これを書くのに、数日間、首を捻ったり。

書いては消して、消しては書いて。

口に出すのは簡単なのに、文章になるとなぜこんなにもむずかしーーーなーーーと思ってしまうのでしょうか。


"主体性"


今年の夏の初めに、突然わたしの中に揺るぎなくそこにいる事がわかった、その名も"主体性"



この主体性の部分、普段はなんとなく空気のようにそこにいるんですけど、日常生活の中で急にアクセスする事があります。



ちょっとフリが長くなるのですが。



わたしは夫にスマホ代金を払ってもらっています。


今回、我が家はわたし以外のスマホを"のりかえ" することになりました。(わたしは出先でしょっちゅう使うので速度制限や、電波不良などがあると仕事に支障があるのでのりかえしない事に。)


ケータイ代。。。

自分で払う。。。

ジブンデハラウ。。。

理解デキルカナ。。。


今まで夫に負担してもらっていたキャリアとの契約とか内容をとか、費用。ちゃんと自分でできるかな。。。


一気に緊張します。


スマホの契約やプラン、支払いのことなどなど。ざっくりITっぽいようなもの。の、ようなもの一式は全て夫にお任せ。


ググって理解したり、説明書を読んで理解したり、コンディションによっては相手が何を言ってるのか聞こえてはいるけど脳内に浸透させ理解するという能力が欠如しているので、


いわゆる面倒くさそうな事はいつだってやってもらっていました。


今までもコレからも、夫がいなくなるまでそれは永遠に夫の仕事だと思っていました。なんとなく。。。(コソコソ。夫がいなくなったら、そーゆーの得意な人とまた一緒になればいいやくらいに思ったり。。。)



でもそうはいかない事態がやってきて、もうこれ以上逃げられないんだな。俺がやるしかないんだな。俺のことだもんな。俺がやらないと困るの俺だもんな。


↑当たり前だけど。


苦手なこと、やりたくないこと、やらないと困ることから逃げるのやめて、うぉりゃー!俺がdocomoを一切合切知り尽くしてやるぅー!お金も払ってやるぅー!と、ねじり鉢巻とふんどし一丁でdocomoショップで順番カードを受け取りました。


今までは夫の横に座っているだけ。

夫が店員さんと話してるのを聞いてるだけ。

聞いてるだけで理解はしてない。

なんでついてってるのかもわからない。


でも今の俺は違う。


店員さんと話す。

プランの内容を聞く。

オプションも理解する。

金額を計算する。


重心は下に。相手が何を言ってるか、わたしが理解できてないところはどこか。


今までケータイに関して主体的に動いた事がない人間が今まさに主体性のポジションから"ケータイとかのジャンルゲート" をくぐって外の世界を理解しようとしている。


そしてそれは一方通行ではなく循環している。


主体性ってやつは、いわゆるど真ん中にあってとくに壁とかはないものの位置がズレたりする事もあるけど、ど真ん中にいればいるほどズレても軌道修正がすぐに可能でその中で得意分野だったり、興味が湧いてるジャンルの間で循環してうごめくものなんだな。



というのが、ケータイ電話の契約を通じてわかった。


そして、これは自立という事とも密に関係をしている。


全て夫に託していたという事は、わたしはそのジャンルにおいては自立していなかったという事。



〜旦那がいなければ新しい拠り所を探せばいいやくらいに思っているようだが、そうじゃない。まりこ。自立なのだ。自立せよ。自分でやれ。

普段偉そうに子供に言ってるではないか。"自立せよ"と。夫はお前の万屋ではないのだぞ。お前のことくらいお前がやりなさい〜



 だっ!だれ?!わたしの心に話しかけてくるのは!((((;゚Д゚)))))))



子供の自立もそう。本人が困る状況にならないと自立なんかできない。主体性のスイッチがどこにあるかもわからない。〜見つけてあげるよ君だけのやる気スイッチ〜は、本人がニッチもサッチも行かなくなった時にようやく初めてスイッチだけ薄らぼんやり暗闇で光っている。。。



ちょっとズレたけど、主体性ってやつはロジカルシンキングとも密な関係で、わかんない、知らない、やりたくない、できないって言ってる段階では全然ロジカルじゃなくて。


主体性スイッチオンになった時は目の前の事象がどういう仕組み、構造、性質なのか分解して理解してまた自分の中で組み立てていく。


主体的だからロジカルに捉える事ができる。

ロジカルだから理解も早い。

理解を蓄積しておくこともできる。


主体性というと形がなくてものすごーーーく曖昧なものに聞こえるけど目の前の事に仕組みや構造や性質を理解しようとしているか、していないかがカギだ。


そして主体性とロジカルシンキングがぴったり当てはまっている時って余計な言葉が出てこない。


要は、言い訳したり過去を持ち出したりしない。


ただ目の前のことだけに自分が居る。



自転車のチェーンが外れた。

どうしよう。

やり方わかんない。

誰かに直してもらおう。

自転車の仕組みわかんない。

俺の仕事じゃない。


↑これは主体的じゃない。



自転車のチェーンが外れた。

どうしよう。

帰れない。

どれ、自分でも直せるのかな。

自転車の構造は?どれどれ?

こうなって、こうなってて。

ふむふむ。これならできそうだぞ


↑主体的!


そして直す。

直す時は寡黙になりがち。

主体性とロジカルがぴったりくっついてるから。


コレが慣れた仕事になるとまた主体的とは違ってくるんだろうなー。



という事がわかりましたよ(´・Д・)」


夫からの自立により、また主体性へとアクセスがしやすくなりましたとさ。


夫が撮影した銀杏並木