追記




というか、入院を終えてから色々忘れたくない感情があったので残しておこうと思った。










あんなにも忘れられなかったのに、最近ではふとした瞬間に忘れかけることがある。


術後も体調が悪くなることがなく、妊娠前の状態に戻ったという良いことではあるけれど、それと同時に「私しか知らない子なのに」と思ってしまう。






最初のブログに書いたように、あの子は誰にも認知されていない子で、私しか存在を知らない。





ふとした瞬間に、


大半はスーパーにいる時に、無性に泣きたくなる。







妊娠に気付かない間も割と好きなものを食べていたし、好きなものを作っていたような気がするけれど


妊娠がわかったからお腹に語りかけるように食べた時期



私が丁寧にひとつずつメニューを決めて食べた時期








混乱していて何を食べたのか覚えていないし


自分が何を好んで食べていたのかも思い出せない








けれどあの時だけは、



私がこの子の母親なんだと思えた瞬間だった








今でも思う



あの時誰かに相談していたら


誰かに知らせていたら


今もまだ私のお腹の中にいたかもしれない







もちろん学生の身分で1人で育てられるわけもなく


その想像はほとんど妄想に過ぎないのだけれど





声も発せられず


この世界の色も見れず





もっと私にできることがあったんじゃないか


いや、必ずあったんだ




と今更後悔してしまう。






自分の母と重ねてしまう。








母親と仲が悪いわけではなく寧ろ仲は良い方だけど


それでもやっぱり言えないことは確実にある




自分が母親になって、


子どもと良い関係になって、


なんでも相談できる関係になったとしても、




それでも妄想の中の娘は

妊娠したことを告白できないと思う








母親をがっかりさせてしまうから



妊娠したことがガッカリなのではなくて


自分の立場・環境を分かっていながらも


そういう行動をとってしまったことがショックになると思う、ということ









そして今さらコウノトリの中絶手術を考えている

高校生カップルの話を読んだ



あんなにすんなりOKしてくれる家族はいない


と思ったけど、それは想像に過ぎないな




お腹の子も家族




その通りだな





この子は何を私に伝えたかったんだろう


まだ答えが見つからなくて


その見つからない時間が


お腹にいた子がいた意味を無くしているような気がして


何も汲み取れない私が本当に腹立たしい



この答え合わせは本当に子どもを望んだ時に分かることなのかもしれないけど











Xのポストで見つけた


「母親は必ずお腹に『ヨシヨシいいこいいこ』と語りかける」


というツイート




私も語りかけた



寝る前も


歩いている時も


電車に乗っている時も


陣痛が来た時も





実際本当にいい子だった


苦労することなく17週まで生きてくれた









こうやってあっという間に月命日が来て


出産予定日になるはずだった日が来て


一年たって二年経って





そうやって過ごしていかなきゃいけない


忘れないけど、進まなきゃいけない









頑張らなきゃいけない


生まれ変わって出会えた時に


誇れる自分でいなきゃって自分を奮い立たせる