2020年7月21日
主人が15日に亡くなってから1週間。

この日、告別式を無事に終えました。

私たち家族と妹さん家族、8人だけの小さなお葬式。

主人には菩提寺から
「抱心・・・」
から始まる戒名をいただきました。
いつも穏やかだった主人らしい戒名です。

棺には読書が好きだった主人愛用のブックカバーや、病院やボウリングに行く時、必ず被っていたデニムのキャップ、コンビニで見ると欠かさず買っていたゴルゴ13 のコミックなどを入れ、会場には私の大好きなマーラー「アダージェット」を流しました♬

式を終え、私は白木の位牌を抱え霊柩車の助手席に。
火葬場に向かう途中、偶然我が家のすぐ近くの道を通りました。

雨の日も風の日も、カンカン晴れの暑い日も、主人が毎日最寄駅まで歩いた道。
休職前は、坂道が息切れで上がれず、車で迎えに行ったこともありました。

火葬場への道中、大きなGANBAオムライスを頬ばる主人の動画などを見て過ごしました。

棺が運ばれて炉の入り口が閉まる時、もう主人に触れることはできない、そう思ったらいたたまれない気持ちに。
思わず
「パパ!」
と上擦った声が漏れてしまいました。

控室では、主人が大好きだった崎陽軒のシウマイ弁当を配りました。

食欲がなかった時、このお弁当を買って帰ったら、美味しそうにペロッと完食してビックリしたのを思い出します。
食べ物を頬張るときの、幸せそうな顔が忘れられません。

1時間後、主人はお骨になって戻ってきました。
骨密度が高く、とてもしっかりしていますねと、係の方が褒めてくれました。

「そりゃそうだ!パパの身体は、私が作ったご飯でできてるんだもの!」

心の中で少し誇らしく思いました。

全てが終わり火葬場を出る頃には、空は晴れ渡り、とても気持ちの良いお天気に変わっていました。

主人の魂がこの空へ向かって昇っていって、雲の向こうからきっと私と息子たちを見守ってくれている。
そう思うと、とても温かく穏やかな気持ちになりました。

パパ、私がんばるねニコニコ



セキセイインコ青虹セキセイインコ黄虹オカメインコ虹セキセイインコ青虹セキセイインコ黄虹オカメインコ虹セキセイインコ青虹セキセイインコ黄虹オカメインコ虹

今までこのブログを読んでくださったたくさんの皆さま、どうもありがとうございました。

そして応援のコメントをくださった皆さま。
本当にありがとうございました。

励ましの言葉1つ1つから、私はいつも勇気や元気をもらい、主人とともに最後まであきらめないで、病気に立ち向かうことができました。

主人はがんに負けてしまったかもしれません。
でもこのブログ
「肺がん ステージ3b  負けるもんか!」
はタイトルを変えず、このまま残しておきたいと思います。

主人には、がんが分かった初めの頃なら、もしかしたらもっと他にできる治療があったのかもしれません。
でも今となってはそれもわからない。
それでも主人は体力が続くギリギリまで働いて、少しずつがんに蝕まれていく中でも、最後まで希望を捨てず、病気と正々堂々闘いました。

私はそんな主人をとても誇りに思います。

このブログが、今も必死でがんと闘っている方や、それを支えるご家族の皆さまに、少しでもお役に立てることがあれば本望です。

どうか1人でも多くの患者さんが、病気に勝てますように!

ブログを通じ、今まで応援してくださって本当にありがとうございました!!


パパ、大好きだよハート


追伸
主人が亡くなったことで、このブログもひと段落したいと思います。
でもこれからも、皆さまのブログにはちょこちょこ遊びに行かせてくださいませ。
それから、たまに気が向いたら、このブログも更新するかもしれません。
主人に代わり、私が世帯主になりました。
これからは自分の体調に気をつけて、息子たちとともに少しずつ前を向いて歩んでいきたいと思います。


2020年7月20日
誕生日の主人をボウリングに連れてきましたボーリング




主人の重いボウルは、長男が軽々と投げてくれました丸ブルー





帰りには何年ぶりかで息子たちとプリクラもカメラ
パパもきっと私たちの隣にいるよねハート


パパ、誕生日おめでとうラブラブグリーンハーツラブラブブルーハーツ



夕方、お坊さんにお経を上げていただきました。

21日は私たちと妹さん、2家族だけの告別式。

パパ、わたし頑張るね!
1行だけのブログに、たくさんの訪問、いいね!、コメントをありがとうございました。
体調をご心配いただきありがとうございます。
私は何とか元気です。

亡くなる前の主人の様子を綴りたいと思います。

2020年7月14日
朝、病院から個室に空きが出たので大部屋から移動する旨の電話がありました。

入院から16日。やっと面会できる!
うれしくてうれしくて、その日はウキウキ過ごしました。

夕方面会に出かける準備をしていると、再び病院から電話が。

「ご主人の呼吸が朝と明らかに変わっています。移動中にも万が一のことがあり得ます。できるだけ早くお越しください」

うそだ 、、、、、

震える手で、浜松の長男と東京に住む主人の妹さんに「パパ急変。すぐに来て!」と連絡。
私と次男が病院へ駆けつけたのは17時半過ぎでした。

主人は個室のベットの上で力なく喘いでいました。

顔を見た途端あまりの変わりように、涙が止まらなくなりました。
やっと会えたのに、こんなに弱っていたなんて。
ここ3日ほどLINEが既読にならなかったのは、ここまで体力が落ちていたからなんだ、、、

