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最終回は客車と貨車です。

 

「客車」

 

客車は機関車に牽引される旅客用の

鉄道車両です。

日本の鉄道開業時から使用されており、

旅客車両だけで、座席車・寝台車や

展望車・食堂車と多様な用途があり、

 

他に荷物車・郵便車、さらに測定・検査

を行う車両など様々な客車があり、

長い期間において、鉄道を支えてきましたが、

 

効率の悪さから電車や気動車に置き換わって

いき、今は特別な用途で在籍するものが僅か

に残る程度となりました。

 

客車は上記とおり、日本の鉄道開業時から使用

されています。

当初は木造の2軸車のみでしたが、運行する距離

が伸びるにつれて早くも大型化され、

昭和初期になると鋼製車両が登場していき、

戦後になると木造から順次、鋼製車両に移行されて

いき、

昭和30年代には車内設備の整備・改良を行い、軽量

客車が登場し、1958年にはブルートレインこと20系

が誕生し、さらなる利便性と快適性を向上していきま

した。

その後ブルートレインの運用範囲が広まり、これが

ちょっとした代名詞ともなっています。

新系列の客車は1977年登場の50系が最後で、以降

客車列車や寝台列車が廃止されたことにより、客車列

車は徐々に姿を消していきました。

 

そして寝台列車も2015年を持って、定期列車が廃止

されました。

 

現在は団体用やクルーズトレイン(ななつ星など)や

SL列車(SLもおか・SLやまぐちなど)で使用され

ています。

 

「客車の仲間たち」

 

(2軸車)

 

 

ハブ3号

 

1889年にドイツで製造された客車で、日本

最古級の車両です。

車内は普通車と荷物室で、形式のハは普通車、

ブはブレーキ付きを意味します。

 

1927年に伊賀鉄道から譲り受けて、1969年まで

使用され、

1970年には大阪万博へ出展された極めて珍しい

経緯をもちます。

 

ハ4995号 旧ハ20号

 

1893年に鉄道局新橋工場で製造されました。

 

車体は非貫通で、側面には4か所の外開きドアが

並ぶ「マッチ箱」と呼ばれるタイプです。

 

加悦鉄道では1928年に国鉄から譲り受けた後、

1935年に車体改造を受けてハ20となり、1969年

まで使用されたあとに改造前の車体に復元して、

ハ4995号と改番しました。

ハ21号

 

1893年に鉄道局新橋工場で製造された、日本最古

級の客車の一つで、当初はハ4995号と同じくマ

ッチ箱客車でしたが、

 

幅広い車体に更新されて、一般的なボックス席の室内

となりました。

ハ4995号とは同じ経緯をたどり、こちらは1972年まで

使用されました。

 

フハ2号 旧ハブ2号

 

1916年に伊賀鉄道が製造した客車です。

フはブレーキ付きを意味し、デッキにブレーキ

ハンドルがあります。

 

1927年に加悦鉄道が譲り受け、1969年まで使

用されました。

 

移転後の加悦sl広場で動態保存され、イベントの際に

再現列車にも参加しました。

 

(大型車)大正~戦前

 

ハ10号

 

加悦鉄道開業に合わせて製造した客車で、

普通車とグリーン車に分かれていて、

窓3個分のところに仕切りがありました。

 

戦時中、グリーン車部は戦没者の遺骨を

迎える英霊室として使用されました。

 

仕切りは戦後取り外ずされていましたが、

1995年の復元工事で再現されました。

スシ38000形

 

1933年に食堂車と二等座席構造車として、スロシ

38000形として製造されたもので、

 

その後スロシ38形となりますが、戦争で食堂車が廃止

されたため、三等座席車に改造しマハシ38形となり、

 

戦後食堂車の復活に伴い、スハシ38形として食堂車の

営業が再開されました。

 

廃車後、交通科学博物館で全室食堂車に改造されて、

車両の番号であるスシ28という形式は架空です。

 

マロネフ59形

 

1938年に製造された、皇族・貴賓客用の一・二等寝台

緩急車マイロネフ37290形として製造されました。

1人用個室と初のプルマン式開放型寝台が採用されました。

 

1941年にスイロネフ38形と改番され、戦後は進駐軍に

接収されて、緩急装置を撤去したのち冷房改造がなされ、

スイロネ37形となり、返却後は二等寝台車に改造されて

マロネフ38形と改番し、さらに等級改正でマロネフ59

形となり1961年に廃車。

 

翌年から交通科学博物館にて保存されましたが、

2016年から京都鉄道博物館で保存されています。

マイテ49形

 

