4月に予定されていた審査会は、結局、通常通り6月に行われることになった。
私は一般部に上がると、定時稽古終了後は、毎日23時まで自主トレを行った。
一般部にあがる前に稽古は日曜日と木曜日以外は二部制になったので、初級の最後の頃には1部2部連続で稽古に参加していたので一般部に超速で上がった。
私につられて多くの道場生が私の真似をしだした。
道場の熱が上がっていくのが手に取るように分かった。
たった一人の入門者が更に道場を変えた。
審査ノルマのウエイトが上がらないので、学校に行っても授業に出ないで、ウエイト室に行きウエイトをやり、柔道部のロープ登りを行ったり、田井陽介とサンドバック、ミット、投げの乱取りをしたりした。
そして朝は、走ってから学校に行っていた。
16:30からの1部の稽古に参加して2部に連続参加後に21時から23時まで自主トレ
学校が早く終われば、阪急梅田の一階のマックの隣のモンブランと言う喫茶店(店が無くった時は本当にショックだった・・・)のいつもの席で同級生たちと時間を潰していた。
結構、高い喫茶店だったのに、いつもありがとうございます。
毎日がそんな連続だった。
フルコンタクト空手の竹山晴友のインタビューの
『サラリーマンは一日8時間働くんでしょ?
なら我々が一日8時間練習するのは当たり前ですよ。』
この言葉はずっと頭にあり、当たり前の事だと、今でも信じている。
その頃の道場には、物販にプロテインが売っていて、大きくて一番安い『ウエイトアップ』という甘いプロテインを買っていました。
今ではどこにでも売っているプロテインシェーカーも当時は、阪急イングスや淀屋橋のミズノ本店まで買いに行きました。
そんなこともあり、入門時の16歳の時には59kgだった私の体重も1年後には67kgまで上がりました。
もしも、あの時間と情熱を勉強や仕事に向けていたら・・・
今でも稲垣聡に『先輩、絶対に金持ちになってますよ。 なんであれくらい仕事を頑張れへんのか? 不思議でしゃ~ない』
と言われます(笑)
そんなこんなで、本当なら繰り上げで審査会が行われるはずだった4月・・・
東孝先生が来ての稽古会が行われた!!
次回・・・東孝との初遭遇!!の巻