お片づけクリエイター
おそうじやさん八王子まりこですヽ(´▽`)/
先日、録画してたアメトーークをみて書きたいパッションが湧いてきました。
"ありがとうイチロー芸人"です。
わたしは野球にもイチローにも全然詳しくありませんが、(わたしの従兄弟がイチローに激似ですが)
イチローのある話を聞いていて体の真ん中にスッとなにかが見えたような、感じたような気がしました。
「一流ってのは、たどり着く先は同じなのかもな...」
稲葉篤紀との対談で、
"トレーニングで身体を大きくする"ことについて、イチローの見解です。
イチロー「全然ダメでしょ。自分の持って生まれたバランスがありますから。それ崩したらダメでしょ」
(゚∀゚)
イチローはトレーニングについて話していますが、これ、モノの持ち方についても空間についても、ひいては生き方についても同じことが言えるなぁと。
"自分が持って生まれたバランス"
アレも便利、コレも欲しい、ソレも素敵ってなっていても"自分には自分の持てる量"がある。"目の届く範囲"がある。
それを崩してまで、アレもコレも持とうとして必死に働いてお金を稼いだり時間を費やしたり人と比べてみたり。
イチロー「筋肉が大きくなっても、支えている関節とか腱は鍛えられない」
筋肉=モノ、人、金、欲。
関節や腱=素質、思考、範囲、能力。
沢山のモノを所有して
沢山の人に囲まれて
沢山のお金があったとしても
それはただの欲張りで、
関節や腱といった素質を知り、
整った思考、
余裕のある範囲がわかると
持って生まれた能力を最大限に発揮できるんじゃないかな。
逆に、
関節や腱といった
素質、思考、範囲、能力を
筋肉といった
モノ、人、金、欲が、あることで鈍らせているんじゃないかな?
と感じました。
感じたというか、モノで溢れた空間と今までわたしの中でうまく言葉にできてなかった部分が繋がった。
イチローも、筋トレをして体を大きくしていた時期があるようです。
それでも自分の本来のバランスを崩しては結果は出なかったと。
誰にでも当てはまると思うのですが、
快適であるべき空間に、活かされていないものがあるのはとても不健康です。
天才すぎて空間からなんら影響が受けない人もいますが、そんな人は本当にごく一部の人間で一般的に暮らしている我々には空間が快適でなければ頭の中もモタつく。
今使う
これからも使う
過去に使っていた
全てが混在している中、
思考が整っているはずがない。
過去も今も未来も、思考の中で現在進行形になっているから。
もう使ってないのに...
今まで使わずに生活してこれたのに...
誰かが言ってる情報で知識だけを得て、無理やり自分をそこへ持っていこうとしても、
"本来のバランス"を見失ってしまっている。
そして不必要なものが見えなくなっていく。
そんなことを繰り返しても望む幸せに最短で行けるはずがない。
だって求めていたのは
"ソレ"を持っているだけの自分
じゃなくて、
"ソレ"を使いこなしている自分
なんだから。
"筋肉を使いこなしている自分"
"高価な天然石を家の中の1番輝く場所に飾りいつもピカピカに輝いていている暮らし"
"一目惚れしたワンピースをただクローゼットの中にしまっておくのではなく、それを着て仲間と街へ出かける自分"
"掃除が行き届かずカビが放置されたお風呂にどんよりした気持ちで入るのではなく、毎日きれいに掃除されたお風呂でキャンドルを焚いたりバスソルトを使ってゆっくり疲れをとりたいはず"
自分の本来のバランスを崩して
その上にモノを重ねていっても
深みは出ない
と、わたしは思います。
わたしも初めからシンプルな暮らしをしてきたわけじゃないし、たくさんモノを買ってきたし、持ってきたけど、それは決して無駄だったとは思っていなくて、今の自分の一部であることは間違いないから。
ただ、もう必要ないとわかったから手放していっただけ。
管理ができないから。
ホコリがたまって油がたまって手垢だらけで奥に何があるかわからない暮らしを望んでいたわけじゃないってもうわかったから。
イチローの言葉を借りてしまったけど、でも一流になるって事はどのジャンルであっても辿り着く先というのは同じなのかもしれないな。
足しながら、削りながら、本来の自分の形を捉えて行くことなんだな。