特急「富士」用に使用されていた、スイテ37000形・

スイテ37010形の置き換え用として、1938年に製造

された一等展望車で、一等展望車では最後の完全新製

車です。

 

当初はスイテ37040形とされ、のちにスイテ49形と

改番され、

展望室と一等室の間には向かい合わせのボックスシート

が8人分用意され、展望室の内装は明るくモダンな洋式

とし、床面は営業用客車で初のじゅうたんじきとされ

るなど、豪華な仕様でした。

 

戦時中は使用中止されますが、戦後に進駐軍に接収され

たのち、冷房改造が行われています。

その後登場時の姿に復元したのちに、復活していく特急

に使用されて、1953年にマイテ49となりました。

 

1961年に廃車となり、翌年から交通科学博物館で保存

されていましたが、

1987年JR西日本発足を記念して車籍が復活し、

臨時列車やSLやまぐち号などに使用されたのち、

 

2022年に再度廃車され、京都鉄道博物館で保存されま

した。

 

(大型車)戦後製

 

オハ46形

 

1955年に製造された急行用の三等客車で、計60両

が製造されました。

 

急行用なので、長大編成にも対応した構造です。

 

基本構造はスハ43形と同じですが、軽量化のために、

屋根は鋼製が採用され、車体・内装や台車軸箱の薄肉化、

連結器の材質なども変更されるなど、車体全般に改良

が施されて開発されました。

 

写真のオハ46形13号車は山陰本線で使用された後、

2002年から梅小路蒸気機関車館で展示後、網干総合

車両所 宮原支所で保管後、

2011年に車籍抹消(まっしょう)され、

2014年から再度梅小路蒸気機関車館で保存されました。

 

他に大井川鉄道に兄弟車両のスハ43形が、津軽鉄道にも

オハ46が在籍しています。

20系 ナシ20形

 

1958年に登場した、20系寝台特急型客車の食堂車で、

幅広の車体を活かして、左右4人掛けのテーブルが

10セット用意されており、

電気レンジや電気冷蔵庫の採用により、厨房設備が初

めて完全電化製品となりました。

 

ナシ20形は36両が製造され、写真の24号車はラスト

ナンバーです。

1978年に引退した後、交通科学博物館で館内食堂として

使われ、

京都鉄道博物館でも同じ役目を持ちます。

24系 オロネ24形

 

24系客車のA寝台車で、1973年に9両が製造されてい

ます。

開放型寝台で、九州方面の寝台特急で活躍後、

晩年は寝台特急「日本海」で使用されたあと、2012年

に同列車廃止に伴って廃車となりました。

 

他に同系を改造して登場した、オハネ24形を「北斗星」

用の2人用個室「ツインDX」用とした500番台と名乗り

ました。

24系 スシ24形

 

トワイライトエクスプレス用の食堂車で、食堂車

廃止によって余剰となっていた489系の食堂車サ

シ489です。

 

車内は豪華な内装に一新されましたが、車体や台車は

再利用したため、編成中でも異彩を放っていました。

 

当初はブルートレイン色で、イベント列車に使用され

ていましたが、1989年にトワイライトエクスプレス

の運転に合わせて、塗装や内装を再度改造したのち、

「ダイヤ プレヤデス」の愛称で2015年の同列車廃止

まで活躍しました。

 

なお「北斗星」の食堂車も同じスシ24形です。

 

24系 スロネフ25形

 

トワイライトエクスプレス専用車で、1989年の

運転開始に備えて、オハネ25形3両を改造したもの

です。

大阪寄りに連結され、展望室も備えたスイートルーム

1室とロイヤルルーム4室で構成された最も豪華な寝台

車で、室内にはベッドのほかに、トイレやシャワー室

もあり、テレビも備えていました。

定員はわずか6名です。

 

 

24系 オハ25形

 

トワイライトエクスプレス用のサロンカーで、

14系客車15形を改造して竣工し、屋根まで達する

大型窓と日本海の眺望が楽しめるソファーが特徴で

シャワー室や電話室。洗面所、自動販売機の設備も

ありました。

 

「サロン・デュ・ノール」の愛称があり、フランス語で

「北のサロン」という意味です。

 

 

カニ24形

 

24系の電源車で、室内に発電機を搭載し、

照明・冷房・放送などのサービス電力を

各客車編成に供給します。

また新聞輸送用の荷物室も設けられています。

仕様の違いにより番台区分があります。

 

写真の12号車は0番台のグループで、前面非貫通

で左右に傾斜が付いているのが特徴で、

トワイライトエクスプレスにて、2015年まで活躍

後に京都鉄道博物館で保存されましたが、

 

