時々出会う、
「コレ、まだ使えますかね?」
「コレ、まりこさんなら使いますか?」
使えますか?
の、質問にどんな意図が組み込まれているのか。単純に使用期限の話じゃないとは思うんです。
まだ使えるか。。。
まだ使えるか、人に聞いてみないと判断できないくらい放置されていたものなのであれば、今後も使わないんじゃないか?とも思いますし。(だって、ずーっと使わずにいたわけで。)
向き合ってみてから、期限を設けるのがいいと思うんです。これ、3ヶ月以内に使わなかったら潔く捨てる!っていうことで。
その潔さは、自分との約束で。誰からも咎められることはないけど、自分との約束をきちんと守る事ができるのかっていう。
わたしが↑を提示して、「それ、採用!」ってなって期限を設けて、期限までは放置。そしていよいよその期限が迫ってくると慌てて使い出して、「期限内に使ったから使うモノでーす!」っていう人もたまに見かけますが、、、
うーーーん。(´-ω-`)そゆことじゃなくてね。
それって結局、モノベースなんですよね。主軸が自分じゃなくて、モノになってる。モノを捨てられないから慌てて使う。
そうじゃなくて、自分で決めた期限内にそれを使う事が習慣化されるかどうかっていう話で。
じゃあ、自分で決めた期限が、3ヶ月だった場合、2ヶ月半くらいは使わずに過ごしてて、3ヶ月目になろうかとしている事に強迫観念に駆られて使って、いわゆる、
「セーーーフっ!まだ、わたしこれ使うっ♪きゅるん♪」
みたいな感じだと、一生モノだらけで片付かないよ。。。とも思うわけです。
・お皿なら、その皿を日常で食卓に出したのか。
・靴なら、その靴を履いてに出かけたのか。
・調理にふた手間以上かかるような食材を使って調理をする時間を日常で確保できるのか。
・その洗剤を使って掃除をする気になるのか。
本当の自分の気持ちを引き出してみたら、それが自分にとって使うモノなのか使わないモノなのか。
「まりこさんならどう使うか?」
には、
「わたしなら使いません」
と、答えています。
モノベース or 空間ベース
どちらの思考だと片付けに向いてるか?それは、空間ベースの人です。
モノベースの人はいつも、「コレ使えるか?」「コレは要るか?」「もったいないんじゃないか?」と考えています。意思はモノに宿っていてモノをココに存在させるためどうするか?を考えています。
空間ベースの人は、「コレをこの空間で使いたいか?」「この空間に要るか?」と、"そのモノ"がこの空間にあっても違和感がないか。この空間で使いたいと思うか?と、意思は自分にあり空間全体を見ています。
片付けは、空間全体をいかに美しく動きやすくキレイに見せることができるか、自分にとって違和感がない空間にするか。の作業です。
自分の得意分野や、仕事で使い慣れたモノの処遇はイメージしやすいから捨てたりできるんですけどね。
料理がそんなに好きじゃない人の家に大豆があって、もう何年も使ってないけど、まだ使える?食える?と思って捨てられなかったり、
掃除が好きじゃない人の家に使い物にならない掃除機があって、まだスイッチ入る。という理由だけでその掃除機は存在していたり。(吸わない掃除機はダダのゴミよ。)
私たちはもったいない教育をうけてますからね。
なんでももったいない、もったいないと思いがちですけど、もったいないはモノだけにあらず。
そのもったいないととっておいたモノを置いておく空間もまたもったいなく。賃貸であれば家賃が、持ち家であってもその分の固定資産が。それぞれ発生してますしね。
使わないけどもったいなくて捨てられないモノをとっておく空間に安心できれば、そういう暮らしもいいと思っています。