とある仕事を手放した。


私は4年くらい前に、ある人の仕事を手伝い始めた。


その仕事はとても未来的で日本人全ての人の役に立つ仕事だ。と、当時の私は思っていた。その仕事に関わることでたくさんの情報が入ってきて私はメキメキと賢くなった。


偏差値30以下の高校出身の、中年主婦が某有名大学を出ている人たちに囲まれながらその輪の中にいて社会が、政治が、この国を動かす仕組みがわかってきて、子育てと家事と家計しか考えることがなかった脳みそに栄養が注がれた。


自分の好きなこと、得意なことを仕事にしている人たちとたくさん出会い、「こんな生き方もあるのか!」と目を丸くした。



そんなんでご飯食べていけるの?

それで家賃払えるの?

子供育てられるの?



そんな疑問はその人たちの中にもあったりなかったりだったけど、とにかくソッチの人たちはそれでメシを食っていた。


今までなかったことを仕事に、

自分の手で作り、

人を動かし、

生活をしていた。



がーーーーーーーーん




そんなの、本の中だけの話かと思っていたよ。。。。




そこから私の世界は一変した。




6年くらいパートをしていた会社を辞め、ブラブラしながら片付けの仕事も始め、福祉の仕事を経験し、一年後にはフリーランスで自立し、パートの頃より年収もグッと上がった。(ほんとにあがったの、コレまたびっくり)


今の仕事で食べていけるようになっても、例のその仕事は手放していなかった。


忙しくなったのでその仕事をほとんどできなくなったのに、「辞める」と言い出せずにいた。


感謝の気持ちもある。わたしがフリーランスで今、自立できているきっかけになったのは彼らとの出会い、衝撃、学びが大いに影響している。彼らのように好きなこと、得意なことを仕事にできたらいいなーと思った。




でも、本当は、「辞める」というのが怖かった。




今辞めると言ったら嫌われるんじゃないか、罵倒されるんじゃないか、どこかに悪口書かれるんじゃないか、


なにより、"あの頭の良い人達との縁を切る"というのが怖かった。


縁が切れることで、あの貴重な情報からシャットアウトされるのが怖かった。


わたしの中で彼らは一種のステイタスだったんだという事に気付いて、そんな自分に嫌気がさした。



「これは罠だ」



体の内側の声がようやく聞こえてきた。


全ては自分の損得勘定から来ている縁。それはやりたい事や使命を全うすることを邪魔をする巧妙な罠なのだ。


4年前、当時のわたしが居た場所から這い出すのに必要な、言わば雲の糸だった彼らのと縁。


そして這い出し、わたしはわたしのやり方でわたしの仕事を作り生活をする様になったので救いの雲の糸は必要ではなくなった。


それをまだ手放せないのはわたしの中にある損得勘定なだけだった。


必要であればまた縁がわたしと彼らを繋ぐと思う。


彼らとの縁が仕事になり、私は私の時間を差し出しその仕事を履行した。私は与えてもらうだけではなかった。


なによりも、暮らしを整えたい、暮らしを整えることを仕事にしている私の家に整わない仕事とその在庫や形跡が在ることが不快でならない。





私は代表に連絡をして、その仕事を辞めた。在庫もお返しした。私の部屋は広くなり、前よりもその部屋で過ごす時間が多くなった。




縁は時として罠になる。


その時に必要な縁もある。


縁が足かせになり、本当はやりたくないことや、今はもうやりたくないこと、行きたくない場所、会いたくない人、そんなことにつながる事もある。


それは罠だ。


相手が罠を仕掛けているのではなく、自身の縁への繋がり方が罠という形になっているんだ。


心のうちを全て丁寧な言葉にのせて、そっと手渡すことで、罠はまたいつか巡り巡ってご縁になると思う。