月初めになると、出席日数上位の道場生が貼り出されるのだが、ずっと一位は私だった。

そして出席すると16:30の一部の稽古から参加して23:00まで自主トレをしていた。

 

当然、上達も早いのでスパークリングでは得意技の上段後ろ廻し蹴りを活かすために、右の中段アッパーとみんなが使っていた奥足への右下段蹴りが上手くなってきた。

 

奥足への右下段蹴りは増田章をはじめ当時の極真で流行っていて、国井先輩が得意にしていたこともあり関西本部でも流行っていて、主武器でつかっている道場生が大半だった。

 

そんなスパーリング時にあることに気付くのである。

 

峯岸先輩はもちろん、田原先輩や榎本先輩、国井先輩、他の先輩達の攻撃で簡単に倒れていた道場生が、私と当たる時になると、さっきまでが嘘の様に凄い勢いで向かってくるのである。

私と当たるまで死んだふり、つまり手を抜いていて、私と当たる時にすべてをブツけてくるのである。

その道場生達にとって、私と良い組手をすることがその日の目標だったのだろう。

また前回のスパーでは全くダメだったのに、私が高校生だと知ってから、それまでよりもよりも良い組手をする道場生も多くいた。

『年下の高校生に負けるもんか!!』

『あんな奴は認めない!!』

『後輩に負けたくない!!』

生意気だったんでしょうね。

 

みんな返り討ちにしましたけどね。

そんな道場生達のおかげで私の技量は他の同期の道場生よりも早かった。

ありがとうございます。

 

次回・・・1995年の話55~道場の盆休みの巻~