老朽化や入れ替え作業に支障があるとして、

2022年を持って展示終了、姿を消しました。

 

50系

 

地方都市園の通勤・通学時間帯の普通列車用に

1977年に登場しました。

車体色からレッドトレインと呼ばれました。

 

最初は芸備線と筑豊本線から運用を始め、

日本各地で運用されましたが、

 

気動車や電車に変わったことで、役目を失い、

50系客車による普通列車は2001年までに消滅

しました。

 

現在はSL人吉用の3両とJR北海道のトロッコ列車に

改造された7両が在籍するのみです。

 

また50系客車を改造して気動車化した、

JR西日本キハ33系、JR北海道キハ141・142・143系

がありました。

 

「貨車」

 

貨車は貨物輸送に使用される鉄道車両です。

 

貨車は無蓋貨車・有蓋貨車・コンテナ車

タンク車・ホッパ車に大きく分けられます。

 

鉄道貨物全盛期には、様々な用途の貨車が

開発されて、全国で走り回っておりました。

 

現在はコンテナ車やタンク車が中心となっています。

 

 

貨車も客車とともに、日本の鉄道開業時から使用

されていますが、当初は無蓋貨車と有蓋貨車の2軸

車のみでした。

 

その後走行距離が延びるにつれて、大型化されていき

様々な用途の貨車が開発されていき、過去には70を

超える種類がありましたが、

 

戦後の高速道路の発達でトラック輸送が充実するとと

もに貨物輸送量や貨車の種類も減少していました。

 

しかし現在では、道路輸送の限界やトラックドライバー

の不足に環境問題で、再び貨物輸送が見直されつつあり

注目されています。

 

「貨車の仲間」

 

(無蓋貨車)

 

ト404号 (遠州鉄道→加悦sl広場)

 

静岡県の遠州鉄道にて使用されていた無蓋貨車

です。

2000年に廃車となり、加悦sl広場で保存されて

いました。

 

(有蓋貨車)

 

ワブ1形 (ワブ3号)

 

室内に手ブレーキを備える、有蓋緩急貨車で

車掌室と荷物室の間にしきりはなく、

車掌室スペースとなるところにブレーキハン

ドルを備えています。

 

製造当初は無蓋貨車で、1943年に有蓋貨車に

改造されたものです。

ワム3500形

 

1917年から1万1873両が製造された、大正時代

を代表する形式です。

当初はワム32000形で、1928年に称号変更で

ワム3500形となりました。

 

車軸が長軸だったこともあり、戦時中に約25000両

が広軌に改造されて、中国へ輸出されています。

 

残る同型車は戦後も引き続き日本全国で活躍し、19

70年に全車が引退しました。

 

(コンテナ車)

 

コキ100系(コキ107形) 

 

コキ100系(コキ110形)

 

(事業用貨車)

 

 

ヨ2000形

 

1937年から翌年までに、計100両が生産された

新製車掌車です。

車掌車はかつて貨物列車の最後尾に連結された

乗務員専用車両です。

室内にはダルマストーブがあります。

ヨ2000形は1985年に全車が引退しました。

 

写真の2047は福知山配属されたのち、西舞鶴に

転属後、1980年に廃車されたものを、

旧加悦(かや)町(現与謝野町)に展示のために

借用されたものです。

 

現存する車掌車でもっとも古く、現存する唯一の

ヨ2000形となっています。

キ100形

 

1938年から製造された除雪車で、機関車に押されて

作業します。

大きなサンドウィングやフランジャは空気圧により

作動します。

 

写真のキ165は1938年に鉄道省土崎工場

(現秋田車両センター土崎工場)で製造、

当初は福知山客貨車区に所属し、晩年は西舞鶴客貨車

区に転属後、1979年に引退しました。

ヨ5000形

 

1959年のコンテナ専用特急列車「たから号」

のため、ヨ3500形を改造した高速貨物用車掌車

です。

 

12両が改造されて竣工しましたが、後に新製車が

加わり、最初の改造車は5050番台と区分されました。

後から追加されて加わった改造車は13500番台と区分

されていました。

 

1986年に貨物列車の車掌車が廃止され、用途が失われ

たため、全車が引退しました。

 

ホキ800形

 

1958年に製作された、30t積みホッパ車です。

砕石や散布用の貨車で、荷台に砕石を積み、

ハンドルを回すことで、下部のフタが開いて、

砕石を撒きます。

1974年までに1066両が製造されました。

 

現在もJR東日本とJR西日本に在籍していますが

置き換えが進行し、徐々に数を減らしています。

 

ヨ8000形

 

 

また写真を撮影次第追加します!

これで終わります。

どうもありがとうございました。