前回の1995年の話⑦~最悪からの始まりの巻~

 

 

94年の体力別で勝ち、ロシアへセミナーに行った後も、手術は色々あり・・・すぐには出来ませんでした。
94年無差別と95年体力別は結局、裏方で見てるだけの大会でしたね。
1番覚えているのは、無差別の大会前日に設営に向かう車の中で中山が

駒沢公園に入る時に

『先輩、ここはホモの出会いの場として有名なんですよ。』と

言ったことです。
それ以来 【駒沢】 って、聞くと、いつもこのことを思い出します(笑)
 
あと思い出すのは
大会後、市原選手が『俺の味方じゃなかったの? もう俺の反対側のセコンドに行くのは禁止だよ。』
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長谷川さん、高松さん、斉藤が『準決勝の動き、凄い速かったですよね。 さすが超特急だ(笑)』の言葉です。
 
そして95年体力別の西日本予選には加藤先輩が来ていて、
 
阪神淡路大震災の話から、西日本大会の前日に起こった地下鉄サリン事件の話になり、加藤先輩は、オウムの犯行だと知っていて、
『オウムの奴ら馬鹿だよな。』と言っていて
『まさか人を救う筈の宗教がそんなことしないでしょう?』って、思ったのを覚えています。
 
(加藤先輩、何でそんなこと知っているんやろ?)
と、不思議でした。

しかし令和の今でも、オウムやっている人は何を考えてるんですかねぇ?
彼らの信じるものは何なんでしょう?
私の1歳年上でハシモト サトルさんという東京の元道場生が生きていたら話を聞きたかったです。
私の想像でしかないですが、ムチャクチャ純粋で真っすぐで、正義感が強くて仲間思いな人やったんやと思います。
稲垣や清水和磨みたいな純粋な後輩のことを考えると、本当に複雑な気持ちになります。
なにが違ったのか・・・
そして・・・
匂坂を思い出してしまいます。
・・・
東先生は酔っぱらうと『みんな、俺の事を尊師と呼べ』と、冗談でよく言っていましたね。
 
オウムのせいでその後、パトカー出動のプチパニックが大阪で起こるのは、もう少し先の話です
 
・・・
 
さて’95春の北斗旗では・・・

つづく