「パパ!来たよ!ケケ(次男の呼び名)も一緒だよ!」

主人の手を握り、頭や顔を撫でて耳もとで呼びかけると、

大丈夫、、、

カサカサの唇から小さな返事が返ってきました。

もっと元気になってほしい。
私は主人の好きな歌を耳もとで聞かせたり、インコのそらちゃんの話をしたり。
次男は痩せてしまった足をさすり、2人で懸命に看病しました。
その想いが通じたのか、しばらくすると主人の呼吸に力が。

その後担当医に呼ばれ、病状の説明を受けました。

「朝、回診の時は会話もできましたが、個室に移った午後あたりから、明らかに呼吸が変わってきました。食事もここ3日ほど摂れていません。ご主人は今とても頑張っていますが、急変すれば今日明日のお別れもあり得ます。週明けまでは難しいでしょう」

週が明けたら誕生日なのに、、、

お別れが近いとのことで、特例により私と2人の息子、妹さんの4人が面会を許されました。
本来なら20時までの面会時間も、長男が到着後しばらくは大丈夫と延長の許可ももらえました。

妹さんが着いたのは19時半ころ。
「お兄ちゃん!」
と呼ぶと、主人は朦朧としながらもうなずいて応えました。

「モモ(長男の呼び名)がもうすぐ来るよ!パパ頑張ってよ!」
私はひたすら、苦しそうに呼吸を続ける主人に話しかけました。

長男が仕事を切り上げ、タクシーと新幹線を乗り継いで、病室に到着したのは21時過ぎ。

「帰ったよ!わかる?」
話しかけられた方向に顔を向け
「ああ、、、」
と、主人がかすれた声で小さく返事をしました。

その後、ベッド脇に腰掛けた長男が、面白おかしく職場の話を始めると、しんみりしていた病室は笑い声で一気に明るくなりました。

主人はさらに一段階元気が戻ったように、腕を動かして長男の話に反応しています。

大好きなボウリングの話や、家族のおもしろ話、なぜか前後を逆に着て寝ている主人のTシャツの話など、ベッドを囲んでみんなで笑っていたら、1時間があっという間に過ぎました。

これなら大丈夫との病院側の判断で、付き添いをする私以外の3人は、22時過ぎにいったん帰ることになりました。

その後看護師さんが様子を見に来たとき、主人はおもむろにTシャツの裾を持ち上げ、何か訴えるような動きをしました。

これがせん妄?
違う!パパ、密かに気にしてたんだ。
「さっきシャツが逆なのをみんなで笑ったから、着直したいんだと思います」

看護師さんと笑い合いながら、2人で主人の腕をそっとシャツの袖から抜いて、首のところでクルクル回し、正しく着せてあげると、気が済んだのか落ち着いてくれました。

そのとき、看護師さんがこんな話をしてくれました。

「ご主人、夕方は本当に危なかったんですけど、ご家族が来られてうれしかったんですね。ここまで持ち直すなんて奇跡ですよ」

それから主人と2人きりになりました。
少し静かな息遣いになった主人の手を握り、話しかけました。

「パパ、一生懸命家族を守ってくれてありがとう。病気の2年間、仕事をしながらよくがんばったよね。何でも我慢しすぎなんだよ。入院してから1人ぼっちで寂しかったでしょう。今日からまた私が隣にいるからね」

返事はありません。
でも主人は、変色して腫れ上がった右手の小指を、私の親指に力なく絡めてくれました。
よく見ると主人の目頭が少し濡れています。
パパが私に何か伝えてる、、、
私は思わず左手で写真を撮りました。

23時過ぎ、荒かった主人の呼吸が急に弱くなってきました。

慌ててナースコールを押し、看護師さんに診てもらうと
「呼吸が止まるかもしれません。ご家族の皆さんを呼んでください」

そんな、、、、

息子と妹さんにすぐ戻るよう連絡して、私は主人の耳元で必死に呼びかけました。

パパ、起きて!戻ってきて!
まだみんな着いてないよ!
私を置いていかないで!!
パパ、死んじゃいやだよ!!!

主人は苦しむこともなく、この日1日たくさんの小さな奇跡を起こして、静かに眠るように息を引き取りました。

それはたぶん23時40分頃でしたが、看護師さんが3人が到着するまで待ってから、先生を呼んでくださったので、主人が亡くなったのは日を跨いで7月15日になりました。

もっと早く連絡していれば間に合ったのに。
最後の最後までドジな私でごめんなさい。

口下手なパパは最後まで口下手なままだったけど、一緒に生きた29年間、とても幸せだったよ!

パパ、ありがとう!!!