今日は午前中に時間があったので、台風対策してました。
物干し竿は外しておく。
自転車は寝かせておく。
飛ばされそうなものを軒下に避難させておく。
外に置いてるゴミ箱を飛ばされないようにしておく。
(結び方、頼りねぇw)
そしてまだ少し時間があったので近所のスーパーへ買い出しに行きました。
りんごは頂き物
まあ滅多に買い置きしない我が家からしたら、食料の備蓄やアレコレに1万円くらい使うなんてまぁぁぁぁ滅多にない事よ。
(こないだ2万円で肉買ったくせに。 あ、あれは、備蓄じゃなくて食べる用だもん。なんつーか、エネルギーワークの一環だもん。 そうなんだ。 そうだよ。)←誰と喋ってんの?👀
コレはとくに、「わたし、こんなに備えたからみんなも備えた方がいいよぉー!」と煽りたいわけでもなんでもなく。
今まで、「台風?ふーん」と思って生きてきたことはもしかしたら台風という不安を感じきる事をあえてしないよう、しないよう、蓋をしてきたんじゃないかなぁと。
でも、
今回、わたしの真ん中あたりから、「台風に備えてみようかな?」が湧き上がり、いろいろ買い込んでみてるんですが、ちょっと不謹慎な言い方かもしれないですが、滾りつつあります。
もちろん、被害がないことを祈っています。誰も怪我もなく財産が奪われることなく過ぎていけばいいなぁと思っています。
ただこう、"地球の大きなエネルギーが動き出すのを自分がどれくらい感じることができるか" というところに非常に興味が湧いています。
なぜなら、
つい最近Facebookに投稿した内容です。
今まで自分がしてきた "角度を変える" という事に疑問を持ち始めました。
疑問を持ち始めたのはもう結構前なのですが、やはりクセがついているので、傷つきそうになったり、イヤだと言えない事に遭遇したり、どうしても人に嫌われるのが怖くて自然と合わせようとしてきたわたしの根幹にあるともいえる思考のクセに、抗いたいのにクセがなかなか抜けない事が気になっていました。
あなたもないですか?そういうところ。
性格の、どうしようもなくどうしようもできないところ。
今まではそれを受け流してきたんです。変われないならもう変われないままでいようって。
そうして出会った仏教の本にすがり、ここに答えがあると信じていた。それで良かったしどんどんラクになっていた。
けどね、
それじゃ発展性がないと思ったんです。
闘わない、抗わないスタイルでは自分の甲羅や皮膚が強くならない。わたしが求めているのはそれじゃなかった。
自分から闘いを挑んだり、無駄に抗ったりはしない。決してわたしは手を出すことはしないけど、甲羅と皮膚は強くしておきたいんだ。爆弾が投下されても傷つかない強靭な体と心が欲しいんだ。
と、思うようになりました。
爆弾というのは人から受ける何かの事ではなく、受けたあとに自分の中でうごめく、様々な感情のことです。様々な感情の中にある、喜びや嬉しさはそのまま表現すればいいのに、どうして怒りや悲しみはちゃんと表現できないんだろう。
人に嫌われるのが怖くて、怒りや悲しみを押し殺したり、怒りや悲しみのエネルギーが強すぎて押しつぶされそうになるからあえてそのエネルギーを感じきる事をせずに受け流して事務的な処理を心の中でも行なっている。
そう、もっともっと自分のど真ん中で感情を感じきる事をしてなかったんだ。
痛くて辛くて孤独で不安で誰も味方になってくれないし寄り添う相手もいない。そんなエネルギーをまともに食らったらもう戻ってくることができないかもしれない。大好きな友達に悪口を言われるかもしれない。愛しい我が子を邪険にしてしまうかもしれない。幼少期のトラウマを蘇らせてしまうかもしれない。最愛の人を失ってしまうかもしれない。
居心地の良いこの場所を失ってしまうかもしれない。
そんな風に思考が言うから、ハートは感情を感じきる前になかった事にしたり感じたフリをし始める。
それでもわたしは感じ切りたい。
とことん感じたい。
この不安も痛みも孤独も恐怖も地の底まで感じ切りたい。
と思っていたときにこの大型台風。わたしの内側を具現化したのかな?と見紛う程の不安と恐怖の塊が空をうねっている。
これも感じきろう。
台風?ふーん、来るんだ。
と、人ごとのように過ぎ去るのを待つのではなく、今できることはやっておいて、あとは心を静かに大空にある大きな不安の塊を感じきる。
わたしの抱えている不安や痛みや孤独や恐怖が座り心地の悪い椅子になってしまったけどそれを感じきると決めたように。
もうすぐ大地にアクセスできると信じてるから、空の不安にもきっとアクセスできる。
そして台風が過ぎ去ったあとの美しい景色のことを考えるとワクワクしてしまう。
でもみなさん、本当無事に過ごせますように。買い置きせずに食料や電気がない方はSOSのLINEくださいね↓ 分け合いましょう(о´∀`о)