっと嫉妬してました。

 

そんな風に、片付けに関しては似たようなことを感じていると思ってはいたんですが、樹音さんが時々語るエネルギーの話は全然ぴんと来なくて。それで、私もそれを体感したい、彼女のエネルギーワークを受けてみたいと思ったんです。でも、そこは嫉妬の対象ですから、意地でも彼女から受けるわけにはいかないっていう気持ちもあって。別の人のセミナーに申し込んだら、なぜだか断られたんですよね。それに、結局、才能に嫉妬はしてても樹音さんのこと好きだし、毎晩、二時間くらいメッセンジャーでやり取りしてると、文字だけのやり取りなのに、自分が覚醒していく感じがわかるんです。そしたらもう、ワークを受けてるみたいなもんで。だったら正式に受けよう、嫉妬から逃げるのやめようって思って、正式に申込ました。今だから思うけど、違う人のセミナーを断られたのも、お前、樹音のワーク受けたいんだろ、ちゃんと気持ちに正直になれよっていうお知らせだったのかな?って。樹音さんには『真理子は樹音のいい使い方をしてるね』って言われます。(笑)」

 

 

 

「好き」も「嫉妬」も隠さない真理子さんが、プライドを捨てて樹音さんから学ぼうとしたあたりから真理子さんの発信するものが変わってきたのだろう。今の真理子さんは一皮むけて、細かいことに拘泥しないゆるっとした雰囲気があり、かつてより頼もしさを感じる。

以前の繊細でもろそうな真理子さんも好きだったけれど、今の真理子さんはもっと好きだ。

 

 

 

野副真理子。

おそうじやさん八王子まりこ。

泥の中で軽やかな自分を手に入れるため、もがいてきた人。

図太さと細やかさが同居した頼れる存在。

片づけられない部屋と頭を、片づけ終わるまで側で鼻歌うたいながら伴走してくれる人。

 

秋田の三人姉妹の末っ子は、小さなころから身に着けてきた旺盛な自立心と生きる力を駆使し、上京する新幹線の中で噛み締めたように、東京を自分の居場所にして今日も片づけられない人たちをサポートするためとび回っている。

 

 

---------------------

 

はははww

 

こんな風に書いてくれましたよ、ぢーこさん。

すこしわたしが表現を変えたいところを変えたりはしましたが、ほぼぢーこさんの文章です。

 

ぢーこさん、本当にありがとうございます。非常に照れ臭くうれしいものをしっかり受け取りました。

心からの敬意と感謝を。そして、友達になってくれてありがとうございます。

 

ぢーこさんのインタビューを受けたいという方は、コチラをどうぞ↓


https://sotoasoboyori.jimdosite.com/