1987年2月28日(土)関西本部のスパーリングに参加した道場生は

馬越さん、

notitle0018.jpg

國井先輩、石川先輩の他に

 

門田(もんでん)先輩

坂田先輩

あきら先輩(もう一人、藤原先輩がいて、その人は‘犬殺しの藤原‘先輩と呼ばれて、チャッキリ娘のボケの黒い人にソックリだった)

 

↓この人です

 

そして唯一の緑帯以上で田原先輩だった。

(他に顔はわかるのだが、どうしても名前を思い出せない人が何人も・・・)

田原先輩以外は極真ルールで、峯岸昭夫先輩はスパーリングの前半は胸を出して、上段だけをガードして、その凄いメンバーのすべての全力の攻撃を受けまくるのである。 

そして技を返す時に

『脇が空いている!』

『足が揃っている!』

と言いながら中段アッパーや、下段蹴りを一発を放ち、そしてその一発で全員倒れているのです!!

 

本当に漫画みたいな世界やし、初めて見たのがこれだったので、当然、これを見た私が目指すのはこれになります。

 

スパーリング終了後に一番ボロボロだったのがキックボクサーの坂田先輩で、その次が門田先輩で、その次ぐらいが馬越さんでした。 

馬越さんは可愛らしい顔をした高校二年生やし、太鼓持ちの才能がたけていたので、みんな手を抜いていました。 とくに、あきら先輩は馬越さんに優しかったです。 何より馬越さんは、痛がり方が上手で、みんなに手を抜いてもらっていました。

 

みんな一同にボロボロになりながら、でも生き残ったことに安堵している様でした。

この時の平野道場の風景を思い出したら、涙が溢れてきそうです・・・

 

そんな稽古を見て帰って、帰りに地下鉄で痴漢のオッサンにあい、稽古日誌の初めのページに誓いを込めて書いたのが

岩崎弥太郎

西良典

長田賢一

佐和田亮二

山田利一郎

峯岸昭夫

 

の6名の先輩です。

6名のなかで、峯岸昭夫先輩だけは、この時に体力別チャンピオンですらありませんでした。

 

しかし『この6人に並んで追い越すような選手になる!』そう決意して、自分の書ける一番綺麗な文字で稽古日誌の1ページ目に書きました。

子供ころからの『格闘技で飯を食う』という夢が変わったその日でした。

 

そんな稽古初日を1987年3月2日月曜日に向かえます!!

 

つづく・・・

次回・・・クラッシャーとの遭遇