1987年2月28日(土)入門して家に帰り、稽古日誌の最初のページに書いた

先輩達

 

岩崎弥太郎

西良典

長田賢一

佐和田亮二

山田利一郎

峯岸昭夫

 

岩崎先輩、西先輩、長田先輩は当時無差別を制した3名の先輩

 

佐和田先輩は、中量級でKOを量産していたパウンドフォーパウンドの一人に挙げられていた先輩。

山田先輩は体力別の重量級を制した、次期無差別王者候補のホープ。(※実際にこのあと、チャンピオンカーニバルと言われたこの年の無差別で優勝する)

 

そして・・・

馬越さんが

『うちの道場の先輩達はハンパなく凄いからビビるで、他流派の黒帯とかプロの選手とかそんな人ばっかりやから、俺なんかただのペーペーやからお前に見られたくないねん。』って、言う先輩達ばっかりの道場で師範代をしていたのが峯岸昭夫先輩だった。

 

見学した1987年2月28日土曜日、当日は週に一度のスパーリングの日の土曜日、一緒に平野駅から道場に向かう道中、馬越さんが緊張から元気が無くなっっていく。

 

当日の流れは、基本稽古→サンドバック→休憩10分→約手→スパーリング

の流れだった。

 

馬越さんに聞いていた、極真の高校生チャンピオンが國井栄二先輩だったのだが、石川先輩がてっきり、その極真の高校生チャンピオンだと思った。

誰が極真の高校生チャンピオンか分からない・・・

そんな人間の集まりの道場の空気は、熱く重く感じた。

 

基本稽古後のサンドバックがすでにもうあのYouTubeで有名な

佐山聡のシュート合宿状態・・・

 

 

あんな感じだった。

 

 

違うのは、佐山聡は竹刀を持っていたが、峯岸先輩は、早く、強く、ムチャクチャ凄い動きで誰よりもサンドバックをインターバルまでの3分間叩き続けるのである。

 

 

そしてスパーリングが始まる。

 

そのスパーリングメンバーは・・・

 

つづく・・・

 

次回・・・関西本部塾生番号180番