国井先輩は試合を見ずにずっと寝続けていた。
当時、大阪でこんな豪華なメンバーで、こんな大きな大会が行われることなどなかったし、初めての空手観戦を私は必死で見ようと思ったのだが、初めての極真の試合は正直に言うと退屈だった。
実力差がある試合はKOがあり面白かったのだが、逆に中途半端な実力者同士の試合は、本当に時間が長く感じるくらいに退屈だった。
途中、観戦に来ていた同級生を見つけては無駄話で時間を潰した。
軽量級は決勝で半年前の全日本での借りを緑健司が三明選手に返して優勝。お互いの意地が交錯して、途中もつれたときに凄いにらみ合いをしていた。
重量級は七戸(柔道の七戸龍の父)が優勝。 黒沢浩樹が負けたのは意外だったが、たしか黒沢は七戸に結局、一度も勝てなかったはずだ。
そんな極真ウエイト制の大会は、国井先輩が起きることなく終わってしまった。
そして翌日の月曜日
モチロン、審査が終わっても休むことなく月曜日から稽古に参加した。
審査で4本組手の相手だった寮生の石田圭一さんには
『蹴り上手ですね。 先生と峯岸先輩に『同じ技を何発くらうんだ!!』ってムチャクチャ怒られました。』と言われる。
毎日、稽古に参加するたびに審査の結果が貼りだしていないか?
ドキドキしながら道場に向かった。
審査結果が出るまではスパーリングには参加できなかった。
審査結果が出るまではあくまでも白帯だ。
そして1週間程過ぎた頃に道場に私が入ると・・・道場生の視線が私に向かった。
次回・・・1995年の話50~審査結果と初めてのスパーリングの巻~